幕間【私のお兄ちゃん】
幕間【私のお兄ちゃん】
メイがモニカに抱きしめられ、もふもふしていた頃。
魔王城でもまた、誰かに抱きしめられている少女が一人。
「……それでね、お兄ちゃん。私、えいっ!てやって悪い奴らの基地を破壊したの。偉いでしょ?」
ファンシーな小物や可愛らしいぬいぐるみに溢れた部屋のベッドの上。
少女に兄と呼ばれているのは、身長170cm程で黒い学生服を着た人間の男性のような人物。
その兄の膝の上に座って抱き抱えられるようにしながら楽しそうに語る少女、魔王アルシエラ。
今日はどういうわけか、氷の角や尻尾が生えていない。
「そうだな、雪は偉いな。」
そう言ってその兄は、アルシエラの頭を優しく撫でる。
「でもね、じいは勝手な事するなー!って怒るの……おかしいよね?」
頬を膨らませながら、拗ねるように言うアルシエラ。
「……そうだな。でも、あの人にも何か考えがあったのかもしれ」
アルシエラに対し諭すような言葉を出しかけたその兄が、話の途中で一瞬にして氷漬けにされてしまう。
「お兄ちゃんはそんな事言わない……お前はお兄ちゃんじゃない……」
先程までの嬉しそうな表情から一転、冷めきったような目と声でアルシエラはそう言い放つ。
そしてアルシエラの頭部に氷の角が形成されると同時に、先程まで兄と呼ばれていたそれは粉々に砕け散った。
「はぁ……つまんな……」
ベッドの上に散らばる、さっきまで人の形をしていた氷片を生えた尻尾で雑に掃き飛ばす。
かと思えば、膝を抱えて丸くなって目に涙を浮かべ始めるアルシエラ。
「お兄ちゃん……会いたいよ……。」
酷く冷える部屋の中で、アルシエラが流した涙の雫が凍って小さな氷の粒になる。
すると彼女を中心として、魔王城内の温度が急激に下がり始める。
やがて部屋から漏れ出した強力な冷気が廊下を伝って行く。
廊下で異変に気づいて逃げようとした魔族が一人、走るようなポーズのまま氷漬けになってしまう。
「……な、なんだ……この寒気は……まさか!?」
城内に流れる異常な冷気に気がついた、竜のような見た目が特徴的な魔族のじい。
すぐさまありったけの防寒着を身にまとうと炎の魔法を唱えながら城を駆ける。
目指す目的地は、この異常の発生源であると推測されるアルシエラの部屋だ。
「アルシエラ様!アルシエラ様!?お開けください!……くっ!凍っている!」
凍りついた城内を必死に走り、やっとの思いでアルシエラの部屋の前にたどり着くとじいは激しく扉を叩く。
だが扉は完全に凍りついてしまっており、開く気配が無い。
ドアノブを握り続けたら、そこから手まで凍ってしまいそうだ。
じいは手にしていた杖の先端で、ガリガリと氷を削って扉に魔法陣を描く。
そして勢いをつけて凍った扉の魔法陣へと飛び込むと、じいの身体は扉をすり抜けて部屋の中へと転がり込んだ。
「ぬぅっ!なんという寒さだ……っ!アルシエラ様!お気を確かにっ!何があったのです……!?」
部屋の中には既に天井から無数のつららが形成されており、まるで氷穴のようだ。
ぬいぐるみ達も皆氷の中に閉ざされ、数刻前までのファンシー雰囲気はもうどこにもない。
じいはベッドの上で膝を抱えてうずくまるアルシエラに声をかけながら近づいていく。
そうしている間にもじいの身体さえもが凍り付き始めていた。
「アルシエラ様ッ……!兄君に……ッ兄君にもう一度お会いになられるのでしょう!?こんな所で泣いておられる場合ですか!?」
じいは既に半分凍ってしまった自分の尻尾を引きずりながら必死にアルシエラへと呼びかける。
「……じい……」
するとその呼びかけに反応したアルシエラが顔を上げる。
その目は涙で少し腫れていた。
途端、魔王城全体を氷漬けにせんと広がっていた冷気の勢いがぴたりと止まる。
「……また、お人形遊びをしておられたのですか?……いくら精巧に作れどそれは所詮、偽物。アルシエラ様の兄君では無いのです……」
防寒着を貫通するような寒さに、じいは震えながらもアルシエラを諭すように語る。
「……うん……」
アルシエラは涙を拭いながら、じいの言葉に頷く。
「兄君に再会できる方法を私と一緒に探しましょう……。」
そう言ってじいは、アルシエラにその震える手を差し伸ばす。
「うん……」
ようやく泣き止んだ様子のアルシエラは、じいの手をそっと取る。
じいはアルシエラが落ち着くまで、寒さに震えながらもその手を握り続けた。
◆◆◆
城内の氷もだいぶ解けて来た頃。
じいの懸命な説得によって落ち着きを取り戻したアルシエラは、じいの部屋で一緒に調べ物をしていた。
「うーん……全然わかんない……」
じいの真似をして、何かしらの言語で綴られた古い書物を開き覗き込んでいるアルシエラ。
しかし当然アルシエラには読めない文字で書かれているため、さっぱり内容を理解できない。
「古代文字、お勉強なさりますか?お教えしますぞ」
そんなじいの誘いに、アルシエラは全力で首を横に振って拒否する。
「だって勉強嫌いだもーん……はーあ、つまんない……遊びに行っちゃおっかな……」
そんな事を言いながら行儀悪く机の上へと腰掛けるアルシエラ。
退屈そうに脚をぱたぱと揺らしながら、ぼやく。
「まさかまた地上へお一人で行かれるつもりですか!?な、なりませんぞ!」
アルシエラの言葉に慌てふためくじい。
