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魔女のお弁当

作者: 夜色めいじ

 よく晴れたある日の昼下がり。

 空は青く澄み渡り、暖かな陽気に包まれていた。

 どこまでも広がる蒼天の世界。雲の一つも見当たらない大空を、箒に乗って駆け抜ける一人の少女がいた。

 流れるような黒髪に、黒ローブと三角帽子を纏った姿が、白日の下で異彩を放つ。肩には小さな黒カバンをかけ、好奇心に満ちた初々しい表情を浮かべていた。小柄ながらも、その身に魔力を宿した彼女を、人は――魔女と呼んだ。



 一人前の魔女になるべく修行の旅をしていた彼女は、一休みをしようと箒を降下させて、眼下に広がる若葉色の丘へと降り立った。

 一面に草花が生い茂る緩やかな丘は、まるで草原のよう。吹き抜けた風が丈の短い草を撫で、波打つように揺らした。

 見渡す限り、どこまでも続く壮観な風景に感嘆の息をこぼす。今朝、故郷の村から旅立ったばかりの見習い魔女である彼女にとって、このような光景は初めてであった。

 うきうきとした気持ちでしばらく丘を駆け回った彼女は、周囲よりも少しだけ高く盛り上がったところにベンチサイズの石を見つけて、その上に腰掛けた。

 辺りに人の気配はない。胸の奥が晴れ晴れとするような開放感に、大きく深呼吸をする。土と草の香りが鼻をくすぐった。

 ふと空を見上げれば、太陽はちょうど正中を通過したところだった。


 ぐぅ~。


 空腹に耐えかねたのか、盛大にお腹を鳴らしてしまい、魔女は顔を赤くする。しかし、このだだっ広い丘では恥ずかしい音を聞かれる心配はない。

 彼女は安堵の息をつくと、肩に掛けたカバンの中に手を入れる。そうして四角いものが入った包みを取り出すと、手慣れた手付きで開いていく。中からは、ピンク色の弁当箱が姿を見せた。

 長年使い続けて色あせた箱の中には、出発前に母が作ってくれた昼ご飯が詰まっていた。


 弁当箱の蓋を開ける。食欲をそそる湯気が舞い上がった。

 気になる中身に目を通す。毒々しい色をしたポテトに、虹色に輝くキノコのソテー。とぐろを巻いた蛇のような、真っ赤なトマトスパゲティ。ごちゃ混ぜ感の否めない、カオスなラインナップ。その材料から調理まで、すべてが母の手作りだ。

 他の人が見れば軽く引いてしまいそうな見た目だが、村にいた頃から彼女のお弁当を食べ続けてきた魔女にとっては、もはや見慣れたものだった。


 お腹を空かせた魔女は、さっそく弁当箱に付属しているフォークを掴むと、まずは紫のポテトに手を伸ばした。いにしえの伝承に登場する『影の女王』が好んで食べたとされる紫色のジャガイモを、カットして焼いただけのシンプルな料理だ。

 お弁当の中身には保存の魔法が掛けられていて、常に食べ頃の状態が保たれている。よって、ポテトは焼きたてのホクホクなままだ。

 魔女は軽く息を吹きかけてから、ポテトを口の中に放り込む。


 奇抜な色に反して、ポテトは素朴な味わいであった。親子揃って塩辛いものが苦手だったため、調理には塩すら使っていない。そのため、味は素材が持つ味そのものである。

「でも、このシンプルな味がいいんだよね」


 このポテトは、昔からお弁当の定番だった。それこそ、初めてお弁当というものを作ってもらったときからお馴染みの料理だ。

 まだ魔女が幼かったときのこと。村で暮らしていた頃に初めて出来た友達とピクニックに行ったとき、持たせてくれたお弁当に入っていたのが最初だったか。世にも珍しい色のポテトに友達が興味を持って、分け合いっこしたんだっけ。その日の帰り、「友達と仲良くなれた」って、大はしゃぎしながら母に報告したことを覚えている。

