困惑と悲観と歓喜の混色
穏やかな日常をかみしめてみる。いつもの通学風景、いつもの学校、いつもの教室。そう、日本の学生に与えられた“当たり前”。本来ならそのことはとてもありがたいのだが、普通の学生はそうは思わないらしく、学校などなぜあるのか。そのような疑問符を常に頭に浮かべながら過ごす。そしてここにも当たり前を当たり前と思わない大バカ者がいた。
「なぁ、なんで学校って滅びないのかな?」
「いくなりどうした? 現実逃避しても学校は消えないぞ?」
机に頭をひっ付けこれ以上ないくらいに姿勢が悪い。このまま机と一体化してしまうのではないかと思われるほどだ。そう、鈴木智貴は現実逃避に走っていたのだ。しかし、それもいつものことなので誰も気にすることはない。
「帝さ~、なんでそう真面目な考え出来るの? 元不良のくせに」
「お前殴るぞ? 不良=不真面目と断定するな。世の中には真面目な不良さんだっているのだ」
「お前の場合は面倒だから考えるのをやめてるだけだろう? それのどこが真面目だこの馬鹿どもが」
「亮さん、いつにもまして毒舌っすね」
「貴様らにはこれくらいが丁度いい薬だ。まったくなんで俺はこんなやつらとつるんでいるんだろうな全く」
珍しく眼鏡を外したかと思うと、レンズを凝視し納得いったかのように戻した。この日もノー眼鏡亮を拝むことができなかったことはある意味残念なことである。それに気づいた亮は自慢げな表情のまま教室を出て行ってしまった。
「えっ? 何? 今の嫌がらせ?」
「十中八九な」
ちぇ、嫌な奴とこぼしながらまた机に潰れた。そしてそのまま寝息を立て始めてしまった。どうせならずっと起きてみろよと念話で送ってはみたものの、努力は実らず智貴は完璧に寝いった。その光景をみた明日華はつかつかと智貴の前まで来て、机をあさり、プリントの束を丸めて・・・・
スパーーン!!
豪快な音を立てて、頭に叩きつけた。頭を押さえ、しばらく動かなくなる。顔を上げ、鼻血が出ていないかを確認して・・・・また寝た。怒りマークが明日華の頭に見えた。一度、自分の席に戻る。そうして、今度持ってきたのはドラ。一体どこに隠していたのかは気になって仕方がないが流すことにして、観察に専念した帝。しかし、居眠りの常習犯である智貴には全く効果がないようで、教室中いや学校中に鳴り響いたドラの音は無残に消えていった。これに関しては流石の明日華も口が塞がらないようでそのまま立ち止っていた。しかたないので帝は智貴のそばにより耳元で囁いた。
「早く起きないと俺が永遠の眠りにつかしてやるぞ? それとも亮にしばかれるか?」
「はい! 起きます!! 起きさせていただきます!!」
さっきまで爆睡していたのが嘘のようで、目元はぱっちりと開き、活力はいつも以上に回復していた。
そこまで嫌になるほどなにかされたのか、とクラスが思う中、明日華は握り拳を掲げいかにも殴りたそうな奇麗な笑顔で智貴を見降ろしていた。なぜそうなったのかを一瞬で把握した智貴は逃げることなく、明日華を一生懸命になだめていたのだが、怒りは最頂点に達していたため一切の説明や言い訳もむなしく、その拳は智貴の頭に振り下ろされ、二度目の就寝となった。
授業が始まるなり亮は教室に現れ、智貴に目を移すとしばらく考えたのち、理解したのか手を合わせ、拝んだ後、口元をゆるめたまま席に座り、肩を揺らし始めた。無論、笑っているのである。
そんなゆるやかな一日だが時に強い視線を感じる。それは間違いなく、自分の背後というよりすぐ近くからなるものと分かっていた。天条院奏。名家・天条院の一人娘にして正当後継者。成績優秀、容姿端麗、才色兼備のお嬢様。生徒会長の望月早苗に並ぶ美人にして人気者。彼女は編入そうそう学校内の有名人になっていた。たとえそれだけ多くの人間に認められたとしても帝にはどうでもよかった。自分の平和で温厚な日常さえ壊れなければ、とそんな甘い考えはあっという間に崩壊した。今では視線を視線を流し、存在感を無理やり感じないという技法まで手に入れてしまった。しかし、相手はそんなに簡単には流せないと理解したのはほんの数日前。彼女もまた自分のLVを上げ、こうも帝と戦闘を繰りなしている。ここまで精神的にくる戦いは帝も初めてのことで、鬱に入らないかと不安になるほどだ。あまりにもしつこいので、ほんの少し盗み見るつもりで見れば、してやったりと笑顔をみせるのだった。
