幕間: 郭嘉は引きこもれない
私の名は郭嘉 奉孝。
潁川郡は陽翟に隠棲する、エセ賢者だ。
こう言ってはなんだが、私は頭が良い。
小さい頃から物覚えが良かったし、人の心の機微も察せられる。
しかしなまじ頭が回るばかりに、人付き合いが下手だった。
ほとんどの人間が、馬鹿に見えて仕方ないからだ。
馬鹿の相手をするのは疲れるので、どうしても愛想が悪くなる。
結果、私は周りの人々に嫌われ、世捨て人のように過ごしていた。
しかし最近は、どうにも国内が騒がしい。
まず大将軍の何進が殺されると、代わりに董卓という田舎者が朝廷を牛耳った。
董卓はそれほどひどい男ではなかったのだが、関東の名士たちには嫌われたらしい。
おかげであらぬ噂を立てられ、気づけば反董卓連合などという反乱軍ができていた。
もっとも、董卓もさるもので、軍事的には上手く立ち回り、洛陽から長安へ遷都してしまった。
純粋な軍事面で見れば、それは決して悪い手ではない。
しかし反乱軍を放置したうえに、洛陽という政治・経済の中枢を破壊してしまった。
おかげで中原には反乱分子が跋扈し、地方との連絡も寸断してしまう。
董卓は自分が、漢王朝の統治機構を決定的に破壊したと、理解しているであろうか。
いや、できてはいないだろうな。
聞けば董卓は郿城という要塞を築き、そこに富を集めて引きこもったとか。
自分がやらかしたことを理解していれば、そんな事にはならないだろう。
案の定、じきに董卓は暗殺され、朝廷の主宰者はコロコロと入れ替わった。
今は李傕とかいう男が牛耳っているらしいが、いつまでも続くものか。
そんな事件が起こっている間、私は何をしていたかといえば、仕えるべき人物を探していた。
最近は冀州で勢力を伸ばしているという、袁紹を見にいった。
以前は何進大将軍の下で活躍していたというから、どんな大物かと期待していたが、それは裏切られる。
彼は名士にへりくだって、大物を気取っているが、人の使い方が分かっていない。
それにあれこれと手を出すわりに、肝心かなめの部分をおさえておらず、策を弄するばかりで決断が伴わない。
あれでは到底、中原に覇を唱えることなどできぬであろう。
私は旧知の郭図や辛評にそれを伝え、袁紹の下を辞した。
それからまた隠棲の日々を送っていたら、思わぬ人物の訪問を受ける。
「周瑜 公瑾と申します。郭嘉どのの評判を聞いて、お話をうかがいに参りました」
「……」
そいつはちょっと見ないぐらいの美貌と、武人としての風格を併せ持った男だった。
年は俺よりも下だろうが、頭はかなり切れると見た。
こいつが噂に聞く、孫将軍の片腕か。
「今をときめく孫軍団の重鎮が、なぜにこのようなあばら家へ?」
「ご存知のとおり、我が軍は常に人材不足な状態。そのため各地で、隠れた才人を探しております。この陽翟にて貴殿の噂を聞き、お誘いにまいった次第です」
「ほう、この私を孫軍団に?」
「はい」
その後もしばし言葉を交わしたが、やはりこいつは相当にできる。
これほどの男が支える孫策という男は、どのような人物であろうか?
気がつけば私は、孫策に会うことになっていた。
「郭嘉 奉孝という」
「……討逆将軍の、孫策 伯符だ」
「ふ~ん、あんたが?」
孫策は周瑜ほどではないが、さわやかで魅力的な風貌の男だ。
その体躯はしなやかでたくましく、より男性的に見える。
おそらく兵士や武将にとっては、理想的な大将になり得るだろう。
それがねたましくて、ちょっと意地悪な話をしたのだが、彼は堂々と受け答えする。
俺よりも年下のくせに、ずっと大きな視点を持っているようだ。
これが王者の器というものか?
「そんだけ自信があるなら、俺を助けてくれよ。そしたらこの中華を、もっと早く平和にできる。そしてより多くの民が、幸せになれるだろう?」
「はっ、お前みたいな若造が、中華を束ねるだと? しかも民を幸せにするとか、どんだけおめでたいんだ」
「なんだよ。そんな夢を見ちゃ、いけねえか?」
「……す、少し考えさせてくれ。こういう事は、勢いで決めると後悔するからな」
「ああ、期待して待ってるぜ」
「フンッ、またな」
結局、勧誘を断りきれなかった。
考えると言いながら、俺の心はもう決まっている。
これから俺は、あいつの下で働くことになるだろう。
あ~あ、この気楽な生活とも、しばらくお別れか。
きっとあいつは俺を、こき使うんだろうな。
だがそれ以上に大きな満足感を、得られそうな気がする。
そんな予感に俺は、胸をふくらませていた。