11.徐州への援軍(地図あり)
第2章 中原南部平定編に入ります。
初平4年(193年)7月 揚州 九江郡 寿春
見事に寿春を陥落させた俺たちは、次々と周辺地域を掌握していった。
そんな中で袁術は逃亡に成功し、豫州方面へ逃げている。
しかしその軍勢は著しく目減りし、目ぼしい武将も討ち取ったので、当面の脅威はないと思われた。
ちなみにこの頃の豫州は、州としてのまとまりに欠く状況だ。
一応、名目上の太守や刺史(州知事)はいるものの、各地で黄巾賊の残党や軍閥が割拠しており、曹操や袁紹に対抗するような余裕はない。
それに対し、徐州では牧(軍権を伴う州知事)である陶謙がしっかりと州内を掌握し、朝廷への恭順姿勢を見せていた。
その陶謙と袁術を協力させ、曹操や袁紹に対抗する、というのが当初の朝廷の戦略だった。
しかし前生では、袁術が馬日磾を拘束して脅迫したため、その戦略は瓦解する。
その結果、曹操たちは勢力を伸ばすことができた、という一面もある。
今生ではその原因である袁術を追い払ったものの、まだまだ勝負はこれからだ。
そこで今後の戦略を話し合うため、俺たちは馬日磾と向かい合う。
「寿春の攻略、見事であった。特に孫策の働きは、大きかったと聞く」
「はい、ありがとうございます。しかし勝負はこれからが本番でございましょう」
「うむ、そのとおりだ。知ってのとおり、曹操と陶謙の関係が悪化している。おそらくまた戦になるであろうが、陶謙だけで勝てる見込みは薄い。そこで大至急、揚州から援軍を出したいと思うのだが、どうだろうか?」
陶謙は数年前から、袁紹・曹操陣営と対立してきた。
しかし今年の始め、馬日磾らの仲介で和睦が成立し、表向きは平穏を保っている。
ところが陶謙の影響下にあった闕宣という軍閥が、兗州の一部を占拠して天子を自称した。
おまけにその過程で、曹操の父 曹嵩を殺してしまったのだから堪らない。
陶謙はただちに闕宣を討伐し、曹操に弁明の使者を送ったのだが、それで曹操の怒りが収まるはずもない。
準備が整いしだい、曹操の軍勢が徐州へなだれ込むと見られていた。
そしてその先には、大虐殺が起こることを俺たちは知っている。
そんな悲劇を回避するべく、周瑜が提案を持ちかけた。
「その類まれなる武略で兗州を制した曹操には、陶謙さまも苦戦することでしょう。援軍を送ることには賛成です。しかし大軍を送るには時間が掛かりすぎますので、精鋭部隊を先行させてはどうでしょうか?」
「精鋭部隊とは、どれほどの規模か?」
「孫策たちを中核とした、2千人ほどの部隊です」
「ふむ……たった2千で役に立てるかな?」
疑わしげな顔の馬日磾に、周瑜が自信満々に答える。
「徐州も兵数だけで見れば、曹操に劣るものではないと存じます。ここで必要なのは、経験豊富な将と、中核となる精強な部隊であるかと。我らが孫軍団は、かの孫堅将軍の下で戦った兵の集まりなれば、必ずやお役に立てましょう」
「ふむ、そういうものか……そうなると、貴殿らの武勇を保証するため、儂も行かずばなるまいな」
「ご賢察、恐れ入ります。そうしていただければ、百万の味方を得るに等しいかと」
「ふははっ、それはちと過大評価だが、できることはしよう。そなたらも、今一度わしに力を貸してくれい」
「「「ははっ」」」
こうして徐州への援軍派遣と、精鋭部隊の先行が決まった。
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初平4年(193年)8月 徐州 彭城国 彭城
あれから半月ほどで、俺たちは2千人の部隊を率いて、徐州へ駆けつけた。
すでに曹操の軍勢は出陣しているらしく、徐州牧の陶謙はこの彭城で、防戦の指揮を執っていた。
「おお、馬日磾さま。わざわざのお出まし、ありがとうございます」
「うむ、曹操の始末をつけるのも、儂の役目だからな。ついては揚州からの援軍を紹介しよう」
そう言って馬日磾は俺たちを手招き、陶謙に紹介した。
「彼が揚州軍を率いる孫策で、その横が周瑜だ。どちらも若いが、年に似合わぬ戦巧者である」
