12.そして誕生日の夜は更ける
―――生まれて初めて、お父様に叱られました。
王宮からの帰り道、お父様のお説教に傾聴するため、ばあやの膝から降りて畏まっております。
曰く、国王陛下に不用意に声を掛ける、それ自体が無礼である。ご意向に異を唱えるなど言語道断。まして、当主であるお父様に話を通さないとはどういう事か……等々。
今まで何をしても叱られませんでしたのにぃ。
わたくし悪くありませんわ!お父様を通したらそこでブロックされるから、直談判しかありませんでしたのよ!
……なんて事はおくびにも出さずに拝聴していると、お父様は、「結果的に陛下が気に入って下さったから良かった」とおっしゃって。
それで終わりかと思えば、今度は、陛下が如何に偉大で畏れるべき方なのかを滔々と語る、怪談話に突入してしまいました……。
*
とっぷりと日が暮れた頃、ようやく公爵邸に辿り着きました。
わたくしもうフラフラです。
窮屈な馬車からの解放感に酔いながら、玄関に入り――
「おかえり、アリア。待っていたよ?」
……お兄様が、ハグで迎えてくださいました。
忘れかけていたラスボスのお出ましに、わたくし、危うく白目を剥いて気絶しかけましたわ。
「どうしたの?お城は楽しかったかい?王太子殿下はどうだったかなぁ?」
もう、領地に帰らせてくださいませぇ……。
「ジュピター、明日にしなさい。小さなレディはお疲れだよ」
「はい、父上」
お父様の的確な擁護に、お兄様は、にこっと素直に頷きます。
この猫かぶりめ。
そんな所に、お母様が、使用人を引き連れて下りていらっしゃいました。
「おかえりなさいませ、旦那様。王宮はいかがでした?」
「ああ、まあ、色々あったが……陛下のご機嫌が麗しくて、なによりだよ」
「……そうですの」
色々とか言わないでくださいませ、お父様。
お母様が意味深長に間を空けてしまったじゃありませんの。
「だが、やはり、君の顔を見ると全てが吹き飛んでしまうね。王宮のきらびやかさも、我が光の微笑みの前には、霞んで消えてしまうようだ」
「あら、あなたったら」
いつもの遣り取りが始まったので、一安心です。
「アリアも、おかえりなさい。お城は面白かった?国王陛下も、王太子殿下も、素敵な方だったでしょう」
「……はい、お母さま」
できれば夜逃げしたいくらい、素敵な方々でしたわ。
いえ、もっと厄介な人間が、今、そこでにやりとしたんですけれど。
何はともあれ、本日の締めくくり、一家揃っての夕食に向かいます。
「お誕生日おめでとう、私のお姫様」
席はいつも決まっておりますが、わたくしは今日の主役として、一番最初に席に着きます。
そこへ、お父様がわざわざプレゼントを持ってきて、手渡してくださいました。
「ありがとうございます、お父さま」
可愛らしい、くまのぬいぐるみです。ふっかふかですわ。
嬉しいですわよ。ええ。
大きさや色が違ったり、リボンが変わっているだけで、毎年これですわね。とかつっこみませんわ。
お父様が席に着くと、次にお母様がいらっしゃいます。
「お誕生日おめでとう、アリア。今年は婚約の記念に、お母様とお揃いの首飾りよ」
「ありがとうございます!すてきですわ」
「うふふ」
お母様がくださったのは、お母様のデコルテに輝いているのと同じ、小さな金の薔薇の中心に、露のように宝石がきらめく、可憐なペンダントでした。
わたくしも早く、お母様のような淑女になりたいです。
「お誕生日おめでとう、アリア。来年も無事に迎えられますように」
お兄様がにっこりと差し出してきた細長い箱を、わたくしはにっこり笑って受け取ります。
「ありがとうございます、お兄さま」
そうしてリボンも解かないまま、部屋へ持っていてくれるよう、侍従に渡しました。
ちょっと微妙な空気が流れますけれど……。
わたくし疲れてますの!!これ以上の爆弾はごめんですわ!
