30.正妃殿下の悲劇?
……真摯な眼差しで、王太子は語りました。正妃殿下の、“悲劇”を。
――幼くして結ばれた夫王を信じ、帝国で幸せに暮らしていた姫が、この国に嫁いできた途端に突き落とされた、奈落の底。
愛する夫王が側室を迎えていたという、衝撃の事実。
その側室が、この国の妃として仰がれ、王女すらもうけていたという、悪夢。
泣き暮らす姫を誰もが顧みず、未だ側室が夫王の隣に立ち、それを糺す者が誰もいないという、不条理。
最初の妻であり、正妃である姫が、この国にいるのに。
世継ぎである王太子が、生まれているのに。
国王陛下はいつまでも、正妃である姫を置いて、側室の手を取る事を選ぶのだと――。
「……だから、信じるな。王命なんて、あいつが父上に言わせたに決まっているんだ」
*
―――え。諸悪の根源、正妃殿下?
一生懸命正妃殿下を擁護している王太子にはお気の毒ですが、わたくしの率直な感想はそれでした。
おかしいでしょう?生まれながらの王族として育った姫が、どうしてそんなに恋愛脳のお花畑なんですの?
「あの、殿下……一つ確認しておきたいのですけれど」
「なんだ?」
「正妃殿下は、帝国で、しいたげられていたりしたのでしょうか?」
「そんな訳があるか」
王太子は、思い切り眉を顰めます。
「母上は、帝国一の姫として、みなに愛されていたんだぞ」
……うん。男ばかりの家系の貴重な娘とかで、めちゃめちゃ甘やかされてしまったのですかしらね。
「でしたら、なぜ、おじいさまが我が国の陛下に物申さないのか……考えてみた方がよろしいかとぞんじますわ」
「なんだと?お前、まさか母上が悪いと言いたいのか!?」
「悪いとかそういうお話ではなくて……」
どうしましょう。
これって多分、周囲は敢えて黙っているのですわよね?
お花畑な正妃殿下の影響をもろに受けて、恋愛至上主義になってしまった、情味あふれる王太子。
もうちょっと帝王学が功を奏して割り切りができるようになるまで、余計な事は知らせない方が良いという判断なのでしょう。
――え?何の事かわからない?
「先日ごしょうかいいただきました時、正妃殿下を拝見いたしましたが……かなりお若く見えましたわ」
「……それがどうした?」
「国王陛下は、それなりにお年を召していらっしゃいますわね」
「……そうか?」
「ええ。セレナータ妃殿下は、陛下とおなじくらいのお年とお見受けしましたわ」
「知らん」
ここまで言って、まだわかりませんの?
――ああ、あなたはわかりましたのね。
そうですわ。
年の差の幼な妻が嫁いでくるまでの間、王妃の仕事を肩代わりさせる為に!政略的に選ばれた、公務の為の側室ですわ!!
ノットゥルナって確か、この国の侯爵家ですわよね。
正妃が国に入られた後、放置しようが下賜しようが、問題ないのが前提の人選!!
まあ、優秀な人材であれば、功績のある家に下賜するのが妥当ですけれど!貴族は王家のために粉骨砕身するのが役目って事ですかそうですか!
それが何故、正妃がお輿入れされた今も、公務を担っておられるのか……。
正妃が泣き暮らして仕事しねぇからですわよ。
結局、王太子に攻略対象な思考回路を植え付けたのも、国王陛下の“他国の姫不信”の原因も、全部正妃殿下じゃあありませんの!?
王妃教育を任せないのは当然ですわよ!
これで本当にバックレられてみなさい!!折角、生誕祭であそこまで“円満な婚約”アピールしたのに、“正妃が認めない婚約者”として、わたくしの位置付けがぐらっぐらに揺らぎますわよ!?
あの国王陛下が、そんなリスクを冒す訳ありませんわ!
というか、仕事をしない幻の正妃に、それほどの価値ありません!!
……これ、元々こうだったのかしら。
それとも、平行世界が統合された歪み??
――え?ノベライズかコミカライズの可能性?
王太子ルートの、その後展開で、ヒロインが家族仲を修復させるとか、割と王道パターン??
ちょっと。修復してどうするんですの。
王家ですのよ?
いかに強国であったとしても、時に、奸臣を連座にする為に濡れ衣着せて処刑したり、失政の責任を被せて処刑したり。親兄弟を犠牲にしなければならないのが、王族というものですわ。
支え合えるに越した事はありませんけど、入れ込み過ぎると、お互い辛いだけでしてよ?
