友の旅立ち
クララが私の寝室に移ってきた夜、私は累積する仕事に忙殺されて、部屋に戻ることができなかった。
セシルの出奔は、早々に隣国に伝わった。おかげで、両国王から、共謀を疑われて散々絞られた。とばっちりもいいところだ。
他にも、今回のテロに関して、国際社会から正式に抗議するよう通達があり、それらの準備に奔走した。
深夜三時頃になって、ようやく仮眠をとりに部屋に戻れた。私はクララの様子を確かめようと、気配を消して寝室に入った。
クララは私のベッドで、よく眠っていた。
セシルの命をうけたメイドが用意した、透けるような薄い夜着を纏い、サイドテーブルに置いてある燭台の蝋燭は燃え尽きていた。
ずいぶん遅くまで、私の帰りを待っていたのかもしれない。申し訳ないことをした。
待ちくたびれて眠ったクララを起こすのが忍びなく、また、夜着に透ける素肌に欲情してしまう危険性を考え、私はそのまま別室に引き上げた。
朝になったら、ゆっくりと話をすればいい。私たちには、その時間があるのだから。
だが、私の目算は甘かった。早朝に部下から叩き起こされ、急いで執務室に戻ることになってしまった。
そんな日が、1週間くらい続いた頃だろうか。
メイドたちも、クララに期待させるのを不憫に思ったらしい。夜着は普通のしっかりした生地に変えられ、燭台も存在しなくなった。
私はかなり落ち込んだ。そして、反省した。
カイルが私に面会に来たのは、ちょうどそんな時だった。
円卓の騎士長を辞して、魔術師になるために、他国に修業に出たいという申し出だった。
「円卓の騎士に在籍したまま、国費留学というのはどうだろう。お前ほどの優秀な騎士、手放すのはおしい」
私はそう言って引き止めたが、カイルはそれはできないと固辞した。
「レイの師匠に、弟子入りできることになっています。期間がはっきりしないので」
それが、カイルが示した理由だった。私はそれを聞いて驚いた。
「レイの師匠とは、西の賢者か?かの御仁に弟子入りしたら、少なくとも十年は戻れないぞ。魔術師の修業なら、他でもできるだろう。何なら私が指導してもいい」
「もう決めたことです。またシャザードのようなものが、現れないとは限らない。そのときに、大事な人を守れる力を得たいのです」
今回のテロで、カイルは強い魔力を持ちながら、シャザードの反転魔法に倒れてしまった。
私やレイ、そしてクララに助けられたことを、いまだに気にしているのかもしれない。
あれは不可抗力だったし、結果的にはクララを無傷で逃したのだから、私の命令は守られていたのだが。
それでも、本人が希望していることだ。無理強いはできない。
「気持ちは、変わらないんだな。分かった。辞任を認める」
「ご配慮、感謝いたします」
「それで、このことは、クララには言ったのか?」
「これからです。まずは殿下のお許しを得てからと」
クララを囲っておいて、今更こんなことを言うのは気まずいが、私は気になっていたことを尋ねた。
「クララとの婚約は、どうするつもりだ?」
「彼女が望むなら、一緒に連れて行きます」
冷静を装ったつもりだったが、どうやらカイルには、私が動揺したのを見破られたようだ。
長い付き合いだ。お互いのことはよく分かっている。
確かにクララが望むなら、私に止める権利はない。そして、カイルには連れていく権利がある。
それでも、牽制のつもりで、私は口を開いた。
「そうか。クララは今、私の……」
「殿下の部屋ですね。存じています」
それはそうだろう。いくら怪我の治療をしていたとはいえ、円卓は王宮の事情を把握している。
ましてや、自分の婚約者のことだ。カイルがその情報を見逃すはずはない。
「それでも、連れていく気か?」
わかりやすく脅したつもりだった。連れていかれては困る。
もちろん、そうなったら決闘を申し込むつもりだが、まずはやんわりとプレッシャーをかけた。
「殿下は忙しくて、クララとまともに顔も合わせていないでしょう。それなら、私にもまだチャンスはあるかと思いますが」
痛いところを突かれた。
決して、クララを蔑ろにしているわけではない。だが、クララは大切にされていないと思っているかもしれない。
これはもう、決闘を覚悟するしかないだろう。剣で円卓の騎士長に勝てるだろうか。
「主君の寝室から、女性を盗み出そうとは、臣下として、大それた罪ではないか?」
試しに、権力を振りかざしてみた。
なんの解決にもならないとは思ったが、やってみる価値はある。
「先に盗んだのは殿下でしょう。それに私は今さっき、臣下を解任されています。なんの問題もないかと」
ぐうの音も出ない。全くその通りだ。
いや、ちょっと言ったみただけで、これは私の本意ではない。
もちろん、カイルもそんなことは分かっていて、そして挑発してくるのだ。
「いたしかたないな。その件は不問だ。好きにすればいい」
「ありがたきお言葉。それでは、最後に臣下ではなく友人として、殿下に意見をさせていただけますか?」
「ああ、構わない」
カイルは、臣下であっても友人だ。わざわざ許可を与える必要もない。だが、こういうからには、クララのことだろう。
私は身を引き締めて、カイルの言葉を待った。
「今は俺を選ばなくても、クララが幸せでなければ、どこにいても、何を置いても、奪いに戻る。覚悟しておいてくれ」
「分かっている。そんなことにはならない。約束する」
私の言葉を聞いて、カイルは安堵するように目を伏せた。
この誠実な友人は、結局は私に甘い。いつも黙って、私の無茶を聞いてくれる。
「お前がいないと、つまらなくなるな。たまには、顔を見せろよ」
「ああ、気が向いたらな。世話になった」
まるで、学生時代に戻ったようだった。
カイルはずっと、ライバルであり大事な友人だった。恋においても学びや仕事においても、同等に渡り合えた男だった。
「元気で、頑張れよ」
「お前もな。いい国をつくれよ」
そう言うと、最後にカイルは私に臣下の礼を取り、儀礼に則った正式な暇乞いをして、そして去っていった。
あいつはローランドにも、別れの挨拶をするのだろうか。
中等部の頃、私たちはいつも三人でつるんでいた。そのままずっと、一緒だと思っていた。
だが、大人になるということは、別々の道を歩むことだった。
それでも、培った友情は消えることはない。互いに恥じない生き方をして、いつかその健闘を讃え合う日が来るだろう。
カイルがクララに、どう言ったのかは知らない。だが、結果として、クララはカイルに付いては行かなかった。
カイルは一人で国を去り、西国の孤島にいるという、偉大な賢者の元へ赴いたという。
クララにとって、カイルは専属騎士であり、婚約者であり、友人だった。
この別れが、寂しくなかったはずはない。せめて側にいて、慰めてやりたかった。
円卓や側近の間でも、カイルが去った喪失感は大きかった。みなが彼を惜しんでいた。
だが、私たちには、そういう感傷に浸っていられる暇はなかった。
国際情勢がどんどん北方に不利になっていくと同時に、国際規範や制裁にたいする制定の需要が高まってくる。
当事国として、協議に参加する必要があり、また各国からの視察や見舞いも絶えず、その対応に追われた。
結局、クララとはきちんと話せる時間もとれず、以前よりも部屋に戻る時間が減ってしまった。
そして、ようやく父国王が帰国して一息付いた頃、クララがローランドの屋敷を訪ねたことを知った。
そして、私はまた、激しく後悔することになったのだった。




