第三話【魔王アルシエラなんとか】
第三話【魔王アルシエラなんとか】
ベレノに自分の正体を打ち明けてから一夜明け、早朝。
朝食を済ませた俺とベレノは早速今日の魔法の修行を開始する。
「……で、今日は何を?」
動きやすい服装に着替えるように言われた俺は、半袖に半ズボンというかなり薄着な格好で屋敷の庭に立つ。
今日も照りつける日差しは暑かったが、髪を切ったおかげか幾分かマシに感じられた。
「昨日と同じ様に、筋トレの後に魔法の基礎訓練をしてもらいます。」
ここの所、そんな感じの修行内容が続いている気がする。
またベレノが俺の背中に乗った状態で腕立て伏せをさせられるのだろうか。
しかしベレノはおもむろに俺の身体に尻尾を絡みつけながら上り始める。
「な、何を……!?」
俺が驚いていると、ベレノは長い尻尾を余すことなく俺の腹部に巻き付け最終的に俺の背中におぶさるような形になる。
尻尾までの重量を含めると、中々の重さだ。
「この状態で走り込みをしてもらいます」
なるほど。これはキツそうだ。
タイヤを引きずりながら走るような物だろうか。
俺は昔よく、遊び疲れて電池の切れた妹を背負って家に帰った事を思い出した。
その時と同じ様な感覚で背中側へと手を回すと、落とさないようにしっかり背負おうとベレノの蛇体に触れる。
「きゃっ!?どこ触ってるんですか……!?」
すると、可愛らしい悲鳴と共に、ベレノは俺の頭を軽く叩いた。
「す、すまん……つい」
迂闊だった。下半身が蛇のラミアとはいえ女性、やはりそこは安易に触れてはいけないらしい。
俺は叩かれた頭をさすりながら、謝罪する。
「……勝手にしがみついてますから、あなたは走ることだけに集中してください。」
少し怒り気味な声で言うベレノに、俺は素直に従う事にする。
ベレノを背負ったまま、屋敷の敷地を1周2周。
もしかしてこの屋敷の敷地、学校のグラウンドくらいかそれ以上無いか?
最初は軽快だった足運びも徐々に重くなってくるのを感じる。
うだるような暑さに、もっと早くダウンするものかと思っていたが、案外走り続けることができている。
気がつけばベレノが俺の頭の上で日傘をさしてくれていた。
なんともありがたい配慮に、俺は気合を入れ直す。
「ベレノこれ、あと何周くらい……?」
でも一応、今回のノルマをベレノに確認しておく。
「息切れして走れなくなるまで」
慈悲の無い返答に、俺は変な笑いが込み上げてくる。
走りながら振る手に時折、ベレノの蛇体が触れる。
鱗は案外ひんやりとしていて、枕にでもすると気持ちよさそうだ。
ラミアの身体って一体どういう構造になっているんだろうか。
正直興味はある。
でもだからってベレノに身体を触らせてくれなんて言ったら、また叩かれそうだ。
「はぁ……っはぁ……っ!もう……もうダメ……」
15周ほどしただろうか。俺はついに走れなくなって、日陰に逃げ込むように倒れ込む。
「はい、じゃあ立って立って。基礎訓練開始。」
ほらほらと煽るように手を叩くベレノ。しかも俺に巻き付いたままだ。
この野郎と言いたくなる気持ちをぐっと堪え、笑う膝を押さえながら俺はなんとか立ち上がる。
俺は肩で呼吸をするほど息を乱しながら、手を胸の前で構える。
こんな状態で集中しろなんて、いくらなんでも過酷すぎるのではないか。
「っぐ……」
案の定、渦の形が上手く定まらない。
これでは球を作るどころか、渦を維持するだけで精一杯だ。
その時、ベレノの冷たい手が俺の首筋にぺたりと触れた。
「ひゃっ……!?」
俺は突然の冷たさに驚いて、背筋を伸ばす。
「そう。そうやってちゃんと背筋を伸ばして……おへその下に力を込めるように……」
そう言いながらベレノは、俺の腹部へ這わせるように手を滑り込ませてくる。
ぺたぺたとしたベレノの冷たい手の感覚に、俺は思わず身体を強張らせる。
「ん……余計な力は入れないで」
誰のせいだと思っているのか。
俺はなるべく意識をしないようにして、小さく息を吐いてリラックスを試みる。
そして言われた通りに背筋を伸ばし、腹筋に力を込めるようなイメージで、ゆっくりと呼吸する。
すると先程までブレブレだった渦が嘘のように落ち着いて、もう球へと変わりかけていた。
さっきまで震えていた足も、疲労感を忘れたかのように大人しい。
「そのまま30秒キープ……」
ベレノの囁くような声が、耳元で響く。
俺はそのくすぐったい声に集中を乱されないように、慎重に球を維持し続ける。
そのまま俺は集中し続け、どのくらいの時間が経っただろうか。
ベレノが手を叩く音でようやく集中が途切れ、魔力球が弾けて消える。
確実に30秒以上は行けたと思ったが、どうだっただろうか。