「懐かしいな……」

 魔女は幼い頃の記憶を思い出しながら、懐かしさとともにポテトを頬張った。



「で、次はこれかぁ……」

 弁当箱の中でひときわ異彩を放っているキノコのソテーを前に、魔女の手が止まる。

 七色に輝いていることから、俗に「虹色キノコ」という安直な名で呼ばれているそれは、栄養価がとても高く、一房食べれば3日は栄養に困らないんだとか。

 しかし、独特な食感と匂いがどうにも苦手で、お弁当に入っていたときはそっと弁当の隅っこに残していたことを覚えている。


 本来は滅多に見つからない幻の食材……なのだが、どのような手法を用いたのか母が虹色キノコの培養に成功したため、割と定期的に弁当に詰め込まれていて、そのたびに魔女を悩ませていた。

 食べたくないと何度抗議したことだろう。けれど、裕福ではない我が家において、栄養不足は深刻な問題だった。だからなのか、母は娘のお弁当にキノコを入れ続けていたのだ。

 どうせなら、虹色キノコを売ればもっといい物を食べられるんじゃないかと聞いてみたこともあったが、母は首を縦に振ることはなかった。理由はおそらく、キノコの培養に魔法を使っていたからなのかもしれない。


 魔法というものは、世間から悪魔の技であると認識されている。だから、もし魔法を使って虹色キノコを育てていることが露呈すれば、魔女であることが知られてしまうかもしれない。そうなれば、どのような事態を引き起こすのか分からないのだ。

 だからこそ母は、虹色キノコを娘の栄養のためにのみ育てていたのだ。それが魔女にとって、喜ばしいことだったかはさておきだが。


「……まぁ今となっては、そのありがたみも分かるんだけどね」

 魔女は意を決して、フォークをキノコに突き刺した。ソテーにはフルーティーな香りがするソースがかかっていて、苦手なキノコの匂いを打ち消している。おそるおそる口内に放り込むと、ソースの芳醇な風味が舌に触れた。肝心のキノコも一口大にカットされていて、難なく飲み込むことが出来た。


 この料理は、キノコ嫌いの彼女がどうにか食べられるようにと、母が工夫に工夫を重ねて作られたものだ。だから、こうして嫌々ながらも食べられるようになったのも、母の努力の賜物なのかもしれない。


「思えば、お母さんの苦労も知らずに、随分とわがままばかり言っちゃったなぁ」

 キノコのことだけではない。欲しいおもちゃが手に入らなくて泣きじゃくったとき。友達のように村の学び舎に通いたいと駄々をこねたとき。無関係なことで八つ当たりをしてしまったこともあった。本当に、ひどいことをしてしまったと思う。

 けれど母は、そのたびに困った顔をしながらも、どうにか娘の望みに応えようと手を尽くしてくれた。欲しいおもちゃの代用品を手作りしてくれたり、村長に計らって学び舎に通わせて貰ったりした過去を思い出して、魔女は口の中のソテーをかみしめる。溢れ出したソースの味が身に染みた。



 キノコのソテーを完食した後、魔女はメインディッシュにフォークを向けた。弁当箱の約半分を占めるのは、真っ赤なトマトソースが麺に絡んだスパゲティだ。フォークを使って、くるくると巻いて食べる。完熟トマトの濃厚な味が、口いっぱいに広がった。


 よく夕食で作ってくれることが多かったスパゲティの中でも、彼女はこのトマトソースのものが特に好きだった。

 こうして弁当箱に入っているのは何だか新鮮であったが、魔法で作りたての状態に保たれているため、冷めてしまうことはない。よって夕食のときのように、作りたてのおいしさを心ゆくまで堪能することができた。


 子供のころ、「もし旅に出るような日が来たら、お祝いにこれを食べたいな」なんて言ったっけ。母には「もっとお祝いらしい料理じゃなくていいの?」と問われたが、当時はそれ以上に食べたい料理なんて思いつかなかったのだ。きっと、そのときのことを覚えていてくれたのだろう。