彼女は以前にもこっそりと魔界を抜け出して、地上世界へ行った事があった。
その時に持ち帰ってきたぬいぐるみを元に、魔界の職人に作らせたのが今部屋に並んでいるぬいぐるみ達である。
また地上世界の娯楽の1つである「小説」という文化を魔界に持ち込んだのも彼女であり、文才のありそうな魔族に定期的に自分好みの作品(兄妹モノ)を書かせて献上させている。
先日四天王との会議の前に玉座で読んでいたのも、その小説である。
「だってー……あ、そうだ!良いこと思いついた!」
片膝を立てながら頬杖ついていたアルシエラだが、何か妙案を思いついたようだ。
「じいが私をこっちの世界に呼んだ時に使ったのと同じ方法で、お兄ちゃんをこっちの世界に呼ぼうよ!」
ね、いい考えでしょ?とじいに笑顔を向けるアルシエラ。
だがじいは浮かない顔で、どこか気まずそうにしながらゆっくり口を開く。
「……それができれば良かったのですが、アルシエラ様を召喚するのに使った道具は遥か古の時代に人間たちが使っていたとされる物でしてな。実はその……アルシエラ様をお呼びした後、粉々に砕けてしまったのです。」
申し訳ないというように、深く頭を下げるじい。
「むー……じゃあそれと同じの作るか探して来てよ!」
折角のアイデアが上手く行かず、ちょっと機嫌を損ねながらじいに命令するように指をさすアルシエラ。
「そうはおっしゃいますがアルシエラ様。あれは我々にも今の地上人共にも作ることは難しいでしょう……なんせ、失われた古代文明の遺産ですからな。それに地上の古代遺跡を探した所で、使える状態の物が残っているかどうか……。」
悩ましげに頭を振って答えるじい。
数百年前に稼働する状態の古代遺物を偶然手に入れられただけでも奇跡に等しいと。
「むむむ……じゃあ、その古代遺跡っていうの?片っ端から全部掘り返せばいいじゃん!」
無茶苦茶な事を簡単に言ってのけるアルシエラに、流石のじいも困り顔を浮かべている。
「それはそうですがアルシエラ様。そもそも我々魔界に住む殆どの魔族は現在、地上を自由に行き来する事が難しいのですぞ?」
地上世界とは呼ばれてはいるが、それは魔界が地上世界の地下にあるという意味ではない。
そもそも魔界というのは人間たちが住む地上世界と同じ世界でありながら、異なる次元に位置する空間である。
だから地上世界から地面を掘って行ったとしても、決して魔界にたどり着くことはできないのだ。
魔族が魔界から地上世界へと移動する時は、転移魔法などによって地上の適当な位置に出る事ができる。
だが問題は帰るときであり、地上世界から魔界へと移動するためには通常は門を通らなければならない。
門というのは地上世界のとある場所に存在する古代遺物の1つであり、通称「地獄門」と呼ばれている。
アルシエラのような強大な魔力を持つ者は、自らの力で空間を歪めることで魔界へと戻れるがそれは例外。
そして現在その地獄門は地上世界の人間たちによって監視下に置かれており、魔ネズミ1匹通れないようになっているのだ。
「行くのはできるけど、帰ってこれない……だっけ?じゃあもう地上に住んじゃえば?」
そんな何も考えていないような提案をするアルシエラ。
それができれば苦労はしないのだと、また悩まし気な表情になるじい。
「そうしたいのは山々ですが、我々魔族は魔界以外では長く生きられないのです。地上で暮らせるとしても、定期的に魔界に戻る必要があります。」
「魔界研究者の話によればなんでも、魔界にしか存在しない特殊な魔力が我々に力を与えているからだとか……。」
「それが欠乏する事で我々魔族は力を保てなくなり、激しく衰弱してやがて死に至るのです。」
「だから今、魔族が地上世界へとひとりで出ることは、自殺行為にも等しいのですよ。」
長々と説明をするじいだが、アルシエラはあまり興味が無さそうな顔で聞いている。
「だから地上を支配して、昔のように魔族が自由に行き来できるようにしたい……でしょ?もう何度も聞いたし……」
わかってるわかってると言うように、ひらひらと手を振るアルシエラ。
その為にも先日、地上世界へと宣戦布告を行ったのだから。
「ええ、ですからその為にも魔王であられるアルシエラ様のお力添えを頂きたいのです!」
ぐっと拳を握りしめながら熱弁するじいと、はいはいと適当に聞き流すようなアルシエラ。
いまいちやる気を見せてくれないアルシエラに、じいは少し考える。
「……もし地上世界の制圧が完了すれば、古代遺物の調査もし放題になりますぞ。」
ぼそりとそう言うじいの言葉に、アルシエラはわかりやすく反応を示す。
「そうすればもしかすると、アルシエラ様の兄君をお招きするための遺物も見つかる……やもしれませぬな。」
一見何でも無さそうな顔をしているアルシエラだが、その尻尾は明らかにテンションが上がって揺れている。
「ふーん……そっか。……じゃあ、魔王様ちょっとだけ頑張っちゃおうかな?」
そのまま机の上に立つと、ニヤリと笑うアルシエラ。
やる気を出してくれた様子のアルシエラを見て、じいは内心でガッツポーズをする。
「(待っててね、お兄ちゃん……地上世界を支配したら、すぐにこっちに呼ぶからね……♪)」
期待に胸を膨らませるアルシエラの尻尾が、楽しそうに揺れていた。
魔王軍の地上侵攻開始まで、もう少し。