裏話・第一王女はかく語りき
姉姫視点。
どシリアス回。鬱注意。本編というよりほぼ原作ゲームの裏?苦手な方は飛ばして大丈夫です。
―――神は余程、わたくし達母子がお嫌いらしい。
わたくしの名は、クインテット。
ヴォルフガング王国が第一王女、クインテット・ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト……と、名乗って良いものか。
無論、公式には、それがわたくしの身分ではあるのだけれど。
わたくしの生母は、側室第一位セレナータ・ノットゥルナ。
この国では、王族は“神の兄弟”との伝承に基づいて、妃は飽くまでも“王族の妻”とされている。
王の血を引くその子供に関しても、基本は“妃の子供”であり、“神の兄弟”であるヴォルフガング王族として継承権を持つのは、正妃の子供のみ。
そう。わたくしは、正妃グラン・パルティータ殿下の養女なのだ。
わたくしは、生まれてすぐに正妃殿下の養女、正統の王女として王家に迎えられ、生母を国王陛下の側室として迎える役に充てられたらしい。
だから、わたくしは、公式には母を「セレナータ妃」と呼ばなければならない。
成人したその日、国王陛下からそう知らされて、わたくしは愕然とした。
仮令非公式の場であっても、わたくしが母を“お母様”と呼ぶ事は、二度と許されない。
陛下の温情で、私的な場であれば、「わたくしの母」と称する事だけは許されているけれど。
勿論、あの正妃殿下が、“憎い貴族風情”の血を引くわたくしを娘と認める訳もなく。
わたくしはあの日、母と呼べる存在を喪失した。
……こんな筈ではなかった。
学園で評判の才媛であった母を、陛下が見初め、幼い正妃に代わって、一時的に公務を助けてほしいと要請された時、母には別の婚約者がいた。
しかし、国王の側室に上がった女性を下賜されるのは名誉だからと、婚約者はそれを了承した。
一時的な、仮初だったのだ。
正妃殿下が成人され、ヴォルフガングに嫁いできた暁には、その業務を補佐し、引き継ぎが終わった時点で、母は元の婚約者に下賜される。わたくしはそれに付いて、改めてその二人の養女となって、王籍を抜ける筈だった。
――そうして、誉れ高き忠臣一家として、末永く幸せに暮らせると、思っていたのに。
まさか。わたくしと母を紹介された正妃殿下がヒステリーを起こし、泣き喚いて全てを放り出すなどと、誰が予想できただろう。
当時八歳のわたくしから見ても、あまりに頑是なく、幼稚な姫。
最後の砦である、次期国王を産むという責務を放棄せず、正妃の地位を守る事ができたのは、不幸中の幸いだろうか。
でなければ、他国の王女である側室の産んだ男児と、侯爵令嬢が産んだ第一王女のわたくし、どちらを次期国王として推すかで、凄まじい争いが起きる事となったに違いない――。
だが結局、公務を引き継ぐどころか、部屋に籠り切りとなってしまった正妃殿下に、わたくしも、母も、引くに引けない立場となってしまった。
泣きたいのはこちらの方だと、放り出したいのはこちらの方だと、何度思ったかしれない。
更には、わたくしが十歳の時に生まれた王太子が、長じるにつれてわたくし達への敵意を露わにしてくるのを見て、つくづく嫌になってしまった。
そんなわたくしに、国王陛下は、公務として、シベリウス王国への特使を提案してきた。
――二歳の時、他国をわたくしの後ろ盾にする為に結ばれた婚約。
――王家を抜けると同時に反故にする筈だった、脆い婚約。
それを解消し、きちんと後ろ盾として機能する国と婚約を結び直すか。それとも、婚姻を使ってヴォルフガングと関わりが薄く、地理的にも遠いシベリウスに逃れるか……それを、選べと。
その為に一度、自分の目でシベリウス王国と、婚約者の人となりを、見極めてこいと。
