29.中原の制覇、そして……
建安元年(196年)4月 司隷 河内郡 蕩陰
曹操は野戦で敗北すると、蕩陰の城へ籠もった。
しかしただでさえ士気が低下しているうえに、援軍も望めない。
さらに寝返った者たちを使って降伏を促すと、兵士の脱走が相次いだ。
結局、10日ほど粘った挙句に、曹操は降伏した。
「くっ、貴様が孫策か。聞いてはいたが、本当に若いな」
「はっ、会った途端の言葉がそれか。兗州を支配してた男にしちゃあ、芸がないんじゃないか?」
「やかましい! 貴様のせいで俺の大望は――」
「あんたの愚痴を聞くために、時間を取ったんじゃない。これからの話をしようじゃないか」
「ぐぬ……」
降伏したくせに偉そうなこの男こそが、曹操だ。
前生で中原を制した男である。
体格は小柄だが、それなりに戦いぬいてきた勇士の風格を感じる。
たしか年齢は、俺より20歳ほど上だったはずだ。
そんな曹操に会ったのは、興味本位という面もあるが、今後を見据えてでもある。
俺は周瑜と一緒に、曹操を脅したりおだてたりしながら、協力するよう仕向けた。
彼に期待するのは、袁紹を降伏させることだ。
袁紹にとって頼みの綱だった曹操はすでに破れ、北からは公孫瓚が圧力を掛けている。
それでも袁紹はあがくだろうから、少しでも説得材料は多い方がいい。
なんとか降伏を勧める書状を書くよう約束させて、その日の会談は終わった。
その後、曹操の書状を送りつけつつ、冀州へ進軍した。
袁紹はさらに徴兵を行い、抵抗の構えを見せてはいたが、その力は弱かった。
州境に築いた防衛線はすでに崩れ、行く手を遮る砦にもほとんど兵は入っていないのだ。
結局、さほど経たずに、俺たちは鄴の城を囲むこととなる。
そのうえで城内に圧力を掛け、降伏を促した。
当初は勇ましいことを言っていた袁紹だが、1週間ほどで膝を屈する。
曹操に続き、袁紹までもがたやすく降伏したのは、やはり漢王朝が復権しているからと言うほかない。
前生で朝廷は李傕に牛耳られ、天子が逃げ出しても、曹操がそれに変わっただけだった。
しかし今生では太傅 馬日磾の指導の下、揚州、徐州、豫州、兗州を平定している。
さらに太尉 楊彪、司徒 張温、司空 張喜などの名士も多く残り、陛下を補佐していた。
軍部も俺だけでなく、段煨や張済も朝廷に従っている。
つまり前生に比べると、朝廷の権威の高さは大違いだ。
こうなってくると、天子に楯突くことに疑問を覚える者も多くなる。
前の戦闘で数人の武将が寝返ったのも、このおかげだ。
これは郭嘉や荀攸が密偵を使い、縦横に調略を行った結果でもある。
当然、その手は袁紹の周辺にも及んでおり、朝廷への帰順を勧める声も高くなる。
そしてとうとう城を囲まれ、袁紹も折れざるを得なかったわけだ。
さすがに冀州牧などの地位はありえないが、代わりに列侯の地位を与えることで、彼らの面子も立てている。
もっとも、この先はなんだかんだと因縁をつけて、さらに力を削いでくことになるのだろう。
なんにしろこれで、中原の大半は朝廷に帰順したことになる。
各地の平定も、今後さらに加速するだろう。
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建安10年(205年)4月 司隷 河南尹 洛陽
袁紹や曹操が降伏して10年近くになるが、あれからもいろいろあった。
まず并州を平定してから、旧董卓軍を西涼の端に追いやった。
その過程で奴らは内輪もめを起こし、李傕や郭汜も命を落としている。
それがひと段落すると、今度は荊州と益州へ兵を出し、劉表と劉璋を罷免した。
劉表は自身が皇帝になったかのように振る舞っていたし、劉璋に至っては益州をまったく統治できていなかったからだ。
どちらも漢の宗族なので、列侯に封じられる形になったが、実態は蟄居謹慎である。
ここまでを俺たち孫軍閥が中心になって進めたため、俺は勲功第一位として大将軍に任命される。
同時に呉侯に封じられて、揚州の呉県を領地に賜った。
俺が27歳の時だ。
奇しくもそれは、俺が前生で命を落とした年である。
それが今生では大将軍なんだから、おもしろいもんだと周瑜と一緒に笑い合った。
当然、周瑜も数々の重職を歴任しており、今は太僕を拝命している。
それからもいろいろとあった。
公孫瓚と劉虞の仲がまた険悪化したり、旧董卓軍の残党が西涼で独立を宣言したりとかだな。
挙句の果てには、北の辺境で飼い殺していた袁紹と曹操が再び蜂起した。
奴らは遊牧民どもと結託し、攻め込んできやがったのだ。
それら全ての対処に俺は駆り出され、見事に鎮圧してみせた。
おかげでさらに名声は高まったが、いいように使われているようで、嫌気が差さないでもない。
そろそろお役目を返上して、故郷へ帰ろうかなんて妄想を弄んでいたある日、周瑜が訪ねてくる。
「久しぶりだね、孫策」
「ああ、お互い、忙しい身だからな。とりあえず乾杯しよう」
「ああ」
そうやってしばらく酒を酌み交わしていると、彼が声をひそめて告げる。
「最近、宮廷の内部に怪しい動きがあるんだ」
「ッ! 怪しい動きって、なんだよ?」
「君の悪評が広まってるんだ。君が権力を乱用して富を築いているとか、戦地で民を虐げているって話だね」
「んだと! 誰だ、そんなこと言ってるヤツは!」
「落ち着きなよ」
周瑜はそう言って宥めるが、これが落ち着いていられるものか。
自分で言うのもなんだが、俺は清廉潔白を貫いている。
富には執着してないし、戦地ではむしろ民の生活に配慮してるぐらいだ。
それを汚職だ虐待だのとそしるとは、何事だ。
なおも周瑜を問い詰めようとしたが、彼の冷静な瞳に見据えられ、頭が冷える。
「……誰かが俺を、はめようとしてるのか?」
「ああ、考えてみると最近、君の息が掛かった重臣が、ずいぶんと減っている。だいぶ前から周到に、準備が進められていたようだね」
「そう言われてみれば、そうか?」
豫州平定時代から俺を支えてきてくれた張昭や張紘、秦松、そして親しかった賈詡などが退官していた。
諸葛瑾や魯粛などはまだ残っているが、最近は閑職に回されてるようだ。
「黒幕は誰だ?」
「……」
周瑜はしばしためらった後、こう告げた。
「確証はないが、陛下が黒幕の可能性が高い」
「なん、だと……」
次回、エピローグです。




