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逆襲の孫策 ~断金コンビが築く呉王朝~  作者: 青雲あゆむ
第3章 王朝交代編

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25.兗州制圧

興平2年(195年)4月 兗州 済陰郡 鄄城けんじょう南方


 こちらの巧みな用兵により、曹操軍はどんどんと崩れていった。

 ただでさえ兵の士気が落ちているところに、俺の首を狙ってきた部隊が大きく削られたのだ。

 もちろん味方だって無傷じゃなかったが、各将の奮闘により戦闘力は維持している。


 その戦力差を目の当たりにした敵兵が、我先に逃げはじめた。

 そうなったらもう、誰にも止められない。

 俺たちは敗走する敵軍を追撃し、さらなる損害を与えていった。


 しかしいつまでも体力は続かないし、兵站の問題もあって、自然とその足も止まる。


「鄄城は放棄したか」

「ああ、とても守りきれないと考えたのだろうね。どうせ援軍も期待できないから、潔く捨てたみたいだよ」

「それはそれで英断だよな。やっぱり曹操は侮れない」

「そうだね。この先、他の都市に立て籠もるとも思えないから、兗州の早期制圧にも目処が付きそうだ」

「だな」


 鄄城の南方で軍勢を再編しながら敵を探ると、どうやら曹操は本拠地を諦めたらしい。

 ちょっと拍子抜けする話ではあるが、敵も相当無理をしていたということなのだろう。

 おそらく根こそぎかき集めた戦力が崩壊して、籠城して持ちこたえるほどの兵が居ないんじゃなかろうか。

 この分なら兗州の制圧も、案外はやく進むかもしれない。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


興平2年(195年)5月 兗州 済陰郡 鄄城


 予想したとおり、曹操は兗州には留まらず、袁紹のいる冀州へ落ち延びていった。

 するとそれを知った郡や県の首長が、続々と帰順してきた。

 おかげでさして大きな戦いもなく、兗州は俺の支配下に収まる。


 もちろん治安を乱す軍閥や盗賊はまだいるので、各地に部隊を派遣してはいるが、表面的には平穏な日々が続いていた。

 そんなある日、朝廷から使者が派遣されてくる。


「孫策よ。今回の兗州平定ならびに、逆賊 呂布の討伐の功績を認め、貴殿を鎮護将軍ちんごしょうぐんへと任命する。今後も陛下に忠誠を誓い、中原の秩序回復に励むがよい」

「はは、ありがたき幸せ」


 なんと俺を、3ほんの鎮護将軍にしてくれるらしい。

 これはやはり雑号(非常設)だが、四安将軍や四平将軍に並ぶような将軍位だ。

 ちょっと前まで無位無官だった俺からすれば、破格の報奨と言ってよい。


 ちなみに今回の昇進を受け、俺は周瑜、程普、黄蓋にも将軍位を上奏した。

 軍団の副将格である彼らにはその資格があるし、体裁上も必要だと思ったからだ。

 ついでに部隊長を務める各武将にも、それなりの官職を与えるつもりだ。

 今は朝廷の許可待ちではあるが、おそらく許されるだろうと言われている。


 朝廷がここまで大盤振る舞いしてくれるのには、呂布を討伐したのが大きかった。

 今回も呂布は、騎兵隊を率いて大暴れしていたが、周瑜の策によっておびき出され、集中攻撃を受けた。

 さすがの呂布もこれには堪らず、あえなくお縄となる。

 その後、ヤツは必死に助命を乞うてきたが、朝廷がそれを許すはずもない。


 なにしろ李傕りかくたちの親分だった董卓を裏切り、暗殺しちまったんだからな。

 そこで俺は問答無用でヤツの首を切り、塩漬けにして長安へ送ってやった。

 そしたら李傕らは大喜びして、今回の昇進につながったという寸法である。


 もちろん兗州の平定もあるが、曹操は逃がしちまったからな。

 まあ、今後の働きも期待して、昇進させてくれたんだろう。