(まじで勘弁してくれ・・・)
本当に鬱になりそうだった。
鬱になるのは勘弁してほしい帝は、授業が終わるなり奏のもとに寄った。
「あら、御前さんどうかいたしましたか?」
本人は自分は知らないと頬笑みながら、帝を見据えた。しかし、帝には見えた。その笑顔の裏に嘲笑う小悪魔を。その存在に身震いしつつ帝は自分の持つ疑問をぶつけた。
「一体どういうつもりだよ?」
「だから何がでしょう?」
「はぁ・・・とぼけんなって。なんで俺に視線向けてんのさ?」
「あら、私がいつあなたのことを見たいたと? 自信過剰ではなくて?」
「まぁ、実際ならな。全くあれとこれと返し言葉だけは立派なのは昔から変わらないんだな」
「あら、昔のこと覚えててくれたんだ。嬉しい」
「言葉に嬉しさがまったく感じられないのだが」
「愛が足りないわ」
さすがにこう来るとは思わなかった。目を丸くして、空いた口が塞がらなかった。返し言葉がうまいのは幼いころから体験したが、冗談を交えたのはこれが初めてだった。
くすくすと口を押さえ、笑う奏。それを見て少しほっとした。中学までは人形のように感情表現が苦手だった女の子がここまで感情豊かになっているのだ。彼女もまた変わってきた証拠だ。
「帝もいろいろ変わったみたいですけど、顔に出しやすいところは変わらないのね」
「うるせぇよ」
「・・・本当にずるいわね。こっちは必至なのに」
「ん? なんか言ったか?」
「何も」
ほほ笑むその顔は何事もないように見せてはいるが、その裏には何かあると悟ってしまったが関わらないほうがいいと本能が告げていた。今はまだ、自分の生活を、日常を変化させるべきではないと。ただ、奏と話したことで少し安心してしまったということも事実。複雑な心は帝を不安定にさせる。しかし、そこは今までの経験で落ち着かせることにした。喧嘩をするときはいつもそうだった。高ぶった感情を抑え、冷静になること。それが帝にとって一番必要なスキルだった。怒りや高ぶった感情は力を与えるが、逆に自分を危険にさらす諸刃の剣と知っていたから。喧嘩を止めた今でもこのスキルは帝のポテンシャルになっていた。
「そっか。じゃあな」
「ええ」
二人の間に風が吹く。それは変化の風。きっかけの風。崩れかけた関係を取り戻す風となる。しかし、その風はまだ御用ではないと通り過ぎる。しかしその風がまた吹くのは遠くない話なのではないのかもしれない。
席に着く帝。すぐさまそばに寄る智貴。
「なんの話してたんだ?」
「ん? 何も」
片眉をあげ、納得のいかない表情を見せて、帝と奏を交互に見る。あまりにも二人がすっきりとした表情を見せていたため、なんかどうでもいいと表情が変わった。二人に、いや、帝に不満がないのなら問題ないと結論に至ったのだろう。
「そっか」
興味がなくなったようで、席に戻り眠りについた。それを見かねた明日華が飛んできて辞典の角で殴る。鈍い音を立てて、智貴は動かなくなり何度目かわからない就寝となった。
眠気と空腹に耐えて午前の授業が終わりを迎えた。終了の鐘とともに購買部へと走る貧乏学生たち。そんな中帝たちは悠々と食堂に向かっていた。暁学園の食堂は大きい。とにかく大きい。生徒数が1000人近くいるためほぼ全員入れるように設計したらしい。ちなみに暁学園は小等部・中等部・高等部が合わさって出来ているため、敷地も施設も大きい。その割には学費は公立と変わらない。その理由は暁学園の理事長がものすごい金持ちであるからだ。学校で儲けれなければ他で儲ける。そのような考えで運営していると亮から聞いたことがある帝だった。ただし、曖昧の記憶ではあるが。
「皆何食べる?」
「ラーメン」
「AランチとDセット」
「蕎麦」
「蕎麦って・・・亮それ持つのか?」
