24.曹操の敗走
興平2年(195年)4月 兗州 済陰郡 定陶南方
曹操軍への仕込みが終わったので、俺たちはいよいよ決戦を挑むことにした。
「今日こそ、曹操と決着をつける! 諸君らの奮闘に期待している!」
「「「おお~~っ!!!」」」
出陣の軍鼓と銅鑼が響き渡り、3万を超える将兵が前進を始める。
俺の率いる本隊もそれに続き、陣地には後方支援を担う隊だけが残った。
まさに全力を賭した出撃だ。
それを察した敵軍も、動きだす。
本来なら陣地を盾に防戦するのが得策だが、あちらにはそうできない理由があった。
「例の仕込みは、ちゃんと機能してるようだな」
「ああ、ただでさえ士気が落ちてるし、援軍の当てもないからね。打って出るしかない」
「誘導されてると知りつつ、やらざるを得ないってか。さすがは周瑜、悪どいな」
「フフ、これが知略というものさ」
今回の決戦に当たり、守りに入られては敵わないと、俺たちは謀略を仕掛けてきた。
それは俺が陣頭に立つことを臭わせて、敵の奇襲を誘うというものだ。
このためにしばしば俺は敵前に姿をさらし、上手くやれば首を取れるのではないかと思わせた。
加えて”自軍に余裕がないため、俺が出ることで犠牲を抑えようとしている”、という噂も流してある。
実際に俺の率いる部隊は最精鋭であり、しばしば敵に痛打を与えていた。
そうして大将首がのこのこ出てくるならば、敵がそれを狙わないはずがない。
まあ、言うのは簡単だが、敵に怪しまれずに追いこむのは、けっこう大変だったらしい。
この辺は郭嘉と荀攸が、知恵を絞ってくれたとか。
ほんと、味方でよかったぜ。
こうして始まった決戦の序盤は、互いに様子見をしているせいか、わりと静かに推移していた
しかしいよいよ俺が前線へ出張ると、一気に事態が動きだす。
「うわ、なんか敵も動きだしましたよ」
「そりゃそうだろ。そのための出陣だ」
「もう~、大将が自分を囮にするだなんて、やめてくださいよ!」
「そう言うなって。これが味方の損害を減らす、一番の方法なんだから」
「それを守る身にもなってくださいよ!」
「ハハハ、それは諦めろ」
護衛の孫河がぶつぶつと愚痴をこぼしてくる。
俺の出陣を知った敵軍が、次々と押し寄せ、圧力が高まっているからだ。
まだ危険を覚えるほどではないが、後方に居るのとは段違いだ。
そんな戦場に身を置きながら、俺は悠然と指揮を執っていた。
厳密にいうと、そう見せかけているだけだが。
今回の決戦については、周瑜たちと十分に話し合っていた。
しかし戦場では何があるか分からないし、相手はあの曹操なのだ。
さすがの俺も、これだけ大規模な戦で陣頭に立った経験はない。
しかも敵を引きつけるため、わざと前に出てるんだから、怖くないと言えば嘘になる。
しかしそうでありながらも、俺はなんとなく楽観していた。
それは思うに、やはり一度死んだからだろう。
前生ではうかつな行動をして命を失い、周りにも迷惑を掛けた。
俺と周瑜はそれを振り返り、何が悪かったのか、どうすれば良かったのかを話し合った。
そんな中で出たひとつの答えは、もっと上手く人を使うことだった。
今生で改めて思ったが、俺の周りには有能な人材がたくさんいる。
しかし人には向き不向きというものがあり、どんな仕事を任せるかで結果は大きく異なってくる。
つまり俺はもっと配下を知り、そして配下に俺の考えを伝える必要があるのだ。
これは実践してみると、なかなかに困難だった。
それでも折につけて実践していたおかげで、少しは軍団に浸透したようだ。
今では程普、黄蓋を筆頭に、韓当や朱治、太史慈、凌操、周泰、蒋欽といった将たちも、自分が何をすべきかを考え、行動している。
おかげで味方の連携は良くなり、わりと安心して見ていられるようになってきた。
まあ、孫河にはちょっと苦労を掛けてるけどな。
その後、俺の部隊は最前線に留まり、グイグイと敵を圧迫していった。
その先頭に立つのは許褚で、怪力を遺憾なく発揮している。
一見すると敵はなんとか耐えているだけで、勝利は間近に見えるほどだ。
「……なんか調子いいけど、前に出過ぎじゃないですか? 俺たち」
「ああ、見事なもんだな。苦戦してるように見えて、要所はしっかり押さえてる。おかげで見事に釣り出された」
「何、落ち着いてるんですか! 後退しなきゃ」
「大丈夫だって。こっちだって、ある程度は承知のうえだ」
「それにしたって……」
孫河が心配するように、俺たちは前に出すぎていた。
これを狙ってやったとすれば、曹操という奴は本当に凄い男だ。
そんな状況に俺は、ヒリヒリするような緊張を感じていた。
そしてとうとう、状況が動く。
「左翼後方より、敵騎兵隊!」
「敵軍中央でにわかに攻勢!」
「その他の敵部隊も、我が隊を囲むように動いています!」
立て続けの報告に、孫河が慌てる。
「うわ、孫策さま。早く逃げないと」
「大丈夫だって。そろそろ指示が……ほら来た」
彼を宥めていると、後方から軍鼓と銅鑼の音が響いてきた。
それは独特の符丁を含んだもので、周瑜から各隊の指揮官への指示だった。
あらかじめ指揮官には、いくつかの想定を伝えてあって、状況に応じてそれを実行するわけだ。
「それ、周囲も動きだしたぞ。俺たちはなんとしても耐えるんだ」
「ううっ、俺たちが一番、きつくないっすか」
孫河は愚痴をこぼしつつも、しっかりと配下を指揮し、俺の周りの守りを固めている。
俺はそれを横目に見ながら、弓矢で味方を援護する。
最近は俺の弓の腕が知れ渡り、敵の指揮官もうかつに姿を見せなくなった。
以前はちょくちょく、指揮官を討ち取れてたんだがな。
それでも遠くから射たれるかもしれないと思わせるだけで、敵の動きを牽制できる。
なにしろ俺の弓は特別製で、通常の5割増しの飛距離があるからな。
おまけに狙いもわりと正確だ。
おっと、許褚が狙われてるな。
ちょっと牽制っと。
そうこうしているうちに、また軍鼓と銅鑼で指示が出された。
どうやら敵による騎兵の奇襲や、包囲網はつぶせたようだ。
「よし、孫河。前に出るぞ」
「うえっ、マジですか?」
「マジだよ」
俺は弓を従者に預け、代わりに槍を受け取る。
それをしごきながら、悠々と前進すると、周囲の護衛たちも付き従った。
本来ならこんなに危ないこと、するべきじゃないんだが、ここが無理のしどころだ。
俺は許褚の横に付けると、槍を振るいながら話しかけた。
「このまま一気に突き崩すぞ。疲れてるだろうが、踏んばれ」
「……うす」
俺の激励が効いたのか、許褚がまた暴れはじめる。
その勢いは留まるところを知らず、やがて曹操軍の敗走が始まった。