俺は背中のベレノのほうをちらりと見て、様子を伺う。
「……まあ、及第点ですね」
ベレノはそっけない声でそう言いながら、褒めてるつもりなのか俺の頭をぽんぽんと撫でてくる。
多めに見て合格、という事だろうか。
俺はまだまだ自分の力不足を感じ、もっと精進しなければと決意を固めて拳を握った。
「……汗臭い」
ベレノがぼそりと呟くように言う。
あれだけ走らされたんだから汗だくになるのは当たり前だろう。
「だったら離れてくれ……」
俺は集中が途切れたと同時に押し寄せた疲労感から、力なく返答する。
「……あなたの汗で私もべたべたです。このままお風呂までお願いします。」
ベレノはそんな事を言いながら俺から離れようとしない。
さぁ行けと言うように指差すベレノに、俺はもう反論する気力も無く。
はいはい先生と適当な返事をしながら、ベレノを背負ったまま風呂場へと向かう。
その道中、ベレノはどこか楽しそうにも見えた。
「(記録は3分弱……止めなければもう少し長く続いたかもしれない。修行を初めて数ヶ月でコレなら、もっと伸びるはず……。)」
◆◆◆
汗を流すついでに早めの風呂を済ませた俺とベレノ。
もちろん別々に入ったので安心して欲しい。
俺は部屋でゆっくりとしたかったのだが、ベレノが俺の元居た世界について聞きたがるため日頃のお礼も兼ねて部屋で話していた。
そこへ、突如慌ただしく扉がノックされる音が響く。
「お嬢様!至急お伝えしたいことがあります!」
そう叫ぶアルバートの声を聞いて、俺は部屋の扉を開く。
そこには何か開封された手紙のような物を片手に、緊迫した面持ちをしているアルバートが居た。
「お嬢様……こちらを、お読みください」
俺は渡された手紙に目を通す。
長々と書いてあったが、ざっくりと要約するとこうだ。
”魔王アルシエラなんとかによる地上への宣戦布告に伴い、勇者の資質を持つ者を招集し特別討伐隊を組む事とする”
勇者の資質を持つ者というのはつまり、先代勇者の血を引く俺の事だろう。
というか、この世界に魔王?
魔王というのは俺達がいるこの世界の裏側にあるとされ、魔界と呼ばれるもう1つの世界を統べる魔族の王の事であり、はるか昔から幾度となく俺達の地上世界の民と激しい闘いを繰り広げてきた。
しかし数百年の昔にひとりの勇者によって倒され、以来統率者を失った魔界は無法の地となった。
というのを以前、部屋においてあった歴史書か何かで読んだ気がする。
その時に、その魔王を倒したとされる先代勇者の血を引く家系が、俺がこっちの世界で生まれたこの家なのだと改めて知った。
「魔王……」
突然の知らせに、俺はいまいち現実味を感じられない。
だが、何度か手紙を読み返しているうちにある事に気がつく。
この魔王アルシエラ。正確には、魔王アルシエラ・ドラゴフロスティ・シルバーブレイズ。
その名前に俺は何故だか聞き覚えがあったからだ。
そこはかとない疼きを感じるようなこの名前の響き、どこかで……。
「待って……ここ。”なお、特別討伐隊に参加できるのは成人済みでかつ、紋章を覚醒させている者に限る”って書かれています」
魔王の名前に引っかかりを覚えて考え込む俺の脇から、ベレノが手紙の最後の方を指さし言う。
紋章?覚醒?なんだそれは。
次々と出てくる見知らぬワードに、俺は困惑する。
「成人済み……は、18歳以上のことだからあなたは……招集期日までに誕生日が来て満たせますね。」
この世界では18で成人らしい。そしてこっちの俺の誕生日は2ヶ月後。
招集期日までは半年ほどあるようなので、そこは問題無さそうだ。
問題があるとしたら、紋章を覚醒させている者という記述のほう。
「紋章って……?」
俺は気になっていた紋章というワードについて尋ねる。
「お嬢様?……うおっほん!……紋章というのは、かつて勇者と呼ばれた者達の手の甲には必ず存在したという、勇気の証とも呼ばれる紋様の事ですな!」
忘れたのか?しょうがないなこいつは、と言いたげなアルバート視線が俺に突き刺さる。
そしてアルバートはやや熱のこもった説明を始める。
「そして紋章の覚醒とは、その紋様が手の甲に現れた状態の事を言います。……しかしながら、それが現れる条件は未だ解明されておりません。」
「……ですからッ!いつ勇者として紋章の覚醒が来ても良いように、デソルゾロット家の長男長女は代々勇者としての鍛錬をかかさず行ってきたわけです!思い出しましたか?お嬢様!」
アルバートの凄まじい熱弁に、俺はやや気圧されながら頷く。
俺はおもむろに自分の手の甲を見つめる。
以前に比べれば多少日に焼けて健康的な色にはなったが、女性らしい綺麗な手だ。
