14.徐州防衛戦(3)
初平4年(193年)8月 徐州 彭城国 彭城
俺たちは彭城の東側で、別働隊の曹仁軍を打ち破った。
前生で陶謙が大敗していたのは、おそらく曹仁に側背を攻撃されたからであろう。
その要因を取り除いてしまえば、あとは曹操の本隊を打ち破るのみだ。
俺たちは陶謙に連絡を送りつつ、部隊を再編して一時の休息を取った。
やがて陶謙から、曹操の背後を脅かすよう要請が来たので、再び動きはじめる。
「全軍出発!」
「「「おお~~っ!」」」
俺たちは彭城の東側から、回りこむように北上する。
曹操の本隊は現在、北側から彭城の城を攻め立てていた。
しかし双方の兵力はともに2万ほどであり、曹操軍は城攻めに難儀している。
それを打開するための別働隊だったのだろうが、それは俺たちが蹴散らした。
さらに曹操の背後から、堂々と姿を見せてやったのだ。
「て、敵襲~!」
「なんで背後から?!」
「陣形を立て直せ~!」
当然、敵軍には大きな動揺が走る。
曹操は必死に立て直そうとしていたが、陶謙も黙って見ているはずがない。
やがて城内から陶謙の兵が押し出してくると、敵軍の士気は崩壊した。
「勝った、かな?」
「ああ、ほぼ決まりだね」
目に入る範囲のほとんどで、敵兵が敗走しつつあった。
俺と周瑜は、高台からそれを眺めていた。
配下の部隊は順次、追撃に移っているが、俺たちは高みの見物だ。
「これで前生のような悲劇は、回避できそうだな」
「ああ、少なくともここより南側での虐殺は、防げただろうね」
前生で曹操は、徐州で大虐殺を行ったそうだ。
もちろん、この彭城に至るまでに、多少の被害は出ているだろうが、それ以上の虐殺は防いだ。
いくら父親を殺されたからって、曹操の私憤で民が殺されていい道理がない。
無事に勝利を収めただけでなく、虐殺を防いだであろうことに、俺たちは大きな満足感を得ていた。
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初平4年(193年)8月 徐州 彭城国 彭城
曹操軍を撃退して1週間もすると、彭城の周辺も落ち着いてきた。
ちなみに戦前に捕縛を勧めた窄融だが、広陵で捕まったらしい。
ヤツは案の定、逃げ出そうとしていたが、陶謙の指示が間に合った。
油断していた窄融は、一悶着ありながらも捕縛され、裁きを待つ身だそうだ。
これで揚州に、余計な騒乱を起こさずにすむだろう。
その後、公孫瓚からの援軍も到着したため、馬日磾の主宰で会議が開かれた。
「青州を預かる田楷と申します」
「平原国の相 劉備 玄徳です」
「うむ、太傅の馬日磾である。遠路はるばる、ご苦労であった」
彼らは陶謙の要請に応じ、公孫瓚が寄こしてくれた援軍である。
特に劉備といえば、前生では徐州牧になっていた男だ。
その後、呂布に城を取られて放浪したりするが、十年ほど後にはちゃっかり荊州に勢力を築いたらしい。
決して侮れない相手である。
そんな彼らと馬日磾、陶謙を交え、俺たちは今後の方針を話し合った。
「知ってのとおり、曹操の侵攻は跳ねのけることができた。それにはここにいる孫策、周瑜らの揚州勢の活躍が大きい」
「ほう、まだ若そうだが……」
「揚州には優秀な若者がいるんですな」
紹介にあわせて目礼すれば、田楷や劉備が興味深そうな視線を送ってくる。
あくまで興味の範囲で、特に嫌なものは感じない。
次に今回の当事者だった陶謙が、状況を語りはじめた。
「揚州軍のおかげで曹操の軍は潰走し、大きな被害を出した。それこそ泗水に、多数の死体が浮かぶほどな。これほどの被害を受ければ、曹操もしばらくは外征できんだろう」
「うむ、しかしそうは言っても、やはり袁紹と曹操は侮れん。そこで我らが力を合わせ、袁曹連合への圧力を強めたいと考えておる」
その馬日磾の言葉に、田楷が問いを返す。