完全なる公私混同だが、それを批判するには、わたくしは疲れ過ぎていた。
何故なら、それは即ち、わたくしが生涯第一王女である事から逃れられないという宣告。
いつかと夢見ていた、ただの貴族として母に「お母様」と呼び掛ける未来を、永遠に潰された瞬間だったから。
――きちんとした後ろ盾を得たとして、次期国王があの調子では、その国とヴォルフガングの関係が悪くなるかもしれない。
あの子が即位した後の、母の扱いも不安がある。
いっその事、母子二人でシベリウスに行く方がいいのではないか。
けれど、北の果ての、国交も碌に無い国だ。どんな生活かわかったものではない。もしも蛮族の国だったらどうしよう――。
そんな、どうしようもなく荒んだ気持ちで訪れたわたくしを温かく迎えてくれたのは、初めて顔を合わせる、わたくしの婚約者だった。
――オーロラの国の、王子様。
気弱で、少し頼りないけれど、底抜けに優しくて、聡明な方。
正直、ふさふさの毛皮をまとって出て来られた時は、熊だ。蛮族だ。と思ってしまったけれど。
「……もしや、婚約の見極めにいらしたのですか?」
周囲に気取られないようにではあったけれど、歓迎の宴の席でそのように問われた時は、肝が冷えた。
「とんでもございません。ただ……個人の考えを申せば、わたくしの婚約者について知りたいとは望んでおりますが」
「そうですか」
心の底まで見透すような氷色の瞳に、何故か恥じ入ったのを覚えている。
「失礼を申しました。我が国にとっては望外の幸運ですが、そちらにとって、あまりに益の無い婚約と考えておりましたもので」
だから何があっても仕方がない――と、諦念のにじむ静かな微笑みを向けられて、戸惑った。
「ですが、わたくしの生母は貴族令嬢です。生粋の王族にとって、それを正妃に据えねばならないのは、不本意な事ではございませんか?」
「はは。そういった理由で“生粋の王族”でないとおっしゃられるなら、我が国にまことの王族などおりませんよ」
驚くわたくしに、あの方は淡々と、シベリウス王国について語ってくださった。
得られるものは獣と魚しかない、不毛な土地。
一年のほとんどを雪に閉ざされた、白の大地。
そこに生きる過酷さは、屈強な戦士と、強い絆を育み、ありとあらゆる意味で、侵略を考える国などない王国を築き上げた。
不毛であるが故に、政略を求められず。
過酷であるが故に、移り住む事を望まれず。
戦がない故に、和解もなく。
孤立したシベリウスは、時折島流しのように贈られる相手を娶るだけとなり、ほとんどの場合、国内に相手を求める事となった。
無論それは、王族とて例外ではなく。
「私の母は、父の再従姉妹で、確かに王族です。しかしながら、父母は共に、家臣の子を片親に持つ人間です。殿下が負い目を持たれる必要など、どこにもありません」
「そう、ですか……」
そのような国があったのか――と、驚いた。
ここでなら、幸せになれるかもしれない。
ふと、そう思えた。
暮らしは過酷かもしれないが、生粋の王族以上に、王族らしくあらねばならない――。わたくしを律し続けてきたその痛いほどの枷が、するりと外れたような気がしたのだ。
「……どうでしょう。ここまで聞いても尚、我が国との縁を、望んでいただけますか?」
「ええ、勿論」
だから、つい、頷いてしまって。
二人揃って、驚いた顔を見合わせる事になった。
「……本当に?」
「あ、いえ……国の大事ですので、わたくしの口から、軽々に申し上げる事ではないかと……」
本当は、婚約に関しては、わたくしに一任されていた。
それでも言葉を濁したのは、ようやく冷静になった頭が、わたくしが王族にあるまじき利己的な考えに陥っていると、気が付いたからだ。
国の為にあるべき婚姻を、自分の心の安寧の為に使うなど、とんでもない。
