18.汝南郡の平定(地図あり)
興平元年(194年)1月 豫州 汝南郡 平輿
前生での仲間たちや、許褚といった新入りを加えることで、孫軍団の体制も整った。
その勢いで平輿へ進軍し、改めて郡全体の各勢力へ恭順を促す。
本来ならここは汝南郡の都であり、太守が存在しているはずだった。
しかし霊帝の崩御、董卓政権への反乱、董卓の暗殺など、ここ数年で起きた事件で、中原は混乱しっぱなしである。
おかげで各地の統治機構は機能せず、この汝南も空白地となっていた。
いや、それでも今年の夏までは、袁術の影響下で多少は治まっていたらしい。
それが俺たちとの戦闘で、袁術の勢力は大きく減退してしまった。
そのため黄巾賊の残党やら軍閥やらが、勝手に動きはじめたようだ。
おかげで汝南郡は、前生以上の混沌の地と化しているわけである。
しかしそれだけに、俺たちが平輿入りした影響は大きかった。
すでに強力な黄巾残党だった、何儀を討ち取っている。
さらに太傅 馬日磾と、豫州刺史 郭貢の後ろ盾も得ていることが、認知されつつあった。
おかげで周辺の官吏や有力者が、続々とすり寄ってきた。
「平輿の県令 舒紹と申します。以後よしなに」
「新蔡の県令閣下の名代として参上しました」
「南頓より遣わされてきました。県令さまは孫将軍を頼りにしております」
「上蔡も――」
「安城の――」
布告に際し、郡内の治安回復に力を貸すことは約束していた。
おかげで各地から使者が来訪し、兵力の派遣をねだる始末だ。
あらかじめ予想していたとはいえ、なかなかにうっとうしい。
しかし現在の汝南は賊徒や軍閥が割拠し、財産を脅かされたり、交通を遮断されたりしている。
そのため、利用できるものならば、なんでもすがりたいのだろう。
そんな奴らを適当にあしらっているうちに、ちょっと毛色の違う訪問者があった。
「汝陽より参りました。袁忠 正甫と申します」
「おお、汝南袁家の。遠路はるばる、ご苦労さまです」
「いえいえ、将軍のご苦労に比べれば、大したこともございません」
そう言って笑うのは、汝南袁家の直系だった。
袁家は汝陽に端を発し、この国の名士層の多くに影響力を持つ名門だ。
しかし袁隗(太傅)、袁基(太僕)といった主流派は、袁紹が反董卓連合の盟主になったせいで、3族皆殺しにされている。
そりゃあ、反乱軍を堂々と主宰されたら、董卓もブチ切れるよな。
その後は袁術の兵力を背景に、勢力を盛り返そうとしていたようだが、今度は袁術がコケた。
今は汝陽の周辺を守るだけで、精一杯だろう。
そう言えば、袁術のおっさんはどうしてるのかな?
「ちなみに袁術どのは、今どのような状況か、お分かりになりますか?」
「はて、家門に泥を塗った自覚があるのか、とんと汝陽へは寄り付きませんので」
「そうですか」
どうやら、袁家の方から接触は避けてるようだな。
しかし油断はできないから、後で周瑜に調べてもらおう。
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興平元年(194年)7月 豫州 汝南郡 平輿
あれから俺たちは汝南の西部、北部の各地に兵を送り、治安回復に努めた。
時には黄巾残党が大挙して歯向かってきたので、俺も大軍を率いて迎え撃った。
この頃になると、俺の勇名も浸透しており、豫州の兵でさえよく従ってくれる。
その結果、余裕をもって勝利することができた。
最後はまた攻城戦となったが、例の特弓兵と決死隊を使って押しきった。
俺もがんばって働いたぜ。
かくして半年後には、汝南平定を祝う宴を開くことができたのだ。
「汝南郡の平定を祝して、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
汝南の名士たちが、にこやかに乾杯している。
俺も功労者として出席し、酒や料理を楽しんでいると、今回の主催者がやってきた。
「宴を楽しんでおられますかな? 孫将軍」
「はい、見事な酒や料理、存分に味わっております。太守閣下」
「それはなにより。なんと言っても、汝南郡の平定は将軍あってのものですからな」
「いえ、これも華歆さまのご威徳によるものでしょう」
「ははは、そう言ってもらえるのは嬉しいですな」
この華歆は馬日磾の配下であり、汝南郡の太守として送りこまれてきた。
前生でも馬日磾の巡行に同行していて、豫章郡の太守になっていた。
その後、俺が豫章を平定すると、おとなしく降伏して、よく働いてくれた記憶がある。
そんな優秀な男が来たもんだから、汝南の統治が円滑に進むようになった。
おかげで賊徒の討伐はやりやすくなったし、汝南の復興も進みつつある。
つまり互いに協力関係にあるわけで、それなりに親しくなっていた。
「聞けば将軍は、これから潁川郡に進むそうですな」
「はい、郭貢さまも動かれるのですが、潁川だけは頼むと言われまして」
最大の難関であった汝南郡は治まったが、まだ豫州には潁川郡の他、陳国、梁国、魯国が残っている。
豫州のことは刺史である郭貢に任せたいのだが、さすがにそれでは時間が掛かる。
そこで潁川郡の平定については、俺に任された形だ。
ちなみに豫州軍の1万は郭貢に返すので、揚州軍だけで動くことになる。
まあ、豫州の北部にはそれほど強敵がいないので、なんとかなるとは思っている。
しかし問題はその後だ。
「その後はいよいよ、兗州への遠征ですか。大変ですな、将軍も」
「本当ですよ。いい加減に揚州へ、帰りたいんですがね。しかし曹操と袁紹をなんとかしない限り、中原に平和は訪れませんから」
「それは間違いないでしょうなあ」
そう、豫州の後には、曹操と袁紹たちが控えているのだ。
前生で中原を2分するほどの大勢力になった、強敵たちが。
もっとも今生では、徐州と豫州はこちらがしっかり押さえている状況だ。
しかも馬日磾の調停により、幽州の劉虞と公孫瓚も和解している。
そのため袁曹連合を弱めつつ、包囲網はさらに強化されてるわけだ。
だからそれほど苦労しないといいな~と思ってる。
しかし相手は、あの曹操だからな。
俺は直接対峙してないけど、周瑜から話は聞いていた。
袁紹との争いに勝利した曹操は、中原のほとんどを支配下に置いたらしい。
そんな男が、一筋縄でいくわけないだろう。
まあ、俺には周瑜をはじめ、優秀な仲間たちがついている。
なんとかなるとは、思うけどな。