18.アリアの恐怖体験?
ほぼ裏話です。
「―――アリアちゃん、こちらへいらっしゃい」
お母様が、聖母の微笑みを浮かべて腕を広げられました。
*
ふぉあああああああああああ!?
お、お母様が!お母様の!わたくしが!!!
わわわ、わたくし!今!お母様のお膝の上にだっこされておりますぅ!!?
――え?ちょっと落ち着け?
これが落ち着いていられますか!!
お父様ならまだ数回経験がありますけどね!お母様のだっこなんて、記憶にありませんのよ!?
ありなんですの?これ、淑女的にありなんですの!?
ふああ!お膝までたおやかです!!
というか、寄っ掛かったらお胸でして!?
どうすればいいんですの!?ねえ、わたくしどうすればいいんですの!?
……パニックで硬直しているわたくしを、宥めるように。
背中をとんとんしてくださったお母様が、ゆぅらりゆらりと、ロッキングチェアを揺らします。
恐る恐る寄り掛かると、お母様はほんのり笑って、優しく頭を撫でてくださいました。
ふやぁ、なんという清楚で上品な香りでしょう。
「……そうねぇ、何からお話しようかしら」
お母様のお声に、彼岸に逝きかけていたわたくしの意識が戻ります。
そういえば、お母様にご質問をしたんでしたわ!
ええっと……何でしたっけ?
「そうね……アリアは、お母様の名前は知っている?」
ええっと……。
「キリエ・イントロイトゥス・オブ=ナイト、よ」
まあ、なんて舌を噛みそうなお名前。
「そして、お父様の昔のお名前は、ティート・カイザー。他のお家から来た方なのよ」
婿養子ですのね。なんとなく気付いてましたわ。
でも、“カイザー”ですって?
「カイザー、はくしゃく家、ですの?」
「あら、よく知っていたわね」
いい子ね、とお母様が撫でてくださいますが、貴族名鑑のそのページ、しおりが挟んであったんですもの。
家庭教師に理由を聞いても、まだ早いとはぐらかされるばかりで……。
まさか、お父様のご実家だなんて、思ってもみませんでしたわ!
「お父さま、はくしゃく家の方でしたの?」
「あら、そんな顔をする事はないのよ?カイザー家は、建国からの名門で、帝国にもゆかりのある、立派なお家柄ですもの。実態は、侯爵家に並ぶと言われているのよ」
それでも、お母様なら、公爵家の次男、三男から、婿を取れたでしょうに。
手頃なのがいなかったんですの?
「何より、ご本人が素敵でしょう?お顔が良くて、背が高くて、女性を立てる事に熱心でいらして。それに、ああ見えて、とてもお強いのよ?魔力もあるし、剣技も優れていらして……」
ゆぅらり、ゆらり。
初耳ですわ。
お母様、いつもお父様に言われっ放しですけど、のろけを秘めていらしたのね。
「それに、なんといっても、賢い方なのが素晴らしいわ。学園での成績もトップでしたけれど、まだ学生の頃から、ご両親の補佐をされていて。半ば領地を任されていらしたの」
花婿修行でして?でも……。
ゆぅらり、ゆらり。
「後継者として領民の支持は厚いのに、意外と野心家で。当時先輩であった、現在の宰相様に、官僚候補として自らを売り込んだりなさって……。実際に今、官職と領主をどちらもなさっているのだから、すごいわよね?」
……え、後継者?領民?公爵領の??
ん?んん?
なんか違和感が募っていくのですが、お母様は、気持ちのいいリズムで、椅子を揺らされておりまして。
ゆらり、ゆぅらり。
……ああ、思考力がどっかに飛んでしまいますわぁ。
「学園の――いいえ。社交界の令嬢、すべての憧れだったわ。まあ、英雄好色というか、その分、つまみ食いは多かったようですけれど」
……え!?
お母様、それ幼い娘に聞かせてよろしいの?
お父様ぁ、筒抜けみたいですわよぉ。
ゆぅら、ゆぅら。
「そこがまた素敵だったの。――アリアも覚えておきなさい?男性はね、引き際を心得ているくらいが丁度いいの。下手に堅物が路傍の石につまずくと、泥沼の底まで転がり落ちていきますからね☆」
…………お母様。
ええ。わたくし、庶民女を羨んでおりました。
わたくしだって、お母様から生きる知恵とか教わってみたいと。
ですが、誓ってこのような展開は望んでおりません。
そりゃあ今のわたくし、享年二十五歳とソウル・シェアしておりますから?“星花”の医学の寵児がそのパターンですわね~とか、チャラ男でも堕ちる時は堕ちますわ~とか、考えられますけれども。
わたくし、五歳の娘です。
女神の笑顔で何をおっしゃいますの!?
