9.ハッピーバースデー?
…………憂鬱ですわぁ……。
オブ=ナイト公爵家の朝食は、各自自室で摂るのが習わしですの。
普段はテーブルについて摂るのですけれど……今朝は、ベッドから足を下したところで面倒臭くなってしまいました。このままベッドでいただく事にします。
うっかり転がらないように、ばあやが背中を支えてくれます。
器を持って跪いたメイドが、程よく冷ましたおかゆを口まで運びますのよ。楽ちんですわ。
ちょっとだけ口の端についた分は、別のメイドがナプキンで拭きます。
水?もちろん、別のメイドがコップと水差しを用意していましてよ?
――え?朝食だけで何人掛かりなのかって?
さあ?そんなの数える必要ありまして?
そうしてわたくしが丁度、スプーンの端をくわえた時でした。
高らかなノックと同時に、いきなり扉が開きます。
「やあ、おはようアリア。“お前の”お兄様が挨拶に来たよ?」
……トゲを隠してくださいませ。たったの三日で忘れる訳がないでしょう。
「お兄さま。しゅくじょの寝室に、無断で入り込むなんて、紳士のなさる事じゃあありませんわよ」
「あはは。スプーンも持てない赤ん坊を、淑女とは言わないだろう?」
わたくし厳然と非礼を咎めて見せましたが、お兄様はどこ吹く風とこちらをからかってきます。
でも、負けませんわよ。
「雇用を生み出しているのですわよ。こうしゃくけの跡取りともあろう方が、わからない事をおっしゃいますのね?」
「ふふふ。本当に、変なところが育っているねぇ」
変なところなものですか。
公爵令嬢付きのメイドって、立派なステータスですのよ?
ましてわたくし、この国でたった一人の公爵令嬢――あら?今はゲーム開始の十年前だから、まだ婚前の方がいるのかしら?――なのだから、少しでも多くのメイドを召し抱えてあげるのが、親切というものじゃなくて?
“自分の事は自分でやる転生令嬢”って、確かに手は掛からないかもしれませんけど、使用人が何人か職にあぶれていそうですわ。
「うん。アリアは立派な公爵令嬢だよ」
頷きながら、お兄様はわたくしの椅子に腰を下ろして、テーブルに頬杖をつきます。
……ちょっと。わたくし、「お掛けになって」と言ってませんわよ。家族だからって無礼が過ぎますわ。
「自分の恥も顧みず、さも甘ったれの赤ちゃんのように振る舞って、メイドに仕事を与えるなんて、なんていじらしいんだろうね?お兄様はとても感激したよ。――絶対真似しないけどね☆」
………………。
ちょっと!どうなってるんですの!?
席を勧めないのは、「都合が悪いのでお帰りください」って合図なのよね?
どうしてうちの鬼畜は、さも当然の如く勝手に席についた挙句に嫌味かましてくる訳!?
どういう事よ!!マナー教師!!
――え?お兄様はわかってて敢えてやってる?
知ってますわよ!!!
わたくし、憤然とベッドを下りて、お兄様の前に仁王立ちいたしました。
「お兄さま!わたくし、お食事中ですのよ。ご用がないならお帰りになってくださる?」
言ってやりました。きっぱり言ってやりましたわよ。
けれど、近付き過ぎました。
そのまま捕獲されて、お膝に引き摺り上げられてしまいましたわ。
「もちろん、大事な御用で来たんだよ」
……お兄様。ほっぺにチューはやめませんこと?
前世の魂・享年二十五歳が、昂って荒ぶって煩いですわ。
「かわいい妹に、一番にお祝いを言いたかったんだ。――五歳のお誕生日おめでとう、アリア」
……笑顔が邪悪!!!
このドS、わたくしが王太子に引き合わされるのを知ってて、嗤いに来ましたわね!?
わたくしの頬は怒りでパンパンです。
さすがのお兄様も苦笑して、慰め顔になりました。
「そんなに嫌なら、一度、父上にお願いしてみたらどうだい?」
ほっぺつんつんは見逃して差し上げますわ。でもね?
「お兄さま、ぼつらく願望でもおありなの?」
国王陛下のご意向に、逆らって。その息子を、袖にする。
一発退場ですわ。
もしも陛下が暴君であったなら、その場で斬首レベルの不敬でしてよ。勿論、公爵家も教育責任を問われますわ。
……ちょっと!
笑うな揺れる下ろしなさいこの鬼畜兄!!
「すっかり分別がついちゃったんだねぇ……寂しいなぁ。もう、駄々をこねて地団太を踏む姿は見せてくれないのかい?」
こ・の・野・郎!!!
お父様に却下されるのを見越して提案してきましたわね!?
窮地の妹に追い討ちをかけようだなんて、お兄様、鬼ですの?
ああ、鬼でしたわね。
攻略対象全肯定の運営にすら鬼畜呼ばわりされるレベルの鬼でしたわ!!
……その後、怒りを爆発させたわたくしに満足した様子で、お兄様は笑いながら去っていきました。
お兄様の侍従が去り際にぽいっとしていった、わたくしの侍従が、わたくしに平謝りしています。
どうやらお兄様、次期当主の強権ではなく、腕ずくで押し通ったようです。
――え?怒りませんわよ。侍従には。
まあ、なんかちょっと可哀想な気がしないでもないですし。
しかし……あの兄、どうしてくれよう……!!