 そしてちょうどこの頃、俺はもう一つの成果もモノにしていた。


「ようやく俺に仕える気になってくれたようだな? 張遼ちょうりょう

「……はい。非才の身なれど、孫将軍のために微力を尽くしたいと思います」

「ハハハッ、非才だなんてとんでもない。期待しているぞ」

「ありがとうございます」


 呂布の配下の何人かを、召し抱えることに成功したのだ。

 特にこの張遼って男は、周瑜から絶対に口説き落とせと言われていた。

 なんか前生の曹操の下で、大活躍したらしいな。

 そこで彼らを牢獄につなぎながらも、何回か話をして、ようやくいい返事を聞けたわけだ。

 これで我が軍の騎兵隊も、増強できるだろう。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


興平2年(195年)7月 兗州 済陰郡 鄄城


 あれから冀州の様子を探りながら、兗州の統治に専念していると、いよいよ例の事態が発生した。


「陛下が長安を出発したそうです」

「うむ、賈詡かくどのが上手くやってくれたようだな」

「はい、彼の根回しにより、なんとか李傕たちも納得してくれたようです」

「あの無法者たちを御するとは、見事なものよ」


 周瑜の報告を受けた馬日磾が、感心するようにつぶやいている。

 実は最近、天子が長安を発ち、洛陽を目指して東遷とうせんを始めたのだ。

 これは前生でも発生した事態で、逃げてきた天子を曹操が保護した結果、中原の覇者へと近づいた。


 今生でも似たような状況になったわけだが、それらの説得と根回しを指揮したのが、賈詡という文官だ。

 この男、董卓の下で働いてはいたが、最初はそれほど目立たない存在だったらしい。

 しかし董卓が呂布に暗殺され、動揺した李傕ら残党は呂布に降伏しようとする。


 しかし賈詡はそれを思いとどまらせ、逆に長安への侵攻を提案した。

 すると長安はあっさりと陥落し、李傕たちが実権を握るようになったわけだ。

 その後もしばしば仲間割れする李傕や郭汜たちを、なんとかなだめているのが、この男なんだとか。


 馬日磾からそんな話を聞いた俺たちは、真っ先に賈詡と接触を持った。

 暴れん坊たちの手綱を握るほどの存在でありながら、彼は実に穏便な男であるようだ。

 それだけでなく不安定な現状を憂い、なんとかしたいとも思っていることも判明する。


 俺たちはこれ幸いと、賈詡を通して同志を募り、天子の東遷を実現させた。

 もちろん、天子を手元に置いておきたい李傕たちは、それを邪魔しようとする。

 しかし賈詡たちが口八丁手八丁で丸めこみ、見事に実現してみせた。


 これには俺たちが送った物資や資金も役立っている。

 人間、目先の利益には弱いからな。


 そして俺たちは、天子を出迎える準備も進めていた。


「陛下をお出迎えする軍勢は、いつ出す?」

「陛下が弘農郡へ入る直前を考えています。あまり早く動くと、李傕たちを警戒させますので」

「うむ、慎重にな」

「はい、お任せください」


 本来ならすぐにでもお出迎えしたいところだが、うかつに動くと李傕たちを煽り、天子を危険にさらしてしまうかもしれない。

 そうならないよう、動く時期は慎重に見極めねばならないのだ。

 もちろんこれは賈詡とも相談のうえだ。


 無事に天子を保護できれば、俺の野望はまた実現に近づく。

 先が楽しみだな。

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― 新着の感想 ―
[一言] 張遼は当然だけど 高順は?? 呂布ト゚ともに亡くなってるから 周瑜の記憶にもないからかな? 呂布軍団の中核は高順が担ってたみたいなんだけどね
[気になる点] 呂布が呆気なさすぎるのが気になりますね。 [一言] 更新楽しみにしています。
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