「俺から言わしてもらえば智貴のAとDのセットは異常だ」
なんのなんの、と笑いながらAとDセットさらにサンドイッチまで頼んでいた。負けじと帝はラーメンにチャーハン大盛り、餃子、ワンタンスープを頼んでいた。亮と明日華は呆れながら、蕎麦とパスタを頼んだ。それから智貴と帝の戦争が始まるのであった。
昼食を食べ終わることろには二人ともグロッキー状態で、一歩も動けないでいた。無論そのあと亮の皮肉と明日華の説教を味わいつつ、完食した。
あれだけ食べて智貴はグラウンドでサッカーをしていた。一体どうやったら消化できるのかと帝は疑問に思いつつ、木陰で休んでいた。明日華と亮は図書館に向かい、次の授業の予習をしているらしい。勉強とは無縁の二人には過酷の二文字しか浮かんでこなかった。
元気に走り回る智貴を見ながら風に当たっていると、風のように澄んだ声で声をかけられた。
「大丈夫ですか? 無理でもなさいましたか?」
「あっ、いえ、だいじょう、ぶ、です」
そこには髪をそよ風に撫でられ、日光を浴びて美しい顔立ちで笑った奏がそこにいた。全くの予想外で驚きを隠せない帝。返事もなんだか中に浮いたままどこかに飛んで行ってしまった。それを微笑ましく見つめる奏。その笑顔で逆に冷静になっていく帝の脳内。驚きの表情も薄れ、そっぽを向いてまたグラウンドを見つめる。残念そうに溜息をつく奏。さりげなく帝の隣に座った。
「どうしてここにいるんだ?」
「私がどこにいようと私の勝手でしょう? それともあなたは私のご主人様なのかしら?」
「・・・減らず口が」
「お互いさまよ」
ゆっくりと時間は流れていく。時間なんてさっさと流れてしまえばいいのにと自然に訴えかけてみるものの、そよ風と温かな春の日差しは余計に時間を長く感じさせた。少々この時間が嫌になってきたそんな時奏が口を開いた。
「私、よく独り言喋るのよ。どうせ他人に言っても通じないことのほうが多いから」
独り言ならと、帝は口を開こうともせずにグラウンドを見続けた。たった今智貴がダイビングヘッドでゴールしたものの、そのまま地面に顔面キッスをして転げまわっている光景が広がっている。普通なら大爆笑ものなのだが、自分の周りの空気はそれを許してはくれなかった。そうして奏の独り言は続く。
「なんでこうなったんだろうって今でも思うわ。あの時ああすればこんなことにならなかったかもしれない。もう少し頑張ってみれば違う結果が生まれたかもしれない。だけど私は何もしなかった。・・・それはそうよね。あの時の私は世間を知らず、ただ家の中で英才教育を受けて育ったんだもの。感情なんて生まれはしないわ。ただつまらない日常を過ごして、成績が良いからって褒められることもない。そう、ただ退屈なそんな世界に私はいた」
上級貴族というのだろうか。庶民の帝には考えられない日々を彼女は送っている。その声の冷たさがその残酷さを物語っていた。奏の独り言は止まらなかった。
「だから姉さんが羨ましかった。感情豊かで、皆に愛されて、毎日が楽しそうで」
嫉妬。憧れ。どちらかわからないそんな曖昧な彼女の言葉達。知らず知らずのうちに帝は聞き入ってしまった。
「私は嫉妬していたのかもしれないわね。自由に楽しそうに過ごす姉さん。・・・ううん、違うわね。私が嫉妬したのはただ一つ」
緩やかな風邪は奏の髪を流し、周りの音を消してしまう。木々のざわめきに周囲の音が隠れようとも帝は次の言葉を聞き逃すまいと集中した。
「・・・・私が姉さんに嫉妬したのは・・・・彼女が帝という男性に愛されていたこと、かしら」
木々のざわめきはいっそう周囲の音をかき消し、帝を考えさせまいと攻撃を仕掛ける。
そう、今のは独り言。彼女が勝手に言い出したことだ。関係ないと思いつつも視点はあちこちに動きまわり、そのうちそれに耐えれなくなって頭上を見上げた。蒼い空が悠々と雲を流している。
沈黙が続く。
キーンコーン
予鈴がなり、グラウンドにいた面々もかたずけを始める。帝もその場から逃げるように校舎へと歩を進める。奏はただ一人、座ったまま無人となったグラウンドを見続けているのだった。