*
復讐の炎は地獄のように我が心に燃えましたが、ばあやがりんごジュースを持ってきて宥めるので、大人しく外出の支度をする事になりました。
――単純?お子様?
うるさいですわよ!!わたくし、今日は忙しいの!
本来誕生日は、神殿で祈祷、夕食を家族全員で、というのがこの世界での風習ですの。誕生日プレゼントはあるけれど、誕生日会というのはありませんわ。
ええ。記念日じゃありませんのよ。
無事に一年が過ぎた事を神に感謝し、成長を祝う……日本では、年越しとか、七五三とかのニュアンスが近いかもしれませんわね。
ところが、今年こなさなければならないメインイベントは、王宮でのご挨拶です。
この日の為に用意した衣装をまとい、国王陛下にお目通り願い、ご挨拶。ろくでなし王太子にも顔見せしなければなりませんのよ。
本当ならこれ、七歳~十二歳くらいの子供が行うイベントですのよ?
そうして初めて正式に貴族と認められ、茶会などの場で他家に披露される事になるのですわ。
陛下からの要請で、わずか五歳で御前を許されるのは特別な事だと、家庭教師も絶賛してましたけれど……嬉しくありませんわ。
結局、側室としてキープする為でしょう?
王太子、会いたくないですわぁ。失礼しない自信がありませんわよ。
ああ。こんな事さえなければ、午前中はしめやかに神殿で過ごし、午後は届いたプレゼントを品評しながら、ゆったり優雅に寛ぐはずでしたのに。
――え?去年は大泣きだった?
何の話ですの?
だって、婚約の話もまだでしたし、前世の真似をしたいと言った覚えもありませんわ。
お母様がおめでとうと言ってくださったし、忙しいお父様も帰ってきてくださって……そう。そうだわ、お兄様も帰ってきたわね。でも、大人しくお祝いして、素敵なプレゼントを…………。
思い出しましたわぁああああああ!!
抱え切れないほど大きな花束の真ん中に、綺麗な綺麗なガラス玉が輝いてましたのよ。中には、薔薇の形をした、白と桃色のマーブル模様のチョコレートが閉じ込められてましたわ。
わたくしの為に作らせた、特別製のチョコレートだとおっしゃって、お兄様が手ずから口に入れてくれましたの。
――濃厚な、甘い味。
お兄様もやっと、わたくしをレディとして扱う気になったのだと、わたくし見誤りましたの。
そして、小さくなったのを噛み砕いた瞬間、痺れるほどの激辛に飛び上がりました……。
「食紅が固まっていたみたいだね」とかぬかしてやがりましたが、前世の記憶を持つわたくしの舌はごまかせません。
――タバスコ!!
やつを中に仕込んでましたわね!?液状の何かの感触がありましたわよ!!
一体どういう了見なのよ!あのドS兄!!
――は?お兄様の愛?それだけ忘れられたくなかったんだろう??
そんな愛がある!!?
どんな理由であろうと、幼い妹の誕生日祝いにタバスコぶっ込んでくるなんて許されませんわ!!!
しかも、たった一点の特別製。証拠はわたくしの口の中に消えました。
完全犯罪!!!
――え?そこまでされても見事に忘れ去ったのは誰だって?
わたくし悪くありませんわ!!その後、ご自分の誕生日以外で顔も見せなかったのは、お兄様じゃない!!
そもそも、こっちはお父様の婚約報告と、胸糞攻略対象の話で、それどころじゃ……。
……そうですわ。今は、二股王太子との対決が目前に迫っていますのよ。お兄様なんかどうでもいいですわ。
「お嬢様、お支度が出来ましたよ」
あら、可愛いわ。
深紅のドレスが白い肌と金髪に映えて、まるでフランス人形じゃありませんこと?
――え?こんなツリ目のフランス人形はない?
そうね。この、猫みたいな愛くるしさ。わたくし、やっぱり人形でもあり得ないぐらい可愛いのですわね。
――なあに?中身がどうしたの?
悪役令嬢物の年増庶民な令嬢達とは違って、わたくし、生粋の令嬢でしてよ?
……なぜ嘆くのかしら。鬱陶しい。
でも、そうよね。
こんなに可愛いらしいわたくしが、王太子への生贄だなんて……。
あなた何か、わたくしを幸せにするアイデアとかないの?
――え?善良な令嬢に変身して、王太子の溺愛を勝ち取る?
まだそんな事を言ってますの?攻略対象にとって、善良かどうかなんて、二の次に決まっているじゃない。
ヒロインにしろ、転生悪役令嬢にしろ、令嬢らしからぬ規格外の言動で、攻略対象からの愛を得るんでしょう?
要は、珍獣好きのマニアじゃない。
……そう考えると、悪役令嬢物の転生悪役令嬢って、攻略対象にとって都合よすぎじゃなくて?
強力なバックがあって、美貌で、言動は珍獣。そりゃモテますわね。
――でも、わたくし、そんな事のために体を明け渡す気はなくてよ。
わたくしがわたくしでなければ、何の意味もないじゃない。
だから、王太子の溺愛とかあり得ませんの。
わたくしは、正統にして高貴なる、令嬢の中の令嬢ですものね?
……なんですって、頭痛い?
どうしてわたくしが何ともないのに、あなたの頭が痛むのよ!?
自重してください、お兄様。この回は“アリア王太子に会いに行くの巻”だったんですよ……。