1.逆襲の始まり
初平3年(192年)12月 揚州 廬江郡 舒
「……ハッ、ここは?」
「ようやく目覚めましたか、策」
「は、母上?」
俺は寝台の上に横になっている状態で、その傍らには母上がいた。
相変わらず美しい人だが、俺の記憶よりも若いような気がする。
「俺は、どうしたんでしょうか?」
「覚えていないのですか? よほど強い衝撃を受けたのですね。しかしそれも無理はありません。あなたは旦那さまが亡くなられたと聞いて、倒れたのですよ」
「親父が、死んだ?」
母上が涙ながらに語るのを聞いて、ようやく俺がどこにいるかに思い至った。
ここは廬江郡の舒であり、親父(孫堅)の訃報を聞いたばかりなのだと。
しかしそんなことが、あるはずはない。
なにしろそれは8年も前の話で、俺が18歳の時なのだから。
俺はあれから紆余曲折を経て、揚州の大半を制するまでになった。
しかし思わぬところで刺客の襲撃に遭い、あえなく死んだはずだ。
ひょっとして、命は助かったのか?
いや、親父が死んだばかりと言ってる時点で、やはりおかしい。
これは一体、なんだってんだ?
俺は戸惑いながらも、その場を取りつくろった。
「そ、そうでしたね。あまりに驚いたために、気を失ってしまったようです。ご心配をお掛けしました」
「ええ、あなたまでどうにかなってしまうのかと、気が気ではありませんでしたよ。しかし大事はないようで安心しました。今日はもう、そのままお休みなさい」
「はい、そうします」
そう答えると、母上は安心したように部屋を出ていった。
1人になった俺は、横になったまま考えを巡らす。
何が起きているかは分からないが、どうやら俺は時をさかのぼったらしい。
もしそれが事実なら、俺はこれから起こることを知っているってわけだ。
ひょっとしてそれは、凄いことなんじゃなかろうか?
上手く立ち回れば、大きく成り上がれるかもしれない。
そんな思いに胸をふくらませているうちに、いつしか眠りについていた。
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翌日になるとすっかり混乱も収まり、頭の方はスッキリしていた。
ひょっとして、自分が死ぬ夢でも見たんじゃないかとも思ったが、あくまでも記憶は明晰で、やはり夢とは思えない。
それはなんらかの力で、俺の意識が時をさかのぼり、再び人生をやり直せと言われているようだ。
それ以上はいくら考えても仕方ないので、俺は親友に相談しようと、彼の家を訪ねた。
門のところでお目当ての人物の居場所を訊くと、彼は庭にいるらしい。
そちらへ回ってみると、そいつは池の前にたたずんでいた。
「よう、周瑜。何をしてるんだ?」
「……やあ、孫策。ちょっと考え事さ。君の方こそ、どうしたんだい?」
「ああ、実はちょっと、相談があってな」
そういって話しかけたのは周瑜といって、数年来の親友であり、この先も一緒に戦うことになる男である。
彼の実家は、いろいろと我が家に世話を焼いてくれていて、今住んでる家もその紹介だったりする。
そして廬江周家といえば、3公(首相級の重職)を輩出するほどの名門で、俺の家とは比べ物にならない家柄だ。
周瑜はその名門の名に恥じない俊才であり、幼い頃から文武に優れた才を示してきた。
おまけにその風貌も並外れていて、美周郎と呼ばれるほどの美男子だ。
今も何気なくたたずむその姿は、憎らしいぐらいに様になっている。
そんな彼に近づきながら、俺は冗談っぽく用件を切り出した。
「お前はさ、未来を夢に見たなんて話、聞いたことあるか?」
「未来を夢に? ハハハ、それはまた胡散くさい話……む、ちょっと待ってくれ。急にめまいが……」
俺の話を笑い飛ばしかけてすぐ、周瑜は顔をしかめて額に手を当てた。
何か体調でも悪いのだろうか?
