23.敵軍の切り崩し
興平2年(195年)3月 兗州 済陰郡 定陶南方
兗州に攻めこんだ俺たちだったが、曹操自らが率いる大軍に出迎えられる。
序盤こそ激しい戦いがあったものの、次第に手数は減り、戦況は膠着していた。
「敵の状況は?」
「陣地に引っこんで、濠や柵の増強に励んでるようだね」
「こっちと同じか」
「まあ、そうだね」
今は互いに陣地を強化し、隙をうかがっている状況だった。
しかしそれは表面的な話で、水面下では別の戦いも進行していた。
「それで、諜報戦の手応えはどんなもんだ?」
「今はまだ、敵の情報を集めてるところさ。謀略については、もう少し先になるだろうね」
「ふうん……どんなことを考えてるんだ?」
「そりゃまあ、いろいろさ」
「俺にぐらい、教えろよ」
「まだ秘密だ。謀は密なるをもってよしとす、だからね」
「悪そうな顔してるなぁ」
そう言う周瑜は、悪辣な笑顔を浮かべている。
彼だけでなく、郭嘉や荀攸も一緒になって、謀略を温めているらしい。
はたしてどんな企みをしているのやら。
それを無理に聞き出さないのは、彼らを信用しているからだ。
前生の経験を持つ周瑜だけでなく、中原の覇者の軍師たちもついているのだ。
そうそう下手は打つまい。
まあ、俺がやらなきゃいけないことは、いくらでもあるからな。
こういうのは得意な奴に任せて、成果を待つってわけだ。
数日間のにらみ合いの後、ようやく動きが出てきた。
「呂布の存在が、浮いてきてるのか」
「ああ、郭嘉どのから説明してもらおう」
「かしこまりました」
周瑜に振られ、郭嘉が平然と説明を始める。
「まず、呂布の情報を集めたところ、彼は最初、袁紹のところにいたそうです。しかし勝手が過ぎたらしく、やがて袁紹に疎まれはじめます。ちょうどこの頃、曹操が大敗を喫し、戦力の再編に取り組んでいるという話が耳に入ったんでしょう。そこで味方の応援という形で出奔し、曹操陣営に加わったそうです」
「……その話からすると、どうにも使いにくい人物のようだな」
「ええ、まさしく。袁紹も苦労したでしょうね。しかし戦力としては申し分ないため、曹操軍の立て直しには貢献したようです。ただやはり自負心が強いのか、単純に曹操の配下になったわけではなく、客将として仕えています」
「ほう、それは付け入る隙がありそうだな」
「はい、私もそれに目をつけました」
郭嘉はニヤリと笑うと、話を続ける。
「そこで密偵を使って、呂布の周辺に噂を流しました。丁原や董卓を裏切った話や、袁紹の下で好き勝手していた話などです。これにより、兵士からの信頼が低下しています」
「兵士だけか?」
「もちろん、隊長格の者たちも、不信感を募らせているようです。結果、呂布の存在が浮きつつあると」
「なるほど。それはそれで利用できそうだが、肝心の曹操は?」
「さすがに器が大きいのか、まだ鷹揚に構えているとのことです。しかし、時間の問題でしょう」
「う~ん、でもまだ時間が掛かりそうだな……」
すると荀攸が口を挟んだ。
「それですが、ここはあえて時間を掛けるべきかと」
「時間を掛けるって、どれくらいだ? あえて強攻を進言した立場上、あまり手間取るのはまずいんだが」
「ひと月ほど時間をもらえますでしょうか。それぐらいあれば敵兵の士気にも、かなりの衰えが見えてくるはずです」
「ひと月か……」
迷って周瑜の方を見れば、彼もうなずいている。
「呂布の離間策だけでなく、敵兵が不安になるような噂をばら撒くつもりだ。その間、こちらは防御重視で、敵の嫌がる行動に徹する。逆に今、積極的に攻めても、こちらの被害も相当なものになるよ」
