3.孫軍閥の勧誘(地図あり)
初平4年(193年)1月 揚州 呉郡 曲阿
親父の訃報を聞いた後、すぐにでも葬儀をしたいところだったが、そうはいかない事情もあった。
実は親父の死後、軍を引き継いだ孫賁が、遺体を確保せずに退いたため、手元に遺体がなかったのだ。
時には遺体なしで葬儀を挙げる場合もあるが、できるならば取り戻したいのが人情である。
幸いなことに、親父の旧友だった桓階という人が、わざわざ敵の劉表に掛け合ってくれた。
劉表はその義侠心に打たれ、親父の遺体を返してくれたそうだ。
おかげで俺は桓階さんから遺体を受け取り、曲阿で葬儀を挙げることができた。
そしてその葬儀の場には、呉景と孫賁も来ていた。
「久しぶりだな、孫策」
「お久しぶりです、呉景おじさん」
「孫堅どのは本当に惜しいことをしたな。まさにこれからという時だったのに」
「ええ、だけど戦の中で逝ったんですから、それなりに本望だったんじゃないか、とも思いますね」
「ああ、そうであって欲しいものだな」
そんな話を呉景と交わすと、孫賁が訊ねてきた。
「叔父貴の遺体は、どうしたんだ?」
「ああ、桓階さんという方が、劉表に掛け合ってくれました。おかげでこうして、弔うことができます」
「……そうか。本来は我々がやらねばならなかったのだが、とてもそんな状況ではなかったからな」
「ええ、分かってますよ。思わぬ敗戦で、大変だったんでしょう?」
「……まあ、そんなところだ」
多少は後ろめたいのか、孫賁が目をそらす。
その辺は追求してもしょうがないので、気になっていたことを訊ねた。
「ところで親父の軍勢は、どれぐらい残っているんですか?」
「……ざっと1500人ぐらいだな。前はその倍はいたんだが、叔父貴の敗死が知れて、逃げ散ってしまった」
「そうですか。今は袁術どのの下にいるんですよね。今後も彼に従うんですか?」
「ああ、袁術さまには恩もあるし、他に頼る先もないからな」
そう言う孫賁には、特に不満もなさそうだった。
袁術といえば汝南袁家の嫡流であり、左将軍にも任命されたような男だ。
その実力はさておき、袁家の影響力もあって、大きな勢力を誇っている。
今は荊州の南陽郡を拠点にしているが、じきにこの揚州へ移ってくるはずだ。
その時に対抗する方策を、俺と周瑜は練っていた。
そしてそれに必要なのが、孫賁たちの軍勢なのだ。
俺は孫賁に近寄ると、少し声をひそめて話しかけた。
「従兄さん。その軍勢について、提案があるんですけど」
「……提案だと? どんな話だ?」
「実は近々、揚州を外敵から守る軍勢を、立ち上げようという話があるんです」
「揚州を守る軍勢だと? お前が言いだしたのか?」
警戒感も露わに、孫賁が問いただす。
俺は彼を刺激しないよう、軽い感じで返した。
「いえいえ、廬江周家の旗振りですよ。俺はそれに協力を求められたんです」
「廬江周家が? たしかにあれほどの名門であれば、それぐらい言い出しても、おかしくはないな」
「そうですね。ていうか元々、周家は親父の軍勢を頼りにしてたんですよ。だけど親父の敗死でそれがおじゃんになった。そこで代替案として、新たな軍勢を編成しようって話になったんです。そしてその中核には、従兄さんの軍勢を据えたいとの申し出があるんですよ」
「そういうことか……」
孫賁は合点がいったという顔で、しばし考えこんだ。
「その話、周家だけでやろうとしているのか? 今の手勢はしょせん1500人程度。それなりにテコ入れしないと、大して役に立たんぞ」
「ええ、そうでしょうね。周家は他の豪族にも協力を頼むそうですよ。いざという時は、他家からも手勢を出してもらいます。しかしその中核には、実戦経験の豊富な軍勢が欲しいとのことです」
「そこまで考えているのか……呉景どのはどう考えます?」
ここで孫賁が話を振ると、呉景は慎重に答えた。
「良い話のように聞こえるが、袁術さまとの関係が、な。行き先ができたから、ハイさよならとはいかんだろう」
「当然ですな。下手をすれば敵対することになる」