……というか、ヒロインて、平民育ちのド平民メンタルの持ち主ですのよね?
大丈夫?耐えられますの?
――え?心配いらない?
ヒロインも攻略対象もハイスペックだから、家族を犠牲にしなくてもなんとかなる!!?
それ、後どうするんですのよ!?
愛こそ全ての仲良し家族に育てられた次代が、割り切れる王族に育ちますの?無理ですわよね!?
ハイスペックがハイスペックに惚れるケースが、そんなに何代も続くんですの!?
――アイネ妃の尽力により、王家の兄弟は手を取り合う。
後の歴史書に「ヴォルフガング王国衰退の一因」として記される事になる、仲良し王家誕生の瞬間であった―――。
なんちゃって☆
「おい、どうした?ぐあいが悪いのか?」
「いえ……」
考え込んでいる間に、耐えられず頭を抱えてしまっておりまして。
王太子にすっかり心配されておりました。
伸ばされていた手を、今度はわたくしが握ります。
「殿下……」
「え!?」
「早く、大人になってくださいましね……」
「……は!?」
何やら真っ赤なお顔で目を白黒させるという、カラフルな事になられた王太子が、吃りながら怒鳴ります。
「お、お前!生意気だぞ!?僕はもう六歳なんだからな!?」
「大人になられればわかりますわ。色々と。ええ、色々と」
「なんなんだ……」
何故か疲れたような王太子ですが。
恋愛脳の攻略対象に成長される予定の王太子ですが!
きっと、国を継ぐに足るだけの思考力は国王陛下が仕込んでくださると、信じておりますわ。
「今におわかりになります。セレナータ妃殿下がごちょうあいなど受けていない事も――正妃殿下が、どれだけ大切にされていらっしゃるのかも」
理解して、そして正妃殿下に「さっさと働け」と言ってやってくださいまし!
わたくし、一心に念を送ります。
帝国出身の姫が正妃にいながら、公務に出張らなければいけない貴族出身の側室が、外交でどれだけちくちくされているやら。
不可抗力ですのに!!
わたくしの将来にオーバーラップして、身につまされますわ!
「……本当か?」
目を上げると、王太子は不安なのか、泣きそうなのか……内心を隠して無理に作ったような、ぎこちない怒りの表情をしていらっしゃいました。
「何がでしょう?」
「ははうえは、大切にされて、いるのか?」
「ええ、陛下はそのおつもりかと存じますわ」
側室が五人もいて、格下げにもならず、里にも帰されず。公務を放り出している方が正妃に居座れるとか、ねえ?
それこそ、無理矢理引っ張り出して、失態を犯させて、その責任を問う事だって出来ますのに。
「あの女を、愛しては、いないのか?」
「臣下としてちょうようはしていらっしゃいますが、恋愛とは違うかと」
知りませんけどね。
でも、妃殿下を尊重するなら、正妃がいらっしゃった時点で速やかに下賜して、ひどいお役目から解放して差し上げるべきだと思いますの。
これだけ国に尽くした挙句に、次期国王の不興を買うとか、踏んだり蹴ったりじゃあありません?
妃殿下の余生が心配ですわぁ。
「じゃあ、姉上は!?父上があの女を愛したから生まれたのではないのか!?」
…………。
それ同年代女子に聞くのセクハラですわぁあああああああああああああああああああああああああ!!!
ちょっと!曇りのない純真な瞳で一体何を言い出しちゃってるんですの!?
多分、意味は……意味はわかっていないと思いますが……。
わたくしには二十五歳の性知識があるんですのよ!!
夜のお二方とか想像させないでくださる!!?
ギンッと周囲を睨みますが、割って入ろうという勇者はおりません。
寧ろ、聞こえない体で、彫像のふりとかしています。
……ほほ。
止めに入らずにいられないR指定知識、六歳児に吹き込んでやりましょうかぁ?
「……おい?」
「え、ええ……その。愛のない政略結婚でも、子供はできますのよ。でないと、跡継ぎが足りなくて、子供の奪い合いになりますでしょう?」
「そうなのか?」
納得しなさい!!これ以上説明させないで!!
「愛があっても、子供ができない事もありますわ。それは、神の思し召しですの。ただ、何と申しますか……子供を作るには、夫婦に、試練がございまして」
「試練?」
「ええ。おうたいし殿下の母ぎみは、それを、愛で乗り越えられたのでしょう。ですが……義務とか責任感でも、なんとかなるのです」
――え?説明が斜め上?
ほっといてちょうだい。それとも、大人のあなたが適切な教育してくださるの?