「ほんと、昔のことなのによく覚えてるよね……」

 残り少なくなったスパゲティを巻き取りながら、魔女は懐かしむように呟く。


 こんな自分にも関わらず、心血を注いで育ててくれた母は、どんな些細なことでも気に掛けてくれていた。いつも娘の変化にいち早く気付いては、必ず側にいて助けてくれた。

 普通の人とは異なる自分に悩んだときも、学び舎で友達の輪に馴染めなくなったときも。

 ――魔女であることを知られてしまったあの日だって、母は村のみんなから庇ってくれた。

 母だけは、ずっと味方でいてくれた。


 魔女は、旅に出る自分を見送ってくれた母の姿を思い出す。たとえ自分がどれだけ辛く、苦しい状態であったとしても、家を出発する娘に向けて手を振って、いつも笑顔で送り出してくれた。


 ――お母さんはね、あなたが元気で生きていてくれることが何よりの幸せなの……。


 母がよく話してくれていた言葉が、脳裏に浮かんだ。

 魔女は赤いスパゲティを口に含む。ぽろぽろと、涙が溢れてきた。

 口の中が少し、しょっぱくなった気がした。

 お弁当を食べ進めていくたびに、視界がどんどん滲んでいく。スパゲティを食べ終えたとき、大粒の雫が箱の中に落ちた。



 頬を涙で濡らしながら、魔女は最後に弁当箱の隅っこに目を向ける。琥珀色に煌めくフルーツが残されていた。甘い香りを漂わせるそれは、丹念に毒を抽出した毒リンゴをスライスして、甘い蜜に漬け込んだ、母の手作りデザートだ。

 わざわざ手間をかけて毒を抜くぐらいなら、普通のリンゴでいいのでは? と何度もツッコんだが、なにやら毒リンゴを使うことに妙なこだわりがあるようだ。

 いたずらっぽく笑う母の顔を思い出して、思わず魔女はくしゃりと相好を崩す。


 琥珀色のリンゴをフォークで刺して、めいっぱいに頬張る。

 「お、おいし~い!」

 蕩けるような舌触り。口の中が優しい甘さで満たされていく。あまりのおいしさに、魔女は頬が落ちないように押さえながら、幸福感に目を閉じた。


 昔から、このリンゴの蜜漬けが何よりも大好きだった。何かを達成したとき、辛いことがあったとき、いつも弁当箱の隅に忍ばせてくれていたデザート。それがどれだけ彼女に勇気を与え、心の支えになったことか。

 悲しみにくれて前に進めなくなったときも、自分に自信を無くして、未来の不安に押しつぶされそうになったときも……母だけは信じてくれた。

 旅に出る娘を、信じて後押ししてくれたのも母だった。


 だから――もう泣いてなんかいられない。


 信じて送り出してくれた母に、恥ずかしい姿は見せられない。

 魔女は目尻に滲んだ涙をぬぐう。

 そして、最後のリンゴをじっくりと堪能してから、空っぽになったお弁当に手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 魔女は弁当箱の蓋を閉じる。

 どんなときでも側にあった。温もりが詰まったお弁当は、いつも魔女の心に寄り添ってくれる。母のお弁当には、まごうことなき魔法が込められていた。


 空になった弁当箱を、お守りのようにバッグにしまい込む。

 そして、昼ご飯を終えた彼女は立ち上がり、その場でグッと伸びをした。

 石の横に立てかけていた箒を手に取り、なだらかな丘を駆け下りる。助走をつけ、地面を蹴った彼女は、再び大空へと飛び上がった。


 ふと、彼女はそっと背後を振り返ろうとして……けれどやめた。

 必要だと感じなかったから。いつだって、支えてくれていることを知っているから。

 だから、修行の旅を終えるまでは振り返らない。

 まっすぐに前へ進み続けること。それが、いままで支えてくれた母への、何よりの恩返しだと思うから。


 そして、いつか母のような立派な魔女になれたのなら、こう言うんだ。

 ――ただいま、って。

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