……なんて、考えていたわたくし、甘かったですわ。
それは、食事が始まってすぐ。
お椀サイズのボウルに入ったサラダを口にした、その瞬間でした。
「――お兄さまぁああっ!!!」
怒りのあまり、礼儀もわきまえずに絶叫してしまいました。
「あらあら、どうしたの?アリアちゃん。そんなに大きな声を出して」
「すみません、母上。僕が、サプライズでケーキを用意させたんです。びっくりさせてしまったみたいですね」
サプライズなら、驚いて当たり前じゃありませんの!
「ケーキ……?その、サラダが?」
「まあ、面白いわ!ジュピター、あなたが考えたの?すごいわ」
褒めないでくださいませ、お母様!!
「ごめんね、アリア。口に合わなかったかな?」
「うぐっ……」
きらきらと光が蝶々になって飛びそうな笑顔のお兄様に、わたくしは何も言えません。
いや、美味しいか不味いかって言われたら、美味しいんですのよ。
そもそも、わたくし一口食べただけ。ろくでもないお味なら、すぐさま証拠として突き出してますわ。
けれども正直、ケーキとしては文句のつけようのないお味ですの。
だけど……だけどねぇ!!
精巧に作りすぎですわ!!!
口に入れたトマトが、ふにゃっとして、ドロッとして、すんごく甘いって……。
気持ち悪い!!!
視覚情報と食感・味覚情報のギャップが凄まじすぎるんですのよ!!
――え?前世でも、ハンバーガーとかラーメンとかの形の面白ケーキがあった?
一体どこに辿り着いちゃってるんですの!!?
*
結局、食事をしながらいつの間にやら、今日あった何やかんやを洗いざらいお兄様に吐かされておりまして。
お部屋へ戻る頃にはもうぐってり。動く気力もありませんでした。
なので、移動もプラスで全部使用人に任せきり、されるがままのお風呂タイムを済ませると、お姫様抱っこでベッドに入ります。
――え?快適?すごい楽?何これ羨ましい?
オホホホホ、気にする事はないわ。あなたの来世よ。存分に味わいなさい?
――え?違う?
仕事上がりでへとへとの時に、こんな全自動が欲しかった?
知りませんわよ!
親戚や領民、傘下の貴族等、公爵家関係各所から届いたお歳暮……じゃなくプレゼントが山と積まれているのが見えましたが、検分は明日にして、もうお休みします。
枕に沈んで瞼を閉じたわたくしに、ばあやが肩まで毛布をかけてくれた、その時でした。
「アリア?なんだい、もう寝てるの?」
…………ちょっと。
「起きて、アリア。お兄様がおやすみを言いに来たよ~☆」
枕元のカンテラ以外、全ての灯りが消された真っ暗な寝室に堂々と踏み込み、べふん!とベッドに腰掛けた非常識人間は……言わずもがなですわ。
「……おやすみなさいませ、お兄さま☆」
こちらも負けじと、指一本動かさないで、横たわったまま返します。
「あの……ぼっちゃま。本日、お嬢様は大変にお疲れでして……」
「初めてのお城だものね。わかっているよ。でも、ちょっとだけ待ってくれないか?」
フォローしようとするばあやに、紳士の笑みで応えるお兄様ですが、片手でわたくしの髪をつんつん引っ張っていやがります。
痛くはないですわ。
寧ろ、痛かったら、使用人に言い付けてつまみ出しても許されますのに。
本っ当に、うざい力加減でしつこく睡眠の邪魔するの、やめてくださる!?
「もう!何ですの!?」
とうとう跳ね起きると、今度は優しく頭を撫でてきました。
「すぐに帰るよ。ちょっとだけ、ね?」
お兄様が反対の手を後ろに伸ばすと、すすすと寄ってきたお兄様の侍従が、何かを渡して下がります。
あれは、さっきもらったプレゼント?
「開けてみて」
……明日になれば、効果がなくなる?