……こら、貝になるんじゃあありません!
日本の大人って、本当に性教育ダメダメですのね!?
「あの……妃殿下は、ノットゥルナ侯爵家の方、ですわね?妃になるには、少々、しゃくいが低くあられるので……その……いたしかたのない事で、あったかと……」
ぶっちゃけ、授かり婚だと思います。
陛下の御子を授かられた功績で、無理を押し通したのだと思います。
姉姫が女性で良かった……というか、男児なら闇に葬られていると思いますけれど。
……そこまで考えて、不意に、ゾクッと寒気に襲われました。
前世の王室ドロドロ話とは繋がりのない、この国に生まれ育った者特有の感覚。
神の兄弟なんて、下らない伝承。王族だって同じ人間。そう考えている筈なのに、拭えない忌避感。
罪もない“神の兄弟”を、闇に葬る……?
大罪ですわ。
神殿にも容れられなくなる、最悪の罪業です。
……あら?わたくし、相当ヤバい話を聞いてしまいまして?
いいえ…………いいえ!!
全てはわたくしの憶測……いえ、邪推に過ぎませんわ!
忘れましょう!!
ええ。このような邪推、王家に対して不敬ですわ!
天が味方して、王女が生まれたに違いありません。
ですからわたくし、王子が生まれていたらどうなったかなんて考えておりませんわ。
ええ。そうですわ。そもそも、授かり婚も、公務代行側室も、ぜぇんぶ、わたくしの憶測ですからね!
妄想が突っ走っちゃって怖いですわ☆
「――あの、殿下?もうそろそろ、本当に、お戻りになりませんこと?何か、ご予定があったのではございません?」
多少強引ではありますが、とにかく話題を変えました。
「ん?ああ、おま……そなたを、待っていた」
……え?
「わたくし、王妃教育を受けに来たのですけれど?」
「知っている。くんかいが済んだら、法律のじゅぎょうだろう?わたしと一緒に受けるんだぞ?」
聞いていないのか?と言われて、唖然です。
いや、待っていたのあなた様だけでなく、教師もですわよね?
今も待たせてるのに、何故そんなに平然としてるんですの!?
というか、同じ教師に同年代が教わるにしても、進捗に差があるのでは!?それを一緒の授業にぶっ込みます!?
それよりも!家庭教師が男女混合で見るとか、聞いた事ありませんわよ!!?
……まさか。
“バカップルに見える化計画”、まだ続いてますの!!?
余りの事に、わたくしが凍り付いておりますと。
上空で悲鳴が上がります。
……え?上空??
「――ぼっちゃまぁああああああああああああああああ!!?」
何やら聞き覚えのある悲鳴と共に降ってきた物体が目の前に落ち、そのままゴロゴロと転がっていきます。
え。受身?
最終的に、くるり、と起き上がった人影に、近衛と周囲の警備兵がざわめきます。
「何者だ!?」
「怪しい者ではございません。オブ=ナイト公爵家が次期当主、ジュピター様の侍従にございます」
跪いた形で礼をするのは……ええ。本人です。
他、全員の視線がわたくしに集まっています。これを恥と言わずしてなんと言うのでしょうか。
「一体、何してますの!?」
「おい、ぜんいん下がれ。その者の言う事は本当だ。わたしが保証する」
思わず爆発するわたくしを余所に、冷静に対処なさる王太子。
わ、わたくしの面目が……!
「いやぁ、申し訳ない。お騒がせしました☆」
爽やかな声に振り返ると、そこには、耀く笑顔のお兄様が。
優雅に王太子の前へ進み出て、臣下の礼を取ります。
「王太子殿下の御前にて失礼をいたしました。ついうっかり、落とし物をしてしまいまして」
『取ってこい』をしたのですか?お兄様。
それとも、そこのそれが“落とし物”ですか?お兄様。
……まさか、そこの二階の窓から落としたのですか?
取り付けた淑女の仮面が剥がれそうです。
チベットスナギツネが、わたくしの背後に群れています。
――え?群れないの?
一匹じゃあ足りませんわ!
「……帰ったら、たぁっっぷりお話聞かせてね?かわいいアリアが真っ赤なお顔で何を話していたのか、楽しみだなぁ☆」
すれ違いざまに囁かれた言葉に、鳥肌が立ちます。
慌てて振り返るわたくしへ向けられたのは……。
チェシャ猫のお顔!!
何故に!!?
その夜、洗いざらい吐かされるアリア様。
子供の作り方(具体的に)の追求は、さすがにばあやが止めましたよ?