2.周瑜の新戦略
初平3年(192年)12月 揚州 廬江郡 舒
何が起こったかは分からないが、俺と周瑜は一度死んでから、過去へ逆戻りしたらしい。
そんな認識を共有した俺たちは、この世界に逆襲してやろうと意気込んだ。
「しかし逆襲するにしても、一体どうする? 俺もお前も、大した力は持っちゃいない。前の人生、え~と……とりあえず前生と呼ぶか。前生のように袁術のおっさんに臣従して、江東を切り取るか?」
すると周瑜は首を横に振りながら、構想を語る。
「いや、それでは前生と同じようになってしまう可能性が高い。それぐらいなら、思いきった手を打ったほうがいい」
「思いきった手って、どんなのだよ?」
「たしか君は、朝廷から派遣された馬日磾さまから、懐義校尉に任命されていたよね?」
「ん?……ああ、そんなこともあったな。袁術のおっさんに強要されて、馬日磾さまが官職を授けてくれたんだ。まあ、見せかけだけの官職だったけどな」
馬日磾とは、太傅という重職(3公のさらに上)に就き、中原の混乱を収めるために派遣された御仁である。
彼はこの頃、袁紹・曹操陣営を押さえこむため、中原の有力者に協力を要請していた。
その一環として、袁術にも協力を求めようと、やがて寿春を訪れることになる。
しかし袁術は馬日磾の節(使者の証)を奪ったうえ、自分の部下に官職を授けるよう、脅迫するという暴挙におよぶのだ。
俺もそのおこぼれで、懐義校尉に任命されるのだが、改めて考えると無茶苦茶な話である。
この時、いかに朝廷の権威が衰えていたのか、そして袁術が調子に乗っていたのかが分かる話だ。
しかしそれが一体、どうしたってんだろう。
「馬日磾さまは来年、徐州で陶謙に会ってから、寿春へ来るはずだ。その時に袁術に節を奪われたうえ、身柄を拘束される。そして君たちに官職を与えることになるわけだが、その後は屈辱のあまり憤死したと聞く。そんな馬日磾さまを、僕たちが救うんだよ」
「おいおい、そんなことできるのかよ?」
「簡単ではないだろうが、やりようによっては可能性がある。それにこうでもしない限り、前生と似たような状況になってしまうよ」
「う~ん、それもそうだな……」
たしかに馬日磾ほどの人物を、味方にできれば心強い。
彼は天子さまの勅命(実際は李傕の意向)により、中原の混乱を収めるべく遣わされた要人なのだから。
その権威は決して小さなものでなく、大きな後ろ盾になり得るだろう。
しかし現実問題として、俺たちには袁術に対抗できるような戦力がない。
その辺を指摘すると、周瑜は開き直ったように言う。
「まずは袁術と接触する前に、馬日磾さまに会う必要がある。そのうえで説得できればよし。できなくとも、袁術の捕虜になるのを防ぐ手を考えよう」
「う~ん……どっちにしろ、戦力は必要だよな?」
「ああ、だけど戦力なら、もうじき手に入るじゃないか」
「はぁ? そんなもんがあったら……待てよ。賁兄貴の手勢のことか?」
「ああ、そうさ」
周瑜がいたずらっぽく肯定するが、事はそんなに簡単ではない。
賁兄貴とは親父の兄貴の息子、つまり俺の従兄弟に当たる孫賁だ。
年齢は俺より7つ上で、叔父の呉景と一緒に、孫堅軍団の中核を担っていた。
そして親父が死んでから、その軍団を引き継いだのが、孫賁というわけだ。
しかし前生の記憶では、兄貴はそのまま袁術の配下となり、軍団もそこに吸収されてしまう。
後に俺は、その軍団の一部を取り戻すものの、今は他人の配下にすぎない連中なのだ。
「兄貴の手勢は、そのまま袁術の傘下に入るんだぞ。味方どころか、敵になってもおかしくないんじゃないか?」
「だからこそ、それを君が説得するんだよ。どうせ孫堅さまの葬儀で会えるんだろう?」
「いや、そうだけどさ――」
「孫策!」
「お、おう」
俺がなおもためらっていると、周瑜が正面から見据えて、名を呼んだ。
その声に押されて目を合わせると、彼は諭すように言う。
「君はすでに、ただの子供じゃないんだ。数々の戦闘を生き残り、江東の小覇王と呼ばれたほどの英傑なんだよ。決して孫賁ごときに、劣るものではないだろう?」
「あ、う……そ、そうか……そうだな。俺はもう、あの時の無力なガキじゃないんだった。なら孫賁を説き伏せることも、できるかもしれないな」
「かもしれないじゃないさ。君にならできる」
「ハハハ……まあ、いざとなったら、腕ずくっていう手もあるしな」
どうやら俺は、思わぬ状況に尻込みしていたらしい。
しかし俺にはこの先、何年も戦い続けた経験がある。
おかげで腕っ節はそうとうに強くなってるし、兵士を従わせる振る舞い方だって身についてるはずだ。
ならば孫賁や呉景と対面した時、彼らをこちらに引き込むことも、そう難しくはないだろう。
彼らの性分や考え方も、ある程度は分かってるしな。
しかし仮に軍勢を手に入れても、それを維持するのは簡単なことではない。
「上手いこと軍勢を手に入れたとして、それを維持できるか? うちには大して金はないぞ」
「それなら大丈夫。当面は我が家で支えるし、協力者も募るつもりだからね」
俺の問いに、周瑜は自信満々に答える。
しかしそんなに上手くいくものだろうか?
「協力者なんて、そんなに都合よく出てくるか? なんて言って誘うんだよ?」
「すでに揚州刺史の陳温さまは亡くなっている。その混乱につけこんで、袁紹や袁術が手を伸ばしてくるのは知っているだろう? そんな外からの脅威に備えるためと言えば、賛同する家もあるさ。一応、我が家には、それなりの権威があるからね」
周瑜はそう言って笑うが、廬江周家がそれなり程度の権威であるはずがない。
その声望には江東でも最大級のものがあるのだから、周瑜がやると言えば、なんとかなるのだろう。
それにしても、この短時間でこれだけのことを考えるのだから、やはり大した男である。
「なるほどな。そこまで考えているんなら、俺も乗ろうじゃないか。まずは親父の残党の掌握だな」
「ああ、僕はそれを支える体制を作るよ」
「そしてなんとか馬日磾を味方に取りこんで、まずは揚州に基盤を作るってことだな」
「そうそう。大丈夫。君にならできるさ」
「ああ、お前と一緒なら、なんだってできるような気がするよ。不思議なもんだな」
そうだ。
前生でもそう思っていた。
周瑜と一緒なら、どこまでも走っていけると。
しかし愚かな俺は、つまらないことで命を落とし、周りに迷惑をかけた。
周瑜がどれだけ俺を惜しみ、悲しんでくれたかってのも、想像するに余りある。
今生ではそんなことにならないよう、気を引き締めなきゃ。
そして前生では届かなかった高みを、目指してやろうじゃないか。