そもそも、弟が即位後、わたくしを理由にシベリウスに便宜を図るなどあり得ない。
それでは、これまであったという遠流代わりの婚姻と、何が違うのか。
だから、わたくしは訊いたのだ。
「……タピオラ殿下。殿下は、我が国に、何を望みますか?」
それに、あの方は非常に嬉しそうに笑った。
「私が望むのは、安定した交易と、医療です」
農耕において壊滅的なシベリウス王国は、野菜も、穀物も、全て輸入に頼っている。
それでも、シベリウスから少し南へ行けば、穀倉地帯が広がっている。交易は容易だ。
だが、その辺りは小国が小競り合いを繰り返す、群雄割拠の地帯。戦で交易がストップするのは勿論、「どちらの味方につくのか」と言われ、他の国との交易を止めないと、輸出制限や関税等の報復を受ける事がままあるのだ。
一番の望みはヴォルフガングとの交易だが、距離的に難しいのであれば、同盟国として、中立の証明に力を貸してほしい――。
それが、あの方の一つ目の願いだった。
そして、もう一つの、医療。
先と同様の理由で、薬草もまた、シベリウスでは希少である。
しかし、安定供給を求めるなら、食料品を減らして輸入しなければならない。
外貨を得る手段は、獣や魚だけ。輸入の予算は知れているのだ。使うかわからない物に割く余裕はない。
だが、必要になったからと伝手も無いのに他国に求めても、時間と対価が法外に掛かる……。
「ですから我々は、病や怪我を、運命として受け入れています。他国であれば、恐らくは当たり前に助かる者までが、死を受け入れているのです」
そう聞かされて、わたくしは言葉を失った。
「私は、それを変えたい。学術大国ヴォルフガングの、医療知識と、薬を流通させる為の、足掛かりを。私は望みます」
もしもそれで、自分のように体の弱い者を、頑丈な体にしてやれたら……これほど嬉しい事はないと。
それに、わたくしは。
「覚悟は、おありですか?」
「……覚悟?」
「はい。薬と毒は、紙一重。薬とは、量を違えただけで人に害をなす物です。それこそ……体の弱い人間を、人為的に作り出す事もできる、恐ろしい存在です」
……少し、意地が悪かったかもしれない。
けれども、薬を神の福音とでも捉えているようなあの方の様子は、わたくしを危惧させた。
「恐れてください。闇雲に広めれば、必ず、救い以上の悲劇をもたらします。薬が“悪”とされてからでは、遅いのです。何も起きないうちから、備え、管理しなければ」
言い募るわたくしに、あの方は、不思議な微笑みを浮かべられた。
「ありがとう」
ただ静かな、笑みを。
「――大丈夫。どのような事でも、全て。覚悟は出来ています」
……思えば。
わたくし達は、この頃にはもう、何もかもわかっていたのかもしれない。
病や傷を“運命とする”国で、あの方の願いが、異質である事も。
屈強な戦士が育つこの国で、体の弱いあの方が、王太子である事の意味も。
だが、だからと言って、まだ何一つ動いていない今、シベリウスの第二王子が反乱を起こすなど、どうして予測できただろう。
――あの方が王太子である事を不服とする、内乱。
その前に、わたくし達の脆い婚約は消え去った。
「嘘つき……っ」
止まらない涙を零れさせながら。
わたくしは独り、遠いあの方をなじる。
「“屍は何も産まない”と、おっしゃったではありませんか……!!」
シベリウスにて。ヴォルフガングとの取引材料を探していたわたくしは、血の気が引くようなものを見つけた。
それは、狩りの道具として見せられた物だった……の、だが。
「これは……」
余りに大きく、余りに鋭く、余りに、強い。
聞けば、彼の国の狩りや漁とは、身の丈を遥かに凌ぐ巨獣との、命懸けの戦いなのだと言う。
それを仕留める為に研鑽を繰り返してきた、その結果だと言うのだが……。
不毛な土地だから、攻められなかった?
