裏話・王太子はかく語りき、その二
王太子視点です。
「―――姉上。先ほどはらんぼうをして、申し訳ない」
僕の謝罪に、姉上は、こぼれ落ちるんじゃないかと思うくらい、大きく目を見張る。
いつも、「王族たる者、感情を露にするものではありません」とか言っているくせに。なんて顔だ。
呆れが伝わったのか、急に姿勢を整えた姉上は、軽く咳払いする。
「謝罪を、受け入れます。……わたくしも、言葉が過ぎました。それも、あなたの婚約者の前であのような……。申し訳なく思います」
まったくだ。
お陰でこちらは、婚約者の前で泣く事になったんだぞ。
まあ、顔を隠していたからバレていないがな!
「――セレナータ妃も、騒がせたな」
名前で呼び掛けると、姉上の目がさっきの倍くらい開く。
母親の方は、さすがと言うか、僅かに眉を上げただけだったが。
「……そのようにおっしゃっていただけるとは、痛み入ります」
「うむ。それで、王妃教育だが……その…………わたしの婚約者を、頼むぞ」
……おい、姉。口が開いてるぞ。
「喜んで。精一杯努めさせていただきます、王太子殿下」
「うむ」
素直に頭を下げるセレナータ妃に、とりあえず満足する。
「クァ……クァルテット?あなた、どうしたの……!?」
「うるさい。仕方がないだろう!言っておくが、みょうな真似をしたら許さないぞ!何かあったらすぐ言うように、アリア・クインに言ってあるからな!!」
ビシッと指を突き付けて宣言すると、マントを翻して、部屋を後にする。
驚いて固まっている姉上の姿が、ちょっと愉快だった。
*
「お話はお済みになりまして?」
くりくりと目を光らせながら訊いてきたのは、廊下で待たせていたアリア・クインだ。
何となく楽しそうなのは、僕が謝っていたのがわかるからだろう。少し、意地悪な感じの笑い方だ。
本っ当に、可愛くない!
王族は、過ちを犯してはならない。
故に、それを前提とする謝罪の姿も、見せてはならない――。
だから、入室を待つよう言っておいたのだが。
……まあ、バレるよな。
「先に行く。あまり待たせるなよ」
「……ぜんしょいたしますわ」
何事もないような顔をしてやると、ちょっとつまらなそうに、見送りの礼を返してきた。
まったく。
「……殿下、よろしかったのですか?」
やはり謝罪したのが気に掛かるのだろう、確認してくる近衛に、振り向きもせずに答える。
「仕方がない。僕の妃の為だからな」
それだけだ。
あの二人を認めた訳でも、許した訳でもない。
――本当は、僕だってわかっていた。
母上が、アリア・クインの王妃教育を引き受ける筈がない。
だけど、これは正妃の役目だ。
そこまで出しゃばられたら、母上はもう、正妃と思われなくなってしまうかもしれない。
それに、正妃から受ける教育を、側室から受けるなんて。
アリア・クインはどう思うだろう?やっぱり側室にされるのだと思うんじゃないのか?
だから、絶対に母上に教育してもらおうと思って、待っていたのに。
説得している途中で、母上が、今日婚約者が来る事さえ知らされていないのがわかった。
慌てて調べさせると、もうアリア・クインが王宮に到着している事。母上の元へ伺いすら立てず、セレナータ妃の元へ連れて行かれた事がわかって。
許せないと思った。
どれだけ母上をないがしろにすれば気が済むんだ。
僕の事だって、無視している。
アリア・クインは、僕の妃なんだ。他人の癖に、勝手に触れる権利なんかない。
僕の妃を、僕から取り上げるつもりなのか?
