2.使用人に愛されて断罪回避?
―――本気で祈っても、前世の記憶は消えませんでした。
いや、普通に勉強しなきゃ喋る事もできないって何なのよ。ていうか、勉強したところで、存在しない異文化について語れる訳?
「いらない……いらないわぁ……」
またしても用心の安静を強いられたベッドの上で、わたくしはぼやく。
まったく。何のための前世の記憶なのよ。
――え、なあに?
心を入れ換えて断罪回避?使用人に今までの態度を謝罪する?
いやだわ。まだそんな事を言ってますの?
そんな事しなくったって、使用人は全員わたくしの味方よ?彼らはオブ=ナイト公爵家に仕える使用人で、わたくしはその公爵家の令嬢だもの。当然でしょ?わたくしに仕える事が、彼らの喜びであり幸せなの。おわかり?
――え?わがままで傲慢な悪役令嬢は使用人にも嫌わている?
わからない人ね。
わたくしだって、お父様の執事やお母様仕えのメイドを勝手に使ったりはしないわ。でもね、わたくし仕えのメイドと侍従。これはわたくしのものなのよ?わたくしの望みを叶え、わたくしが快適に過ごせるよう努めるのが、彼らの職務なの。
わたくしはただ、彼らに仕事を与え、彼らの務めに励むよう促しているだけ。
それでお給料をもらっているのよ?報酬だけもらって仕事はサボらせてほしいだなんて、そんなとんでもない使用人、我が家にはいませんわ。
あのね。人権平等を謳う前世で、同格の人間を理不尽にこき使うのとは訳が違うの。
現世は身分制度があり、わたくしはこの国で最も高貴な令嬢なの。いわば選ばれた人間。彼らはそのわたくしに仕える栄誉を、同格の人間の中から選ばれて与えられた、幸運な者達なの。
彼らはそれに感謝し、わたくしの望みに尽くせることを誇るべきなのよ。よくって?
ほら、日本にも、昭和までは貴族がいたんだから、わかるでしょう?
――え?生まれる前だからピンとこない?
じゃあ、皇族方ならどう?人に敬われているのを傲慢だと思う?
考えてみて。歓迎の準備をしている会場に天皇陛下が現れて、いきなり庶民みたいに『いやぁ、同じ人間なんだからそんなに気を使わないでください。手伝いますよ』とかぺこぺこしながら会場の設営手伝い始めたら……。
卒倒するでしょう!?心臓麻痺起こすでしょう!?その場にいること自体もはや不敬でしょう!!
――え?天皇陛下は国王と同格。貴族令嬢とは次元が違う?
うるさいわね!!なら見ていなさい!わたくしが如何に使用人に愛されているか、見せつけてさしあげますわ!!
「オーッホッホッホッホ!」
*
……なんて思っていた時期が、わたくしにもありました。
「まあまあお嬢様、どうされました?愛らしいお顔が台無しですよ?」
「う゛る゛ざ゛い゛わ゛ね゛、は゛あ゛や゛……」
現在、庭の片隅で膝を抱えて泣いてます。令嬢なのに、鼻水で声が詰まります。
あれからわたくし、あれが欲しい、これがいい、それは嫌と、普段通り使用人に仕事を与えていました。それに喜び勇んでわたくしに尽くす筈の使用人。
いえ、彼らも、きちんと従ってはいたのよ?
だけど。前世の記憶が蘇ったからこそ、気付いてしまったの。無表情に従う彼らの間に漂う、コイツ面倒臭いと言わんばかりの、うんざりした空気に……。
日本人の空気を読む力?嬉しくないわよ!こんなチート!!
これまでは気付かずにいられたそれに気付いてしまったわたくし。恥を忍んで、使用人しかいない本音トークスポットに、盗み聞きをしに行きましたわ。
そうしたら、出るわ出るわのわたくしの陰口!!
もちろん、その場でわたくし怒りましたわ。二度と顔をみせるなと言って、わたくし付をクビにしましたわよ。
でもね。そうして新たに選ばれたわたくし付きの使用人。三日もすると、同じ事になるのよ!!
