5.馬日磾に接触せよ(地図あり)
初平4年(193年)5月 徐州 下邳国 東城
わりとすんなり、親父の配下だった手勢を取り込んで喜んでいると、揚州に新たな動きがあった。
懸念していたとおり、袁術が九江郡の寿春に移ってきたのだ。
元々、荊州の南陽郡を拠点にしていた袁術だが、ヤツは兗州の曹操と争っていた。
そして最近、袁術は兗州の陳留郡に進出して、曹操と決戦に及んだらしい。
しかしあっさりと敗れて、南に逃走してきたんだな。
なぜ南陽に戻らなかったかというと、荊州牧の劉表が関係している。
劉表が曹操に連携して、袁術の補給を断つ動きに出たんだそうな。
おかげで袁術は南陽郡を放棄して、新たな拠点を求めざるを得なかったわけだ。
元々、陳瑀という男を揚州刺史に押しこんでたのもあり、揚州の州都である寿春へやってきた。
ところが思わぬことに、陳瑀が受け入れを拒否。
当然、袁術は怒って攻めるわけで、陳瑀は徐州へ逃亡したそうな。
結局、そのまま袁術は寿春に居座り、でかい面をしてるって寸法だ。
客観的にみて立派な無法者なんだが、朝廷を牛耳ってる李傕は、袁術を引きこもうと画策した。
そこでこの頃、中原を鎮撫するために派遣されていた馬日磾に、交渉の指示が下されたわけだ。
そんな馬日磾は徐州で陶謙と会談をし、揚州へ向かっていたのだが。
「廬江周家の使者として参りました、周瑜 公瑾と申します」
「前の長沙太守 孫堅が嫡子、孫策 伯符と申します」
「うむ、馬日磾 翁叔である。重要な話があるとのことだが、一体なにかな?」
未来を知る俺たちは徐州へ人を送って、馬日磾の動向を調べていた。
そしていよいよ揚州入りしようとする彼を、東城でつかまえて会談を申しこんだ。
さすが廬江周家の名前は伊達でなく、馬日磾はそれに応じてくれた。
そんな彼に、周瑜がかしこまって進言をする
「馬日磾さまに申し上げます。袁術との会談には、十分なご用心をなされるべきかと」
「む、私の目的を知っているとは、耳ざといな。しかし何ゆえに用心せよと言う?」
「は、今の袁術は、野に放たれた虎のようなものにございます。すでに汝南袁家の本流は途絶え、漢王朝も混乱するばかりで、各地の武装豪族を統制できておりません。おそらく袁術は、朝廷の威には服さないでしょう」
「朝廷がだらしないから、袁術は素直に従わない。貴殿はそう言うのか?!」
周瑜の言葉に、馬日磾は怒気を見せる。
たしかに周瑜は、”お前らに威厳がないから、袁術は言うことを聞かないぞ” と言ってるに等しい。
しかし周瑜は辛抱強く、言葉を重ねる。
「無礼な物言いになってしまったことは、ご容赦ください。しかし現実問題として、今の袁術は力に酔った獣のようなもの。それに朝廷の威光のみをもって近づくのは、自殺行為と申すほかありません」
「むうぅ……袁術がそれほどに荒ぶっているということか。ならば貴殿は、どうするべきと思う?」
「は、最低でも、袁術の暴発を抑えるだけの武力を伴い、会談に臨むべきかと」
「武力だと? その口ぶりからすると、貴殿には用意できるとでも言いたげだな」
疑わしそうに問う馬日磾に、周瑜はにこやかに応える。
「はい、実は我らが故郷を守るため、外敵に対抗できる軍勢を準備中です。袁術は揚州を侵す外患にございますれば、それを牽制するにしくはありません。ただし我らも戦を望んでいるのではなく、あくまで馬日磾さまのご威光を、後押しさせていただく所存にございます」
「ふうむ……」
馬日磾はあごヒゲをいじりながらしばし黙考すると、再び口を開いた。
「貴殿の申すことが事実であれば、たしかに単身で乗りこむのは危険が大きそうだ。仮に軍勢の帯同を頼むとすれば、どれぐらいの数が集まる?」
「2千ほどであれば、すぐにでも」
「ほう、それは頼もしいな。しかしそれも無償というわけではあるまい。対価に何を望む?」
「叶いますれば、それにふさわしい官職を与えていただきたく思います。この揚州を安定化させることは馬日磾さま、ひいては朝廷の意志に叶うと愚考いたします」
「ふむ、それは道理だな」
馬日磾はまた少し考えてから、切り出した。
「それでは貴殿を、撫南校尉に任命しよう。とりあえず6品の秩に相当するものとする。袁術との面会時に同行し、私を守ってもらいたい」
