16.黄巾残党の討伐
初平4年(193年)10月 豫州 汝南郡 汝陰
黄巾賊の拠点をいかに攻めるか話し合っていると、呂範が何か思いついたと言う。
「ほう、それはなんだ? 呂範」
「前の寿春攻めで、俺は城内から手引きしたじゃないすか。あの時に味方の援護が、けっこうありがたかったんすよね」
「俺たちの援護って、そう大したことはできなかったと思うがな」
「いえいえ、ちゃんと弓で援護してくれたじゃないすか。特に兄貴の矢は、一発で分かったっすね。こうバシッと、要点を突いてくるから。あれでけっこう、命拾いしたっす」
「あ~、まあ、たしかにそれはあったな。でもそんなの、当たり前じゃないか?」
すると呂範は苦笑しながら、首を横に振る。
「あれだけの矢を撃てる人間は、そうそう居ないっすよ。周り中、敵だらけの状態に置かれて、しみじみ感じたっす」
「なるほど。死地に飛びこんだからこその、実感てわけか。しかしそれでどうする? 俺の弓ぐらいじゃ、大して状況は変わらんだろう」
「たしかに兄貴ほどの名手はそう居ないけど、それに準ずるぐらいの弓達者はけっこう居るっす。それをかき集めたら、馬鹿にはならないっしょ」
「ん~、それはどうだろうな……」
呂範の提案に、いまいちピンと来ていなかったのだが、周瑜がそれに同調した。
「なるほど。弓達者を集めて、城壁上に圧力を掛けるのか。その隙にハシゴか縄を掛けて、城内に人を送り出すと」
「そうそう、そんな感じっす」
呂範が嬉しそうに応じるが、俺はまだ納得がいかなかった。
「いやいや、そんな簡単なものじゃないだろ。それが上手くいくんなら、みんなやってる」
「それがそうでもないんだ。城外から射掛ける矢なんて、普通は大した効果にならないからね。結局、少々の弓達者がいようと、それを集中運用しようなんて話には、ならないのさ」
「え~、そうかぁ?」
「そんなものさ。しかし我が軍には、君を始めとした弓達者が大勢いる。それをめいっぱい集めて、集中的に運用したら、たしかに面白いことになりそうだね」
「う~ん、それもそうなのか?」
その後は周瑜が中心になって、作戦を組み立てた。
弓の得意な者を一時的に集めて、それを守る盾持ちの人員も付ける。
そして弓矢で城壁上を抑えているうちに、決死隊が城壁にハシゴを立てかけ、上に登るのだ。
この決死隊の隊長は、寿春同様に呂範がやることになった。
作戦の大枠が固まると、すぐに部隊の編成や訓練、道具の準備、そして敵状の偵察などに取り掛かった。
そして3日の後に、俺たちは汝陰城の攻略に乗り出したのだ。
「全軍、進撃」
「「「おお~っ!」」」
ふた手に分かれた軍勢が、それぞれに別の門を攻める。
兵力は圧倒的にこちらが上だが、それだけで城門が破れるはずもない。
しかし黄巾賊が防戦に追われるのを尻目に、俺たちも動きだした。
「俺に続け!」
「「「おうっ!」」」
城壁越えを狙う部隊を引き連れて、城門から少し離れた地点に陣取った。
まず孫河が率いる防御役の兵士たちが前に出て、大きめの盾を前に掲げる。
その陰に俺を含め、弓自慢の男たちが50人ほど集まった。
「特弓兵、構え。俺がまず射るから、その周辺を制圧するんだ」
「「「はっ!」」」
特弓兵ってのは、今回の任務用に考え出した名前だ。
俺の他に程普、黄蓋、韓当、朱治、周瑜らを含め、弓達者の連中をかき集めている。
俺はまず、敵の矢に当たらぬよう、盾の間から城壁をうかがった。
やがて敵の隊長らしき男が目についたので、そいつに矢を放つ。
それは狙いどおりに命中し、男の姿が見えなくなった。
さらに周囲の特弓兵もそれに続くと、一時的に俺たちの正面の城壁上がおとなしくなる。
「よし、行け、呂範」
「うっす。野郎ども、行くぞ!」
「「「おう!」」」
すかさず呂範ひきいる決死隊が動きだし、まず水濠に即席の橋を架け、城壁に取り付いた。
さらに城壁にハシゴを掛け、恐れを知らぬ男たちが昇りはじめる。
当然、それに気づいた敵兵が、決死隊を妨害しようとする。
しかしそこに俺たちの矢が降り注いで、敵の動きを鈍らせた。
もちろん敵にも根性の入ったヤツがいて、味方に矢やら石やらを当ててくるが、その数は通常よりもずっと少ない。
どうやら呂範の提案は、それなりに機能しそうだ。
そうして援護を続けているうちに、10人以上の決死隊が城壁上へたどりついていた。
そいつらが武器を振るって敵に襲いかかると、あちらも妨害どころでなくなる。
おかげで城壁を越える味方が、どんどん増えはじめた。
「よし、こうなったら俺も――」
「ダメだよ、孫策。今回は寿春よりもずっと優勢なんだ。君が危険を冒す理由にはならない」
「いや、でもよ……」
「ダメだと言ったらダメだ。今回は配下に、手柄を譲ってやるんだね」
「チッ……まあ、仕方ないか」
そんなやり取りをしている間にも、城壁上はどんどん制圧されていき、城内へも侵入しはじめた。
おそらく呂範を筆頭に、味方が大暴れしているのであろう。
やがて最寄りの城門付近が騒がしくなったと思ったら、とうとう内から門が開け放たれた。
「味方がやったぞ~! 突っ込め~!」
「「「おお~っ!」」」
城門を攻めていた兵たちが、次々と城内になだれ込んでいく。
これでもう、汝陰は落ちたも同然だ。
「なんか思った以上に、上手くいったな」
「ああ、そうだね。だけどこれも、当然の結果だったと言えなくもない」
「そうか?」
「だってこれだけの圧力を掛けられる弓兵隊なんて、敵も想像がつかないだろう? さらに危険を顧みない決死隊や、僕らを盾で守ってくれた部隊も、よくやってくれた」
「ああ、そうだな。たしかに呂範や孫河も、よくやってくれた。しかしそれを言うなら、これだけの体制を短時間で作り上げた、お前の功績も大きいだろ?」
「フフフ、それは光栄だね」
今回の作戦については、人選から装備、役割分担などの細かいところを、周瑜が組み立ててくれた。
それがなかったら、こうも上手くはいかなかっただろう。
これも多くの経験を蓄えた、天才軍師どののおかげだ。
すると特弓兵を一緒にやっていた野郎どもが、ぞろぞろとやってくる。
「さすが、孫策さまの弓の腕は大したものでしたな」
「しかり。かの孫堅さまもかくや、という腕前じゃ」
「そういうみんなの腕前も、凄かったじゃないか。まさに熟練の腕って感じだったぜ」
「我らは年季が違いますからな。これぐらいはやってみせませんと」
「ですな。むしろ若がその年で、あれだけの矢を撃てるのが驚きですわ」
「あ~……まあ、あれだ。俺もここ数年、必死で練習したんだよ」
「やはりそうでしたか。それでこそ、我らが孫軍団の頭領にふさわしいというもの。これからもよろしく頼みますぞ」
「ああ、こちらこそな」
こうしてやり直してみると、改めて俺の配下には有能な奴らが多かったんだと思う。
しかし前生では、それを十分に活かしきれていたとは言い難い。
もっと配下をよく知り、信頼して任せられるように、なりたいもんだ。