「本当に、理想のお方。だからお母様、どうしてもお父様と結婚したくて……お互い婚約者がいたから、困ってしまったわ」
え゛?
「ふふ、内緒よ?アリアちゃん。お母様ねぇ、お父様があまりに素敵だから、奪っちゃったの☆」
お母様ぁ!!?
「お父様、浮き名は多いけれど、綺麗な女性が好きで惚れっぽい、純真な方だから。うっかり扇子を落として素顔を見せたただけで、コロリ☆だったのよ」
……うわあ。お母様ってば、見掛けによらず肉食ぅ。
「誰にも秘密よ?社交界では、元婚約者達が悪い事になっているから」
「……はい゛、お母さま。ええと……その方々は、どうなりましたの?」
何故でしょう。わたくし、震えが止まりません。
「気になる?」と小首を傾げるお母様は、無邪気そのものでしたが。
「お父様の元婚約者は、お父様が女性に囲まれるのがお気に召さなくて。誠実な侍従とやらに入れ込んだ挙句、駆け落ちしてしまったわ」
くすりと嗤われた、その刹那の表情が。
「……お馬鹿さんよね?恋なんていずれ冷めるのに、あれほどの優良物件を手放すなんて」
冷たい眼差しの妖艶さが怖いです!!
「お母様の元婚約者は、エスコートも顰め面の、堅物だったから。お母様がお友達を紹介して差し上げたら、子供まで作ってしまって。今では平民よ☆」
お母様ってば、食虫植物!?
コロコロと笑うお母様に、わたくしもう失神寸前です。
出来るなら今すぐお膝から降りたいくらいですが、足がすくんで立てる気がしません。
ばあや、助けて……。
「お父様はね、それをご覧になっていたから、お母様と婚約してからは、専ら既婚者と、後腐れないように遊んでいらっしゃるの」
聞きたくありませんわ!!
「ああ、お父様には内緒よ?甘い事を言っておけば、お母様にはバレないと思ってらっしゃるみたいだから。ふふ、可愛いわよね☆」
ひええ。
「だから――何だったかしら。アリアちゃんの、腹違いの弟?」
……あ゛。
きゅっと腕に入った力に、わたくし死を覚悟いたしました。
実際には、痛くも苦しくもなく、腕に閉じ込められただけだったのですけれども。
けれども!
「大丈夫よ、心配いらないわ。そんなものが我が家に現れるだなんて――、そういう未来は、永遠にこないから」
……ばあやぁああああああっ!!!
*
お母様のお部屋を出るなり、その場に崩れ落ちたわたくし。
役に立たないメイドが、いらん心配の声を掛ける中、通り掛かったお兄様が、何故かめちゃ真顔になり。
足腰の立たないわたくしを、自らぬいぐるみのように抱え、無言のままお部屋まで運んでくださいました。
……ちょっと、庶民女。これ、どういう事ですの?
あなた!追加攻略対象の異母弟が、我が家に引き取られたのを、わたくしがいじめ倒すって言いましたわよね!?
何が、悪役令嬢物の定番、逆に可愛がり倒してシスコン化計画よ!!
そんな子供、現れた瞬間に間引かれそうだったんですけど!?
――は?未プレイ?
何ですって!?条件が達成できなくて、弟ルートが解放されなかった!?
しかも、ネタバレ嫌いだから、実はストーリー知らない!?
お前!!ただの当て推量でわたくしに地雷踏ませたんですの!!?
――え?設定に、間違いなく、悪役令嬢の腹違いの弟だって書いてあった?
今は二歳くらい?ふわふわ髪の可愛いショタっ子??
だから何だって言うのよ!!!
*
「こうしゃく夫妻は、仲が良いのだな!」
後日、お母様とお父様の遣り取りをご覧になった王太子が、嬉しそうにそうおっしゃいました。
わたくし、曖昧に濁して、目を逸らす事しかできなかったのですが……。
隣のお兄様までもが、黙ってお顔をよそに向けていらしたのが、印象深かったです。
今回の要約。
アリアのお母様は、昔、恋のキューピッドをしていたそうな。二組……いや、三組のカップルが、愛する人と結ばれたんだぞっ☆