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逆襲の孫策 ~断金コンビが築く呉王朝~  作者: 青雲あゆむ
第2章 中原南部平定編
23/43

18.汝南郡の平定(地図あり)

興平元年(194年)1月 豫州 汝南郡 平輿へいよ


 前生での仲間たちや、許褚きょちょといった新入りを加えることで、孫軍団の体制も整った。

 その勢いで平輿へいよへ進軍し、改めて郡全体の各勢力へ恭順を促す。


 本来ならここは汝南郡の都であり、太守が存在しているはずだった。

 しかし霊帝の崩御、董卓政権への反乱、董卓の暗殺など、ここ数年で起きた事件で、中原は混乱しっぱなしである。

 おかげで各地の統治機構は機能せず、この汝南も空白地となっていた。


 いや、それでも今年の夏までは、袁術の影響下で多少は治まっていたらしい。

 それが俺たちとの戦闘で、袁術の勢力は大きく減退してしまった。

 そのため黄巾賊の残党やら軍閥やらが、勝手に動きはじめたようだ。

 おかげで汝南郡は、前生以上の混沌の地と化しているわけである。


 しかしそれだけに、俺たちが平輿入りした影響は大きかった。

 すでに強力な黄巾残党だった、何儀かぎを討ち取っている。

 さらに太傅 馬日磾ばじつていと、豫州刺史 郭貢の後ろ盾も得ていることが、認知されつつあった。

 おかげで周辺の官吏や有力者が、続々とすり寄ってきた。


「平輿の県令 舒紹じょしょうと申します。以後よしなに」

新蔡しんさいの県令閣下の名代として参上しました」

南頓なんとんより遣わされてきました。県令さまは孫将軍を頼りにしております」

上蔡じょうさいも――」

安城あんじょうの――」


 布告に際し、郡内の治安回復に力を貸すことは約束していた。

 おかげで各地から使者が来訪し、兵力の派遣をねだる始末だ。

 あらかじめ予想していたとはいえ、なかなかにうっとうしい。


 しかし現在の汝南は賊徒や軍閥が割拠し、財産を脅かされたり、交通を遮断されたりしている。

 そのため、利用できるものならば、なんでもすがりたいのだろう。

 そんな奴らを適当にあしらっているうちに、ちょっと毛色の違う訪問者があった。


汝陽じょようより参りました。袁忠えんちゅう 正甫せいほと申します」

「おお、汝南袁家の。遠路はるばる、ご苦労さまです」

「いえいえ、将軍のご苦労に比べれば、大したこともございません」


 そう言って笑うのは、汝南袁家の直系だった。

 袁家は汝陽に端を発し、この国の名士層の多くに影響力を持つ名門だ。

 しかし袁隗えんかい(太傅)、袁基えんき(太僕)といった主流派は、袁紹が反董卓連合の盟主になったせいで、3族皆殺しにされている。

 そりゃあ、反乱軍を堂々と主宰されたら、董卓もブチ切れるよな。


 その後は袁術の兵力を背景に、勢力を盛り返そうとしていたようだが、今度は袁術がコケた。

 今は汝陽の周辺を守るだけで、精一杯だろう。

 そう言えば、袁術のおっさんはどうしてるのかな?


「ちなみに袁術どのは、今どのような状況か、お分かりになりますか?」

「はて、家門に泥を塗った自覚があるのか、とんと汝陽へは寄り付きませんので」

「そうですか」


 どうやら、袁家の方から接触は避けてるようだな。

 しかし油断はできないから、後で周瑜に調べてもらおう。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


興平元年(194年)7月 豫州 汝南郡 平輿へいよ


 あれから俺たちは汝南の西部、北部の各地に兵を送り、治安回復に努めた。

 時には黄巾残党が大挙して歯向かってきたので、俺も大軍を率いて迎え撃った。

 この頃になると、俺の勇名も浸透しており、豫州の兵でさえよく従ってくれる。


 その結果、余裕をもって勝利することができた。

 最後はまた攻城戦となったが、例の特弓兵と決死隊を使って押しきった。

 俺もがんばって働いたぜ。


 かくして半年後には、汝南平定を祝う宴を開くことができたのだ。


「汝南郡の平定を祝して、乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 汝南の名士たちが、にこやかに乾杯している。

 俺も功労者として出席し、酒や料理を楽しんでいると、今回の主催者がやってきた。


「宴を楽しんでおられますかな? 孫将軍」

「はい、見事な酒や料理、存分に味わっております。太守閣下」

「それはなにより。なんと言っても、汝南郡の平定は将軍あってのものですからな」

「いえ、これも華歆かきんさまのご威徳によるものでしょう」

「ははは、そう言ってもらえるのは嬉しいですな」


 この華歆は馬日磾の配下であり、汝南郡の太守として送りこまれてきた。

 前生でも馬日磾の巡行に同行していて、豫章郡の太守になっていた。

 その後、俺が豫章を平定すると、おとなしく降伏して、よく働いてくれた記憶がある。


 そんな優秀な男が来たもんだから、汝南の統治が円滑に進むようになった。

 おかげで賊徒の討伐はやりやすくなったし、汝南の復興も進みつつある。

 つまり互いに協力関係にあるわけで、それなりに親しくなっていた。


「聞けば将軍は、これから潁川郡に進むそうですな」

「はい、郭貢かくこうさまも動かれるのですが、潁川だけは頼むと言われまして」


 最大の難関であった汝南郡は治まったが、まだ豫州には潁川郡の他、陳国ちんこく梁国りょうこく魯国ろこくが残っている。

 豫州のことは刺史である郭貢に任せたいのだが、さすがにそれでは時間が掛かる。

 そこで潁川郡の平定については、俺に任された形だ。


 ちなみに豫州軍の1万は郭貢に返すので、揚州軍だけで動くことになる。

 まあ、豫州の北部にはそれほど強敵がいないので、なんとかなるとは思っている。

 しかし問題はその後だ。


「その後はいよいよ、兗州への遠征ですか。大変ですな、将軍も」

「本当ですよ。いい加減に揚州へ、帰りたいんですがね。しかし曹操と袁紹をなんとかしない限り、中原に平和は訪れませんから」

「それは間違いないでしょうなあ」


 そう、豫州の後には、曹操と袁紹たちが控えているのだ。

 前生で中原を2分するほどの大勢力になった、強敵たちが。


 もっとも今生では、徐州と豫州はこちらがしっかり押さえている状況だ。

 しかも馬日磾の調停により、幽州の劉虞りゅうぐ公孫瓚こうそんさんも和解している。

 そのため袁曹連合を弱めつつ、包囲網はさらに強化されてるわけだ。


 だからそれほど苦労しないといいな~と思ってる。

 しかし相手は、あの曹操だからな。

 俺は直接対峙してないけど、周瑜から話は聞いていた。


 袁紹との争いに勝利した曹操は、中原のほとんどを支配下に置いたらしい。

 そんな男が、一筋縄でいくわけないだろう。


 まあ、俺には周瑜をはじめ、優秀な仲間たちがついている。

 なんとかなるとは、思うけどな。

孫策の活躍で揚州が平和になったため、華歆かきんは豫章郡に行かなかったという想定です。


汝南郡の各県については以下を参照ください。

挿絵(By みてみん)



地図データの提供元は、”もっと知りたい! 三国志”さま。

 https://three-kingdoms.net/

ありがとうございます。

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