「ははっ、迅速な判断に感謝いたします。ところでもしよろしければ、こちらの孫策にも官職を与えていただけないでしょうか」
「む、そちらにもか?……」
馬日磾は少し考えていたが、やがて首を横に振った。
「いかに孫堅の息子といえど、そこまでの大盤振る舞いはできんな。まだなんの実績もないのだし、指揮系統が混乱する恐れがある」
「出過ぎたことを申しました。しかしこの者、孫堅さまに劣らぬ剛の者でございます。いずれ成果を挙げた暁には、報いていただきたく思います」
「うむ、覚えておこう」
それから今後の日程をすり合わせると、俺たちはその場を辞去した。
やがて2人だけになると、俺は歓喜の声を上げる。
「すげえじゃねえか、周瑜。撫南校尉だってよ」
「うん、それは成功だったね。残念ながら、君の官職はもらえなかったけど」
「そんなこと、気にすんなよ。実際に今の俺には、なんの実績もないんだから。だけどすぐに手柄を立てて、成り上がってやるさ」
「フフフ、君らしいね」
今回、すんなりと話が通ったのも、廬江周家の影響力があってのものだ。
そこを代表してきた周瑜に、官職が授けられるのも当然である。
肝心なのはこれによって、俺たちが朝廷のために軍勢を動かすという、名目が立ったことだ。
おかげでいざという時は、腰の重い豪族たちの協力も、得やすくなるだろう。
これでまた一歩、目的に近づいた。
「さて、とっとと帰って、護衛の準備をしようぜ」
「ああ、しばらくは忙しくなるね」
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初平4年(193年)5月 揚州 九江郡 寿春
護衛の準備が整うと、馬日磾は袁術との会談に赴いた。
俺と周瑜はその身分を隠し、従者にまぎれて同行している。
そして袁術が滞在している屋敷の中で、会談は始まった。
「馬日磾 翁叔である。本日は朝廷の使者として、勅命を伝えにまいった」
「袁術 公路です。太傅どのじきじきにお越しいただくとは、恐悦至極」
まずはあいさつをして、適当に情報交換などをしてから、いよいよ本題に入る。
「それで袁術よ。貴殿には中原で混乱を起こしている袁紹と曹操を、押さえこむ役割を任せたいのだ」
「やはりそうですか。実は私も袁紹や曹操の無法には、ほとほと手を焼いておりました。ぜひ協力させていただきましょう」
「うむ、それを聞いて安心した。朝廷は貴殿に対し、改めて左将軍の地位を授ける用意があるが、受けてもらえるか?」
「もちろんでございます。朝廷の威光をもってすれば、袁紹や曹操に味方する豪族も、こちらになびくでしょう」
「そうか。それを聞いて、私の肩の荷も軽くなるというものよ。今後は天子さまのため、王朝のために働いてくれ」
「ははっ」
こうして馬日磾の交渉は、おおむね成功したかに見えた。
この頃の朝廷にとっての大きな懸案は、中原で好き勝手する袁紹と曹操だ。
それを重く見た李傕は、太傅である馬日磾と太僕の趙岐を遣わして、周辺の勢力に協力を要請したわけだな。
すでに公孫瓚や陶謙は協力を約束しており、袁術がそれに加われば、袁紹たちを押さえこむのも可能だったかもしれない。
しかしこの頃の袁術は、すでに朝廷への敬意を失っており、思い通りに動くはずもない状況だった。
やがてヤツは、何気ないふりで頼みを口にする。
「ところで馬日磾さま。使者の証である節というものを、もう一度よく見せてはもらえぬでしょうか。今回の土産話として、子供に教えてやりたいのです」
「ふ~む……まあよかろう。おい、節をこれへ」
「はっ」
俺は馬日磾の指示を受け、節を取り出して袁術の前へ差し出す。
すると袁術が無造作に節を手に取ろうとしたので、それをひっこめた。
「おい、何をひっこめておる。ちょっと見るだけだ」
「いえ、これは重要なものですので、お手を触れるのはお控えください」
「なんだと! 馬日磾さま、それはあんまりではありませんか?」
「い、いや。慣例でな……部外者には触れさせないことになっておるのだ」
「なんですと?!」
袁術は思いどおりにならない状況に、癇癪を起こす。
それはまるで、幼い子供のようだ。
ヤツはさっきまでの愛想をかなぐり捨てると、配下に指示を出した。
「おい、そいつを捕らえろ」