「はじめまして。孫策 伯符と申します。前の長沙太守 孫堅が我が父になります」
「周瑜 公瑾と申します。廬江周家を代表して、罷り越しました」
俺たちを見た陶謙は一瞬、残念そうな顔を見せたが、すぐに表情を取り繕った。
「お、おお、そうか。貴殿が孫堅将軍のご子息か。さらに廬江周家が後ろ盾とは、実に心強い」
「はい、我々は若年ながら戦の経験を積んでおりますし、さらに父と共に戦った猛者も多くおります。きっとご期待に応えられましょう」
「うむ、うむ。期待させてもらうぞ」
おそらく、あまりに若い俺たちを不安に思っているのだろうが、陶謙はそれを押し隠してみせた。
さすがは徐州牧になるほどの男だ。
その後、話は徐州をいかに守るかに移る。
「このように敵はふた手に分かれたので、傅陽にも兵を配置しておる」
「ふむ、敵の兵力はいかほどでしょうか?」
「この彭城に向かっている本隊が2万、傅陽に向かう別働隊が1万ほどと聞く」
「それに対して、こちらの兵力は?」
「この彭城に2万、傅陽に5千じゃ」
「……5千で傅陽は耐えられましょうか?」
「あちらは呂由という剛の者に任せてある。よほどのことがなければ、大丈夫であろう」
「そうですか……」
そんな話を聞きながら、俺と周瑜は視線を交わす。
俺たちの記憶では、陶謙はこの戦で大敗していたはずだ。
どれだけ曹操が戦に強かろうと、同数の城攻めで勝てるとは思えない。
そうすると、別働隊が先に勝ちを得て、側背から陶謙を襲ったのではなかろうか。
周瑜もそう考えたようで、我が軍の立ち位置を提案する。
「城を盾に戦えば、本隊の攻撃はそれなりにしのげましょう。我々は傅陽の様子を探りながら、別働隊の奇襲に備えたいと存じます」
「ううむ……たしかに不安はあろうな。よかろう。そちらの守りは任せるので、よろしく頼む」
「かしこまりました」
こうして当面の方針が決まり、席を立とうとする陶謙に、周瑜が声をかけた。
「ところで陶謙さま。曹操とは別に、ひとつ気にかかることがあるのですが」
「む? それはなんであろうか?」
「はい、ここへ来る途中、下邳で不穏な噂を聞いたのです」
「下邳で不穏な噂? それはどのようなものか?」
不穏な噂と聞いて顔をしかめる陶謙に、周瑜が先を続ける。
「はい。聞けば窄融というお方が、下邳で権力を握っているとか。しかしその振る舞いには目に余るものがあり、領内が混乱しているとの噂でした。陶謙さまはそれについて、何かご存知でしょうか?」
「むう……窄融は儂と同郷の者で、たしかに南部で食料の運搬などを任せておる。それが目に余るとは、具体的にどのような話かな?」
「あくまで噂ですが、窄融どのは南部で物資を横領し、それをとがめる者を殺害しているらしいのです。さらに横領した物資を使って仏教信者を集め、贅沢の限りを尽くしているとか」
「なんと! そのようなことが……」
俺の前生でも、窄融とは因縁があった。
ヤツは劉繇の下で一軍を構えていて、丹陽郡で俺とぶつかったことがある。
そしてその前は徐州で陶謙の世話になっていたらしく、かなりの悪さをしていたと聞く。
このままヤツが揚州へ流れてくれば、いらぬ混乱を引き起こす可能性が高い。
それを防ぐべく、俺も陶謙に進言した。
「陶謙さま。周瑜の言うことは噂ですが、それが事実だとすれば、由々しき事態だと考えます。下邳周辺で大規模な横領が行われていれば、それだけ兵糧や兵員の集まりも悪いはず。今回の戦にも、少なからず影響を与えているのではないでしょうか?」
「……言われてみれば、下邳や広陵からの物資が少なくなっておるかもしれん。今回の戦が収まりしだい、調べてみよう」
「はい。もちろん調査は必要でしょうが、先に窄融の身柄を押さえることをお勧めします。今回の戦を嫌って、逃亡する可能性が高いと思われますので」
「むう、それもそうか……分かった。南部へ指示を出しておこう」
ようやく事態の深刻さに気づいた陶謙が、提案に乗ってきた。
おそらくこれで、窄融が揚州へ来るのは、避けられるだろう。
あんなクソ野郎は、騒動の素になるだけだからな。
あとは目の前の戦に、集中するだけだ。