「我らと言いますが、どこまでの勢力が味方となるのでしょうか? たしか華南では、袁術どのを巻きこむ予定であったと聞きますが」
「うむ、あいにくと袁術とは決裂した。彼奴め、不届きにも儂に牙をむいてきたので、寿春から叩き出してやったわ。その戦いでもこの孫策や周瑜が、役立ってくれたのだがな」
「ほう、それは大したものですな」
袁術について、吐き捨てるように語った馬日磾は、さらに先を続ける。
「袁術めは豫州へ逃げこんだが、勢力を回復できておらんようだ。以前は実家の威光と大兵力でもって、汝南に大きな影響力を持っていたようだがな。多くの配下と兵力を失ったため、そっぽを向かれたらしい。しかし豫州全体で見れば、いまだ黄巾の残党などがのさばり、混沌とした状況だ。刺史の郭貢も、州都の譙周辺しか掌握できておらぬようだな」
「ふむ、そうすると馬日磾さまは、郭貢どのと協力して豫州を制圧するのですな。そして我ら公孫閥には、北から袁紹へ圧力を掛けろと、そういうことでしょうか?」
「そのとおりだ。揚州からの主力軍が豫州へ遠征するので、陶謙にはその援助と曹操への圧力を頼みたい」
「ご配慮、ありがとうございます。本来なら我らこそが主力になるべきところですが、曹操の侵略による被害が大きく、しばらくは難しいでしょう」
「うむ、しばらくは損害の回復に努め、いざという時には頼むぞ」
「は、必ずや」
馬日磾の配慮に、陶謙が感謝の意を示す。
実際問題、徐州は曹操にかき回されたばかりのため、その復旧が急務である。
それを汲んだ俺たちが、事前に馬日磾に申し入れてあったため、驚きはない。
すると劉備がここで、俺たちに言及してきた。
「なるほど。それにしても馬日磾さまは、ずいぶんとそちらの若者を信用しているようですね」
「うむ、彼らにはずいぶんと助けられておるからな。ちなみに孫策は前の長沙太守 孫堅の嫡男であるし、周瑜は廬江周家の俊英よ。若いからといって、侮るでないぞ」
「うへえ、そいつはおみそれしやした」
そう言って劉備は、おとなしく引き下がった。
別に俺たちに含むところがあるでもなく、単純な興味だったようだ。
この劉備という男、背は高いがひょろっとしていて、あまり強そうには見えない。
顔立ちはそこそこに整っているが、耳たぶが大きくて愛嬌があるといった印象だ。
それでいて妙に存在感があり、放っておけないような雰囲気がある。
おかげで関羽や張飛といった豪傑が集まってきて、戦力的には侮れない勢力になるんだよな。
周瑜の死後はどうなったか知らないが、案外しぶとく生き残ったんじゃないかね。
そんなことを考えていると、馬日磾が田楷に訊ねる。
「ところで、公孫瓚どのと劉虞さまの間で、緊張が高まっていると聞くが、それは本当か?」
「へ、へい……たしかに公孫瓚さまと劉虞さまは、仲良くやれてるとは言えませんね……最近は公孫瓚さまが、劉虞さまに敵対するような砦を造ったのもあって、緊張が高まっていると聞きます」
「う~む、やはりそうであったか。我らが一致協力して、中原に秩序をもたらそうというこの時に、それではまずい」
田楷の言葉を聞き、馬日磾は深刻そうな顔をする。
実はこの話、俺たちが馬日磾に相談したものだ。
前生ではこの冬、幽州牧の劉虞と公孫瓚が激突し、劉虞が負けて処刑されていた。
本来は味方同士であるはずの2人が争えば、朝廷側にとっては痛手である。
しかも劉虞は皇族であり、民衆にも人気があった
その劉虞を処刑したもんだから、公孫瓚の評判はガタ落ちになる。
そんな未来を避けるべく、それとなく馬日磾に対処を要請したのだ。
やがて馬日磾が、思い切ったように言う。
「どうやら事態がこじれているようなので、儂が説得に赴こうと思う。ついては取り次ぎを頼めるか?」
「はい、それはお任せください」
「うむ、頼むぞ」
馬日磾が動いてくれるなら、なんとかなるだろう。
早く幽州が落ち着いてくれると、いいんだがな。
その間に俺たちは、豫州の攻略を進めよう。