謙遜にも程がある。
これを武器として使えば、盾だろうが、鎧だろうが、紙切れ同然だろう。これに比べたら、弓も剣もただのおもちゃだ。
このような物を軽々と振るう戦士達に向かって来られたら……二度と、攻め入ろうとなどとは思うまい。
「……殿下。これを、人に向ける考えはお持ちですか?」
「なんですと?」
ぽかんとするあの方に、冗談ではございませんと、首を振った。
「これを戦の武器とするならば、シベリウスは、軍事大国となり得ます。穀倉地帯の小国を統一し、北の大国を創るお考えは、ございませんか?」
そうなれば、ヴォルフガングとも同等に渡り合える――。
前のめりになるわたくしに、立ち尽くしていたあの方は、途方に暮れたように笑った。
「戦って、勝って…………そして、どうすれば良いのでしょう?」
凡そ、一国の王太子が口にする事とは思われない言葉に、わたくしの目は点になった。
「どう……とは?彼の穀倉地帯が、自国の領土となるのですよ?食料も、薬草も、お望みのままではございませんか……」
「我々に、そのような技術はございません。それとも、我々に家族を殺され、傷つけられた者達が、我が国の為に収穫した物を差し出してくれるとおっしゃるのですか?」
「……征服とは、そういうものです。敗者は、勝者の下で生きるべきです」
「私は、そうは思わない」
当たり前の事を言っている筈なのに、氷色の瞳に見つめられると、何故か気が咎めた。
「我が国には、このような戒めがあります。――“屍は、何も産まない”」
狩りや漁に臨む上で、決して忘れてはならない戒めなのだと、あの方はおっしゃった。
「肉。角。皮。骨……獲物の亡骸は、多くの恵みを与えてくれます。しかし、それが子を産む事は、二度とない。獲物を一匹狩る事は、その倍の獲物を失う事なのです。我々がその獣の子を産めない以上、明日の我々から、恵みを奪うべきではない」
だから――と、あの方は、まるで幼い子供をあやすように笑った。
「交易で得られる物を、戦を用いて奪おうとしてはなりません。その為に命を捨て、命を奪ってくれる戦士など、我が国にはいないのです」
あの方は――そして、あの方の味方は。
退位を、良しとしなかったのか。
命を争う事を選んでまで。
あの時、わたくしは自分の傲慢さを恥じたけれど。
「……それに、差し出されても、毒が入っていそうで怖いな……」
その呟きは、ちゃんと聞こえていましたよ。
本当は臆病で、猜疑心の強い殿下?
王太子の地位など、無血で譲ってしまえばいいのに。
帰国してすぐ、学園に入ったわたくしは、頑張りました。
学園で。茶会で。夜会で。
シベリウスでしか獲れない獣の毛皮の温かさを自慢し、オーロラの美しさを語るのに合わせて、虹色に輝く角の宝飾品を披露し。
「第一王女は商人に嫁ぐらしい」と陰口を叩かれながら、社交界に“シベリウスの物は一級品”とのイメージを植え付けました。
これで、如何に次期国王がわたくしを嫌おうと、シベリウスとの国交を絶つ事は出来ない――。
そう安心した矢先に、望外にも、可愛らしい婚約者を得た弟が、態度を軟化させてきました。
何もかも、全て、上手くいく筈でした。
あなたがただの王子となっても、あなたの夢は叶ったのに……。
婚約解消の書類と共に届けられた手紙には、シベリウス語で一行。
“いつか、必ず。”
いいえ、殿下。
あなたとのご縁が巡ってくるのは、他の有力候補が、全て破談となった後。
この内乱がどのような形で終結したとしても、わたくし達の道が交わる事はもうないでしょう。
「――さようなら、憎い人」
わたくしは、ヴォルフガング王国が第一王女。
あなたに恋して待つ女には、なれません。
アリア様「変なルビ振らないでくださいまし!!“婚約者”ってなんですのぉおおおおおおおおおおお!?」