しかし彼はすぐに持ち直し、俺に目を合わせたと思えば、ハラハラと涙を流しはじめたのだ。
「お、おい、周瑜。どうした? どこか悪いのか?」
「……違うよ、孫策。君が、君がうかつなことをして先に逝ってしまったから、僕らがどんなに悲しんだかを思い出したんだ。この、馬鹿野郎……」
目の前でピンピンしてる人間に対し、”この野郎、早死にしやがって”となじるとは、なんと理不尽な話だろうか。
だけど俺は、なんとなく彼の事情が察せられた。
「……ひょっとして、お前も未来の記憶を持ってるのか?」
「ああ、どうやらそうらしい。今から8年後に君が死んで、僕はさらに10年ほど生きたんだ」
「そうか……権は、弟はあれから、上手くやれたのかな?」
「まあ、曹操の大軍を撃退して、荊州にまで勢力を広げたんだから、立派なものじゃないかな。あいにくと僕も、志なかばで命を落としてしまったんだけどね」
「……すまねえ。苦労かけたみたいだな」
「本当だよ」
俺たちはどちらからともなく抱き合い、互いの思いを噛みしめた。
はたから見れば、何をやっているのかと怪しまれるような光景だろう。
だけど共に戦場を駆け回り、命を預けあった記憶があふれてきて、感情が抑えられなかったのだ。
俺の場合はまさにこれからって時に、つまらないことで命を落とし、みんなに迷惑を掛けたって思いがある。
逆に周瑜の方は、孫軍閥を盛り立てながらも、そこに俺がいないことを、深く悲しんでいたんじゃなかろうか。
しかしなんの因果か、俺たちはやり直しの機会を与えられたらしい。
それが妙に嬉しくて、また感情が高ぶってしまった。
やがて気持ちが落ち着くと、気恥ずかしさが湧いてくる。
「ちょっと恥ずかしいから、離れようか」
「お、おう……」
周瑜は近くの石に腰を掛けながら、俺を隣に誘う。
そこで俺も座ると、おもむろに語りだした。
「状況からして、僕たちは死んでから時をさかのぼったんだろうね。なぜそうなったのかは、全く分からないけれど」
「ああ、そうだな。こんなに生々しい記憶が、勘違いであるはずがない」
「そうだね。いずれにしろこれは、僕たちに人生をやり直せと言ってるんじゃないかな?」
「ああ? それは一体、誰がだよ?」
「さあ、それこそ神とか妖かしとかいう、人智の及ばない存在じゃないかな」
肩をすくめてそんなことを言う周瑜は、それ自体はどうでもいいようだ。
たしかに考えても分からない話なら、悩むだけムダだからな。
「なるほど。俺たちには理解できない何かが、起こったと思うしかないってことか。いずれにしろ俺たちには、やり直しの機会が与えられたと」
「そういうこと。互いに不慮の死を迎えたわけだけど、未来の記憶があるなら、なんとかなるかもしれない」
「ああ、そうだな。前の人生で犯した失敗は、避ければいいんだ。それどころか未来の記憶を利用して、何かでかいことができるかもしれないな」
「フフフ、そうさ。一度は僕たちを拒んだこの世界に、逆襲してやろうじゃないか」
「世界への逆襲、か。そいつはいいな」
「ああ、やりがいがあるだろ?」
新たな目標を見つけた俺たちは、静かに笑いあっていた。
さて、”逆襲の孫策”の始まりです。
前作”逆行の劉備”同様に、後漢時代に死んだ主人公が、逆行転生するお話になります。
実は前作を終えた後、すぐに執筆に取り掛かってはいたのですが、なぜか筆が止まってしまいました。
執筆疲れというか、モチベーションの低下というか、とにかく筆が進みません。
そこでしばらくは充電期間と思い、読み専に徹することにしました。
おかげでまた気持ちが盛り上がってきたので、舞い戻ってきた次第です。
新たな孫策の物語を、楽しめていただけたら幸いです。
なお、本作でも登場人物の呼び方は姓名呼びを基本とし、かしこまる時に字も名乗ります。
実態とは異なりますが、分かりやすさを優先することをご理解ください。