いえ、ちゃんとご自分の目で反応を見たいというところかしら。
「変な物じゃないよ。今回は、捨てられたくないからね」
わたくしの考えを見透かしたように、お兄様が耳打ちしてきます。
けど……信じていいんですの?
確かに、箱のまま捨てた方が平穏かしらとか、ちょっと思ってましたけど。
信じて、いいんですの?
迷いますが、諦めました。
隣でにこにこと圧をかけてくる、お兄様。このままではテコでも動きそうにありません。
意を決して箱を開けると、中から現れたのは……
「扇子?」
五歳のわたくしもでも持てる、小さな扇子です。
カンテラだけではよく見えませんが、繊細な彫刻が施された、瀟洒なデザインのようです。広げてみても、洒落たレースが張られた、品のある物です。
重くも痛くもないし、変な臭いもしませんわね。
なんですの?模様に妙な意味でもあるのかしら。
――え?素直に喜べ?
甘いですわ!!
「おかしな物じゃないと言ったろう?……まあ、最初は愉快な音の鳴る鈴とか付ける予定だったんだけど」
そんな情報いりませんわ!!
ええ。そんなんだったら、外して使うなんてしませんわ。丸ごと捨ててましたわよ。
……あら?
待って。じゃあこれ、普通に使わせる為の贈り物なの?
「どうして、扇子なんて……」
わたくしにはまだ早くなくて?
社交界デビューした淑女には、必須アイテムですけれど。
――扇言葉?
いいえ。この世界にはありませんわ。
というか、閉じてはいけませんの。パートナーや恋人、家族以外の男性(使用人を除く)の前では、目から下を隠すのがマナーですのよ。
え?マスク?
咳エチケットじゃなくてよ。
「国王陛下へのお目通りが済んだんだ。茶会に呼ばれてもおかしくないよ。それに――王太子の未来の妃なんだから、顔を隠さないとね。親戚の男にも、だよ?」
ええ。このマナー、パートナーがいない令嬢には適用されませんの。
――未亡人?マナー違反ではありませんが、はしたないですわね。
要するに、“只今売り出し中”って事ですから。別に婚約者がいなくても、憚った令嬢が顔を隠すのは許されるお話ですの。
逆に、絶対に許されないのが、婚約した令嬢が、顔を晒す事。
婚約直後だからとうっかり扇子を忘れようものなら、総スカン。社会的死、ですわ。婚約も破談します。
――え?愛人はアリなのに、ですって?
わかってませんわね。
正式なパートナーを立てて恋を楽しむのと、“より良い結婚相手募集します”ってやるのは、全然違うんですのよ!
とは言え、何事も、子供は例外です。
十二歳~十六歳の社交界デビューまでは、婚約者のいる令嬢が扇子を使わなくとも、咎められる事はありません。
まあ、持っていない方が一般的ですわね。
……ていうか、何ですのこれ?
女は顔を隠せとか、十二歳~十六歳の成人式とか。
まさかの平安時代?“星花”って、西洋風ファンタジーですわよね??
色々な疑問で訳がわからなくなってきたわたくしの頭を、お兄様がぽんぽんします。
「――ちゃんと使って、アリア。もう、僕を忘れちゃ駄目だよ?」
そのネタ、まだ引っ張るんですの?
ぷいっと不貞腐れてベッドに潜り込むと、お兄様が、まるで寝かし付けるように、額にキスしてきました。
「おやすみ、僕のかわいい妹」
嘘くさくて胡散臭い、いつものお兄様の戯言でしたが……わたくし、不意に懐かしくなりました。
前世のわたくしが、丁度、今のわたくしぐらいの年の頃。
“お母さん”が、こんな風にして寝かし付けていてくれた事を、思い出したのです。
だから、不覚にも。
悪くない気分に、なりまして。
「……おやすみなさい、わたくしのお兄さま」
デレた!?
とか思ってはいけません。アリア様の世知辛い日々はまだまだ続きます。