19.潁川での出会い
興平元年(194年)8月 豫州 潁川郡 陽翟
なんとか汝南郡を平定したら、今度は潁川郡の番だ。
豫州軍とは分かれていたものの、さすがに汝南ほど荒れてないので、鎮圧はわりと順調に進む。
そうして中央部の陽翟という都市で休養していると、周瑜がとある人物を連れてきた。
「郭嘉 奉孝という」
「……討逆将軍の、孫策 伯符だ」
「ふ~ん、あんたが?」
郭嘉と名乗った男は、無遠慮に俺を観察する。
そいつはほっそりとした優男で、年は俺より少し上のようだ。
頭は切れそうだが、傲慢な態度を隠そうともしない。
正直いって、あまり好きになれない男に見えた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、周瑜が彼のことを紹介する。
「この町の名士層に接触したら、彼の噂を聞いたんだ。なかなかに才気煥発な人物らしいよ」
「才気煥発ねえ。たしかにうちは人手不足だから、優秀な人材は欲しいな。郭嘉どのはうちで働くつもりが、おありかな?」
「……そいつはあんた次第だな。俺は負け組につくつもりはないんだ」
「ずいぶんと上から目線だな。俺はこれでも、けっこうな戦功を挙げている。徐州や汝南での戦いについては、あんたも聞いてるだろう」
「たしかに耳に入ってきてはいるが、噂だけでは判断できんさ」
そんなやり取りをしていたら、ますます彼が嫌いになってきた。
不満な視線を周瑜に向けると、彼が手招きする。
そこで彼に近寄ると、耳元でささやかれた。
「彼は前生で、曹操の軍師をやっていた男なんだ。曹操の中原制覇に、かなり貢献したらしいよ」
「なんだと! なんでそんな男がここにいる?」
「ここは彼の出身地なんだ。ここで捕まえておかないと、きっと後悔するよ」
「ぐぬぬぬ……」
部屋の隅でそんな話をしていたので、郭嘉が訝しそうにしている。
そこで彼の前に戻り、咳払いしながら会話を続けた。
「ゴホン……失礼。ちょっと事情を聞いていたんでな。貴殿はなかなか優秀なようだが、今の中原の様子をどう見ている?」
「……不敬を承知で言えば、朝廷の統治機構はほとんど壊れている。反董卓連合なんて連中がのさばっても、討伐する力すらないし、洛陽も破壊してしまった。このままでは群雄が割拠するだけで、容易にまとまらないだろう」
「しかし今は馬日磾さまの下に、団結しようとしている。袁紹と曹操をなんとかすれば、それなりに平和になるかもしれんぞ」
すると郭嘉はそれを、鼻で笑い飛ばした。
「フンッ、本当にそうなれば良いがな。長安では董卓軍の残党どもが、好き勝手に争っているらしいじゃないか。結局は勝った側が力を持ち、また専横を働くようにしか思えんよ」
「ずいぶんと悲観的なんだな?」
「そうならざるを得んだろう」
たしかに、郭嘉の言うことにも一理ある。
仮にこのまま袁紹や曹操を降しても、董卓軍の残党どもが残っている。
そいつらを排除しても、後に続こうとする者が出てくる可能性は高い。
ひと昔前の漢王朝だったら、そんな反乱分子は簡単に始末できたはずだ。
しかし今の朝廷にそんな力が無いことは、すでに明らかになってしまった。
簡単に中原が静かになるだなんて、思えないよな。
かくいう俺だって、あわよくば利権をかっさらって、成り上がろうとしているんだ。
しかしそれで一番こまるのは、戦乱に翻弄される民なんだよなぁ。
俺だって、今でこそ将軍でございと威張っているが、元は大した生まれじゃない。
もっと大きな視点で、やれることはないものか?