だから。
僕が取り返しに行くのは、当然の権利だと、思った。
それなのに、まさか。父上の命令だったなんて。
……僕だって、本当はわかっている。
セレナータ妃が母上の仕事を奪っているのは、父上がそれを許しているからだ。
だって、正妃の仕事なんだ。
父上が国王として一言、「出しゃばるな。それは正妃に任せる」と言ってくれればいい。
それなのに、どうして。
あの女の味方をするのですか?父上。
悔しくて、悲しくて、腹が立って。
この子だけは絶対渡さないと、アリア・クインを連れて逃げた。
みんな嫌いだ。もう誰にも会いたくない。
アリアと二人で、ずっとここにいるんだと。
本当の本気で、思ったけど。
「――大人になればわかりますわ。色々と。ええ、色々と」
あそこまで馬鹿にされたら、大人にならない訳に、いかないじゃないか。
その理由が……“父上が母上を大切にしているのを僕が理解しないから”だと言うなら、尚更。
考えてみれば、そう言われるのは初めてじゃない。
あの二人だけじゃない。じいだってそう言っていた。
だけど、優しい嘘だと思っていたんだ。
父上から教わった事がある。
嘘には、いい嘘と悪い嘘があると言われている。
いい嘘とは、“優しい嘘”とか、“思い遣り”と呼ばれているものだ。
けれどもそれは、王にとっては、等しく“毒”なのだと、父上は言った。
仮令それが思い遣りでも、嘘とは、現実を歪めたものだ。
そして、王が現実を正しく認識できなければ、王命もまた、歪んだものになる。
それは、国全体を誤らせ、国民すべてを巻き込むのだ。
だから、辛くとも、苦しくとも、厳しくとも。
王たるものは、現実をあるがまま、受け止めなければならない。
その為に、強くならなければいけないと、父上は言った。
王の座を継ぎ、国を背負う者として。
強くなれと――。
――ああ、そうだ。
僕は、王太子。ヴォルフガングの、次の王。
その僕が、そしてその僕の母上が、見捨てられるだなんて。どうして思ったりしたのだろう?
僕が立派な王太子でありさえすれば、母上を守れる筈だ。
正直、母上とセレナータ妃の事。父上が何を考えているのかは、まだよくわからない。
でも。いや、だからこそ。
強くなる。立派になる。大人に、なる。
「早く、大人になってくださいましね……」
……余計な事まで思い出して、じわりと頬が熱くなる。
「どっちが子供なんだ……」
わかってるのか?
“大人になったら”、僕達は結婚するんだぞ?
あんな風に手を握られてそんな事を言われたら、焦るだろうが。
「――殿下?」
「何でもない!」
「いえ、あの……到着しております」
「あ……」
変な事を考えていた所に声を掛けられて慌てるが、ただ教師の待つ部屋に着いただけだった。
気を取り直して、近衛に扉をノックさせる。
「どうぞ」
「……待たせたな」
教師は、急遽支度されたお茶を嗜んでいた。
本当なら、王妃からの訓戒を済ませたアリア・クインと、既に授業を始めている予定の時刻だ。
軽々に謝罪してはならない。だが、労わないのも良くない、のだ。
微妙な言い回しになってしまうが、気持ちは伝わったらしい。教師は、わかっているという風に微笑んで、頷いてきた。
「勿体ないお言葉です。殿下がご婚約者様を大切にされていらっしゃるようで、何よりです」
「当然の事だ」
「いやはや、お会いするのが楽しみですな。どのような方なのです?」
「……うむ」
聞くなとは言えないが、答え辛い。
アリア・クインは、変な奴だ。
最初は、すまし顔の嫌な奴にしか見えなかったけれど、本当はすぐ怒るし、すぐ真っ赤になるし、意外とよく泣く。
……まあ、ほとんどジュピターの所為なのだが。
普通に笑うと、すごく可愛い。
ふわふわのドレスを着ていた時は、とても可愛いかったのに。
そういうのは嫌いで、強そうな、意地悪そうな格好をしている方が好きで、ずっと楽しそうだ。
でも、赤いドレスが好きなのは、赤い薔薇の花が好きだからなんだ。
だからお揃いにしたいって。そういう所は、ちょっと可愛いと思う。
……だからって、ジュピターにもらった薔薇の扇子ばかり使うのはどうかと思うがな!
可愛くない。ちっとも思い通りにならない、僕の妃。
……だけど、もしも僕が欲しかった“可愛い妃”だったとしたら。
きっと、何を言われても、優しい嘘にしか聞こえなかっただろう。
だから。
僕の妃が、アリア・クインで良かったと。
そう思ってやらなくもない、事もない。
「――ははうえは、大切にされて、いるのか?」
「ええ、陛下はそのおつもりかと存じますわ」
……うん。失敗したな。
僕の妃になって良かったと、いつか言わせるつもりなのに。
これでは逆だ。
その上、秘密も、できてしまった。
「え、ええ……その。愛のない政略結婚でも、子供はできますのよ……」
答えなんて、もう、本当はそれだけでよかったのに。
しつこく訊いてしまった理由が。
真っ赤になって、ぷるぷるしながら、一生懸命説明しているのが、可愛いかったからだ――なんて。
……うん。
絶対メチャクチャ怒られるから、誰にも内緒だ。
アリア様、ドS製造機疑惑。