「それはたしかにそうだろうが……曹操を相手に、そんな消極的で大丈夫かな?」
「あっちはこちら以上に苦しいはずさ。四方を敵に囲まれてるうえに、援軍の見込みなんてないんだ。それこそ死にものぐるいで、抵抗してくるだろう。今は敵の力を弱める方針に、徹するべきだ」
周瑜の言葉に、郭嘉も荀攸もうなずいている。
どうやら軍師たちの間では、しっかりと話し合われているようだ。
ここは彼らを信頼し、任せるべきだろう。
「分かった。貴殿らに任せる」
「フフフ、任せておいてくれ」
「フッ、奴らを分断してやりますよ」
「お任せを」
そう言って彼らは、自信を見せていた。
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興平2年(195年)4月 兗州 済陰郡 定陶南方
それから俺たちはひと月の間、防御重視の構えに徹していた。
陣地の強化に励む一方で、偵察と嫌がらせを繰り返す。
対する敵も最初は様子を窺っていたが、やがて大規模な攻勢を仕掛けてきた。
こちらも受けて立ったが、あくまで受け身だ。
陣地から大きく前進することもないので、敵の罠にはまることもない。
たまに奇襲的な作戦も仕掛けられたが、その度に跳ね返してやった。
俺もけっこう活躍したぜ。
こういうのには鼻が利くからな、俺は。
それでもひと月も戦っていれば、馬鹿にならない死傷者が出る。
しかし俺たちの背後には、豫州、徐州、揚州が付いている。
それぞれに安定し、正式な州牧に統治された地からは、新たな兵や物資が運ばれてくる。
実は敵軍による妨害もけっこう受けてるのだが、それも織り込んだうえでの体制ができている。
おかげで多少は新兵が増えたものの、俺たちは戦力を維持していた。
対する曹操には、兗州と冀州しかない。
しかも冀州は公孫瓚に圧迫されており、曹操に援軍を送る余裕も少ない。
つまり曹操軍は確実に消耗しているはずで、しかもそれ以上の事態も進行していた。
「呂布がますます孤立しています。さらには他の武将たちにも、不信感が募っています」
「一般兵士の間にも不安感が増し、動きが悪くなっています」
それぞれ郭嘉と荀攸の報告だ。
彼らにはもっぱら謀略に励んでもらい、その結果が出てきたわけだ。
わざわざひと月も待った甲斐がある。
「一体、どんな手を使ったんだ?」
「別に大したことはしておりませぬ。ちょっと事実を脚色して広めただけ」
「そうですな。敵陣営が苦しいのは事実。それを少し大げさに伝えるだけです」
俺の質問に、彼らはうっすらと笑いを返す。
ちょっと詳しく聞いてみると、例えば呂布の場合は、
”呂布はしばしば見知らぬ人間と会っている。また主君を裏切るのではないか?”
”いまだに客将として戦っているのは、いざという時に逃げ出すためではないか?”
なんて話を広めてるそうだ。
さらに一般兵士の場合は、
”袁紹も冀州の防衛で手いっぱいで、援軍の当てはない。対する敵は中央から援軍が来るらしい”
”敵の奮武将軍 孫策は若いのに似合わず戦が上手い。今はじわじわとこっちの戦力を削って、いずれ一気に攻めてくるだろう”
なんて感じだ。
これらの工作によって、呂布は敵陣営の中で浮き、兵士たちの間には不安、不満が高まっているという。
この状況を受けて、周瑜から提案があった。
「将軍。機は熟しました。本格攻勢に取り掛かりましょう」
「いよいよだな。しかしただ攻めるだけでは、時間も掛かるし、犠牲も大きい。その辺はどうする?」
「はっ、そのための仕込みもしてあります。必ずや、将軍に大勝利をもたらしてみせましょう」
「分かった。よろしく頼むぞ」
こうして俺たちは、曹操に決戦を挑むことにした。