そんなこんなを繰り返すこと、一カ月。さすがに心が折れました。
認めますわ。わたくし、嫌われ者ですの。
「……うう~~っ」
「まあ、泣かないでくださいませ、お嬢様。本当に、ひどい使用人ばかりで困りましたね。大丈夫、お嬢様はなぁんにも悪くありませんよ」
そう言って、わたくしを抱え上げたばあやが、背中をぽんぽんと叩いてあやしてくれるけれど。
わたくしの中で、何かがぶちりと切れる。
「なによっ!!ぜんぶ、ばあやが悪いんじゃない!!」
ばあやはいつもニコニコして、わたくしにそう言うのだ。
可愛いお嬢様。お嬢様は悪くありません。お嬢様は選ばれた方です。みんながお嬢様のことを愛しているのですよ―――。
「うそつき!うそつき!うそつき!」
お嬢様は何を言ってもいい。何をしてもいい。それを嫌う方が間違っている。だって、お嬢様は特別だから。
……そんな事、なかったじゃないか。
「みんな、わたくしのこと、嫌いになったじゃない!!」
泣き叫ぶわたくしに、ばあやは困ったように眉を下げながら、まだ笑う。
「まあまあ、そのような事。大丈夫ですよ、今度こそ、ちゃんとした使用人を連れてきますからねぇ」
ぞっとした。
力いっぱい突き飛ばして、ばあやの腕の中から転がり出る。
地面に落ちたわたくしに、ばあやが焦った声を出して手を伸ばすが、叩いて拒絶する。
「きらい!ばあやなんか、だいっきらい!!」
だって、わたくしはもう、知っている。
前世のわたくしの、母親。彼女は、前世のわたくしのことを、よく叱った。
片付けなさい。勉強をしなさい。車に気を付けなさい――。
庶民だからだと思っていた。だけど。
母親は、前世のわたくしが痛い目を見ると、決まって言うのだ。『だから言ったでしょ!』と。
前世の母親は、いっぱいいっぱい教えていた。前世のわたくしが間違わないよう、失敗しないよう、沢山の事で叱っていた。
前世のわたくし。お前がわたくしでなどあるものか。
わたくしを可愛いとしか言わないお父様。わたくしをいい子としか言わないお母様。わたくしが何をしても、ニコニコしているだけのばあや。不満を隠して従うだけの使用人。
ああ、羨ましい羨ましい羨ましい、妬ましい!!
どうしてわたくしには、本当のことを教えてくれる人間がいないの!?
「ばあやだって、ほんとうは、わたくちが嫌いなんでしょう!!」
……悪役令嬢に、なるかもしれない。初めてそう思う。
わたくしが間違ったって、破滅するような真似をしたって。わたくしの周りの人間は、きっと何も変わらない。
「ほんとうに、わたくしが、好きなら!どうちて!!わたくしが嫌われるのに、笑ってるのぉ!!?」
「っ、お嬢様……!」
ばあやがやっと狼狽えるが、わたくしはまだまだ言い足りない。
『――幼児虐待よ!!育児放棄よ!!馬鹿ぁ!!訴えてやるぅ!!!』
日本語で喚いてギャン泣きしていると、膝をついたばあやが、そっとわたくしに腕を回してきた。
「申し訳ありません。お嬢様……。ばあやが間違っておりました……」
温かくて柔らかい、ばあやの胸。
顔を埋めると、涙が吸いとられる。
「……ちゃんと、教えなしゃいよ!でなきゃ、わたくし……ぜんぜん、なんにも、わからないじゃない……!!」
「はい。お許しください、お嬢様。ばあやはただ……お嬢様にはいつでも、笑っていていただきたかったのです」
「…………嫌われたら、いやに、決まってるじゃない」
悲しい。悲しい。悲しい。
わたくしだって、愛されたい。転生した異世界の庶民じゃない、わたくしを。
「はい。ばあやが考えなしでした。これからは何でもお教えいたします。大好きなお嬢様が、幸せになれるように」
「……なら、許してあげる」
今回だけよ。
そう言って睨み付けると、ばあやはほろ苦い顔で笑い、うなずいた。
……二人並んで手を繋いで屋敷に戻る道すがら、ばあやが言った。
「お嬢様。人に嫌われないためには、思い遣りが必要です。これからは、我慢する事を覚えていただかなければいけませんよ」
「がまん……」
…………限度がありましてよ?
改心への道は第一歩からつまずく。