もちろん紋章なんてついてはいない。
「ハァ……ハァ……未だお嬢様の手に勇気の証は現れてはおりません。ですが、招集期日まではまだ時間があります。」
「今からでも本気で鍛錬を行えば!その手に勇気の証が浮かぶ!……かもしれませんな」
アルバートは一気に喋りすぎて少し息を切らしながら、俺の手と顔を交互に見つめる。
だが俺はそこでふと一つの疑問が浮かぶ。
「もし……期日までに紋章を覚醒させる事ができなかったら?」
いくら先代勇者の血を引いているからと言って、その覚醒の条件が不明なのでは期日までに資格を満たせる保証は無い。
その場合はどうなるのか、という当然の疑問だ。
「そ、それは……」
アルバートは何やら言いづらそうに口籠る。
「決まっています。”先代勇者の血を引きながら紋章の覚醒もできなかっただと?そんな役立たずは不要だ!この国から出ていけ!”となって、最悪領地没収、お家取り潰しになるでしょう。」
答えあぐねるアルバートに変わって、ベレノがやや芝居がかった演技でわかりやすく説明してくれる。
確かに、そうなる可能性が無いとは言い切れない。でもそれはまずい。
俺だけならともかく、弟や両親までもが巻き込まれてしまうのは俺の望む所では無い。
「だったら……頑張るしか無い、わね」
アルバートの前であるため、俺はお嬢様言葉で決意を固める。
そんな俺を見てアルバートは何故か異様に感動していた。
「成長されましたな……お嬢様。以前のお嬢様であれば、このような事からは絶対にお逃げになられていたはずです……」
おうおうと涙を流し、それをハンカチで拭うアルバート。
俺はそんなアルバートにかけるべき言葉が見つからず、ただ苦笑する。
だがそこでまた、一つの疑問が思い浮かぶ。
「……それでももし、間に合わなかったら?討伐隊は?」
紋章の覚醒に向けて頑張る事は決めたが、それでももし俺が資格を満たせなかったのだとしたら。
一体誰が魔王と戦うことになるのだろうか。
「え?……ああ、その場合は……あなた以外の紋章の覚醒者が討伐隊として戦うことになるでしょうね」
ベレノは一瞬質問の意味を飲み込め無さそうだったが、すぐに察して答えてくれる。
俺以外の?ちょっとまってくれ、俺は何か勘違いをしていたらしい。
勇者というのは同じ時代に一人だけではない?だとしたら。
「だからその……本当に最悪の結果になったとしても、あなたの代わりに他の勇者が戦ってくれると思います。多分、きっと、恐らく……。」
ものすごく不安になるような説明をしながら、ベレノは目をそらす。
「ンン!ですがお嬢様は変わられた!お嬢様ならばきっと紋章の覚醒を果たし、魔王アルシエラ・ドラゴ……魔王めを打ち倒す事ができるはずですぞ!」
アルバートはガッツポーズをしながら、また熱弁する。
そしてアルバートが途中で言うのを諦めた長い魔王の名前に、やっぱり俺は聞き覚えがあった。
瞬間、俺の頭の中でとある記憶が思い起こされる。
あれはそう、確か……妹がオリジナルのキャラクターを描いて俺に見せてくれた時の事。
強力な氷の魔法を操り、世界を恐怖に陥れる最恐の魔王。
その魔王の名前が確か、魔王アルシエラ・ドラゴフロスティ・シルバーブレイズ。
俺はもう一度手紙を見返し、魔王のフルネームを一文字ずつ確認する。
「アルシエラ……ドラゴフロスティ……シルバーブレイズ……」
俺は噛みしめるように魔王の名前を復唱する。
やはりそうだ。この手紙に書かれている魔王の名前は、妹がいつか俺に見せてくれたオリジナルのキャラクターの魔王と同じ名前だ。
偶然にしては出来すぎていると思った。いや、そう思いたかった。
もう二度と会えないと思っていた妹の存在の片鱗が、思わぬところで見つかったからだ。
もしこの魔王が俺のように転生した妹本人か、それに関係する存在の者なのだとしたら。
俺はもう一度、妹に会えるかもしれない。
たとえそれが僅かな可能性だとしても、俺は絶対に──。
「魔王に、会いに行く……!」
覚悟を口に出し、拳を強く握りしめる俺。
すると突如として俺の拳が輝き始め、やがて手の甲に何かの紋様が浮かび上がった。
「お、おお……それは!それはまさしく勇気の証!お嬢様!やりましたな!」
俺の決意に呼応してか、はたまた偶然か俺の手の甲に現れたその紋様を見て、アルバートは激しく興奮し涙する。
「……すご……」
そしてベレノまでもが目を丸くして驚き、俺の紋章の覚醒を見届ける。
俺は勇者としての使命感などではなく、妹にもう一度会いたいというただ強い意思によって紋章の覚醒を果たした。
「待ってろよ……雪」
俺の中で強く闘志が燃え上がった。