そんな彼らに、俺は不吉な未来を示す。
「でも従兄さん。袁術は大物のように見えるけど、先行きはあまり明るくありませんよ」
「フッ、何をたわけたことを。袁家は4世3公の名門だぞ。同族の袁紹どのも、冀州で勢力を伸ばしていると聞く。袁術さまに未来がないなんて、ありえないだろう」
「まあ、袁家の威光ってやつは、認めますけどね。けれどこの乱れた世の中で生き残っていけるかは、また別の問題じゃないですか」
「そんなことは誰にでも言えることだろう!」
「まあ、待て、孫賁」
俺の言葉に反発する孫賁を、呉景がなだめてくれた。
そして俺に向き直ると、改めて訊ねる。
「孫策、君は何をもって、袁術さまが危ういと思うのだ?」
「その人格ゆえですね。たしかに同族の袁紹は、冀州で勢力を伸ばしてるそうです。だけどそれは彼に、それなりの実績や人望があってのものじゃないですか。対する袁術は、実家の威光を傘にきて、横暴な振る舞いが目立つと聞きます。武人としての実績も、袁紹には大きく劣りますよね。そんな人についていっては、とても将来が明るいとは思えないですね」
「ふうむ、たしかにそういった点には、否定できんものがあるな」
考えこむ呉景に、孫賁が言葉をはさむ。
「呉景どの、世迷い言に耳を貸されるな。しょせんこいつは、まだ何も知らんガキなのだ」
「しかし孫策は、昔から敏い子供だったぞ。それに今回は周家も後ろについている。決して馬鹿にはできんと思うがな」
「何を甘いことを。現状で袁術さま以上に良い後ろ盾など、ないでしょう」
「いや、しかしな……」
おそらく呉景は、行き当たりばったりな袁術に、不安を覚えているのではないだろうか。
そう思った俺は、さらなる情報を出した。
「袁術は今、揚州へも手を伸ばそうとしていますよね?」
「どこでそれを聞いた?!…………いや、そうか。周家からの情報だな。そうだ。袁術さまは今、揚州刺史に配下の者を就けようとしている。その過程で、袁紹との争いになっているようだがな」
「らしいですね。俺たちが懸念しているのは、そのまま袁術が揚州へ侵攻してくることです。彼の勢力が入りこめば、揚州も混乱するでしょう。それを防ぐための戦力が今、求められているんですよ」
「ふむ、そういう話の流れか。たしかに我らの中には、揚州の出身者が多くいる。その愛郷心に訴えて、揚州を守りたいというのだな」
多少は心が動いているらしい呉景に対し、孫賁はなおも反対する。
「呉景どの、そんな話を聞く必要はない。我らは袁術さまと協力して、今までやってきたのだ。その恩を忘れて寝返るなどしては、忘恩のそしりを免れんぞ」
「いや、我らはあくまで孫堅どのの配下であって、袁術に忠義を尽くす義理などない。それに袁術も今は使ってくれているが、先のことは分からんぞ」
「そんなもの、我らが戦功を挙げてみせればいいのだ」
そう言ってのける孫賁に、俺は提案を持ちかけた。
「だけど従兄さん。袁術にとって孫軍閥は、いくつもある手勢のひとつにすぎませんよ。それに対してこちらは、新たな軍勢の中核になれる。その待遇や将来性は、こっちの方が上なのは間違いないでしょう。それに郷土のために戦うってのは、兵士としてもやりやすいと思いませんか」
「馬鹿野郎! 郷土のために戦うといえば聞こえはいいが、しょせん華南だけの話だ。袁術さまなら中原の争いにだって絡めるんだから、将来性は上だろうが!」
「そうかなぁ?」
熱く語る孫賁に疑問を呈したら、呆れたような顔で諭される。
「策。さっきから小賢しいことを言っているが、しょせんお前は子供だ。俺たちを納得させるだけの実績を積むか、もっと信用できる人間を連れてこい」
「へえ、実績ですか。それじゃあ仮に、俺が従兄さんに立ち会いで勝てたら、耳を貸してくれますか?」
「はっ、なんだ、お前。俺に敵うとでも、思っているのか?」
「そうだと言ったら、どうします?」
「……いいだろう。ちょっとお前の性根を、叩き直してやる」
よし、上手くいった。
ここで孫賁を叩きのめせば、主導権を握れそうだな。