「なあ、郭嘉。この中原を、いや中華全体を平和に戻すには、どうすればいいんだろうな?」
「……それにはやはり、秦の皇帝か、漢の高祖のような英雄によって、再統一するしかないんじゃないか」
「やっぱりそう思うか……実は俺も、この中華に覇を唱えんと、大それた野望を持っているんだ。もしよければ、あんたも手伝ってくれないかな?」
「はぁ?」
俺が野望をぶっちゃけたら、郭嘉は呆れた顔をする。
そりゃあ、こんな若造が偉そうなこと言っても、現実味がないよな。
だけど俺は構わずに続ける。
「覇を唱えるって言ったって、帝位を簒奪するとかじゃないぜ。ちゃんと天子さまを立てて、そのご政道をお手伝いするんだ。ま、その過程で反乱分子の討伐は避けられないからな。俺が中華で最強の男になるって道は、あるだろう」
「プッ、クハハ……ワハハハハハ!」
すると郭嘉が狂ったように笑いだした。
この野郎、俺が真面目に言ってるのに、それを笑いやがって。
一発なぐってやろうかと考えていたら、ヤツが笑いをこらえて語りだす。
「プッ、ククク……まったく、子供みたいなことを言うヤツだな。しかし現実にあんたは揚州、徐州、そしてこの豫州でも成果を出している。その功績に免じて、少し真面目な話をしよう。あんたは本気で、この漢王朝を立て直せると思っているのか?」
「もちろん簡単にできるとは思ってないが、不可能じゃないだろう。逆に新たな王朝を建てようだなんて、どれほどの困難が待っているか。それに比べりゃあ、よほど現実味があると思うがな」
「ふむ……多少は現実が見えているか。しかし天子さまが正しい政治を行えるとは、限らないのだぞ。実際に今の天子さまは、董卓が擁立した傀儡だと言われている。董卓の死後も、長安で残党がのさばっているだけなのが、そのいい証拠だ。仮にあんたが活躍しても、美味しいところはかっさらわれちまうんじゃないか?」
そう言う郭嘉の顔は、面白くもない教えを諭す、師父のようだった。
しかしただの世捨て人であれば、こんな話はしまい。
「ああ、その可能性は高いな。だけどそれは、戦うことばかり考えてた場合だ。こう見えて俺は、優秀な配下を多く抱えてるんだぜ。歴史に学んでもしもに備えれば、やられっぱなしにはならないだろ?」
「フフン、本当に学ぶことができればな」
「なんでそんなに悲観的なんだよ? 俺と大して、年は違わないだろうに」
「それだけ嫌なものを、見てきたんだよ」
「ふうん……」
そう言いながらも郭嘉は、全てを諦めている風ではなかった。
どちらかというと誘ってほしげに見えたので、さらに誘ってみる。
「そんだけ自信があるなら、俺を助けてくれよ。そしたらこの中華を、もっと早く平和にできる。そしてより多くの民が、幸せになれるだろう?」
「はっ、お前みたいな若造が、中華を束ねるだと? しかも民を幸せにするとか、どんだけおめでたいんだ」
「なんだよ。そんな夢を見ちゃ、いけねえか?」
そう言って郭嘉の目をのぞき込むと、彼がひるんだ。
「……す、少し考えさせてくれ。こういう事は、勢いで決めると後悔するからな」
「ああ、期待して待ってるぜ」
「フンッ、またな」
そんな捨て台詞を残して、郭嘉が去っていく。
そして静かになった部屋では、周瑜がニヤニヤと笑っていた。
「なんだよ、周瑜。ニヤニヤしやがって」
「フフフ、孫策は本当に人をたらし込むのが上手いなあ、と思ってさ」
「たらし込むって、人聞きが悪いな」
「いやいや、ああも簡単に郭嘉が落ちるなんて、想像してなかったよ」
「別にまだ、落ちてねえぞ」
「いや、あれは落ちたね。近日中に、仕官を申し出てくるさ。まあ、素直な言い方はしないだろうけど」
「まあ、そうなったらいいな。ところで、あんなヤツがここにいるなんて、よく知ってたな」
すると周瑜は俺の前に座り、事情を語る。
「いや、ここに居るとは知らなかったんだ。だけど前生で、曹操の配下について、調べたことがあってね。潁川の出身者に、優秀な者が多かった。その筆頭が荀彧といって、おそらく彼の伝手で招聘されたんだろうね。他に郭嘉や荀攸、陳羣なんてのが居た」
「ああ、そういうことか。そいつらを探してたら、郭嘉が引っ掛かったと」
「そう。実際に話してみて、かなり切れる男だと感じた。曹操の覇道に貢献したと聞いても、驚きはないね」
「なるほど。彼を確保できれば、我が陣営を強化しつつ、曹操の力を弱めることにもつながるんだな」
「そういうこと。徐州で撃退したと言っても、曹操は侮れないからね。今後もできることは、やっていくつもりさ」
「さすがは俺の相棒」
「光栄の至り」
「「ハハハハハ」」
さすがは周瑜、抜け目がない。
だがそうでもしないと、中華に覇を唱えるなんて、とてもできないからな。
今後もよろしく頼むぜ、相棒。