嵐の農婦
あの日を境に、私を取り巻く環境は、劇的に変化することになった。
出席者の安否確認は、何時間も続いた。
その間に、私は父国王に状況を連絡し、国境の警備を強化させ、北方への抗議方法について協議した。
シャザードとの対決で、あれほど魔法と体力を消耗したのに、全く疲れを感じなかった。
あれは間違いなく、精神が興奮状態だったせいだ。
その証拠に、翌朝になって出席者全員の所在が確認され、命に関わる怪我人はなく、死亡者はシャザードだけと判明したとき、自然と執務室のソファーに倒れ込んだ。
あまりの安堵で気が緩んで、急にどっと疲れを感じた結果だった。
側近たちは心配して、強制的に私を執務室から追い出した。だから、私は少し休憩をとることにした。
昨日、クララは会場を脱出したあたりで立ちくらみに襲われ、そのままセシルに後を任せてしまった。
たぶん、セシルの部屋にいるはずだ。
それなのに、あれから一切の報告がない。問題はなかったのだと思うが、一目無事を確認したかった。
護衛の者に、セシルの部屋へ行きたいと伝えたが、なぜか却下された。
後で分かったことなのだが、前夜からセシルはレイの小部屋で、情熱的な時間を過ごしていたらしい。
周囲には強力な結界が張られていて、誰も近づけなかった。
それにしても、もし隣室のクララが目を覚ましていたらと思うと、セシルの奔放さには、いささか頭痛がする。
とにかく、王宮内なら、クララの存在は感知できる。
術式をつかって精神をつなげたので、ある程度の感情も伝わってくる。
勝手に魔法をかけたことは、クララには秘密にしておきたいところだが。
心を澄ましても、彼女からの感情発信は受け取れなかった。たぶんまだ眠っているんだろう。
そう当たりをつけて、私も少し横になろうと、ベッドに身を投げた。
それから、一時間もたたないくらいだろうか。私は、人の気配で目を覚ました。
もちろん、それが誰かは分かっていた。セシルだ。
「起こしてごめんなさい。寝てた?急ぎの用事があるの!」
私が寝てたから、起こしたんだろう。
セシルはいつもこうのだ。慣れてはいるが、せっかち過ぎる。
そう思って起き上がると、レイも伺候していた。
昨夜は、衣服はボロボロで、体中傷だらけだったが、きちんと手当をして、体を清めたようだ。
妙にすっきりとした顔で、こざっぱりとしていた。
「私、もうしたの!だから、もうしないわ!」
何をして、何をしないと言っているんだ?
なんの謎々だ。話が飛びすぎだ。いくらなんでも情報が少なすぎて、全く理解できない。
「だからっ!レイと結婚したので、アレクにはもう触られたくないの!」
私が、いつ君を触った。誤解を呼ぶ表現は、やめてほしい。まさか、触るというのは、親愛の抱擁や挨拶の握手、エスコートの手や腕のことか?
いや、それよりも重要なのは、その前の情報じゃないか?
レイが、この従僕の鬼ようなレイが、自らが仕える主君と、ついに、とうとう、本当に?
驚いてレイを見ると、相変わらずのポーカーフェイスだが、耳が真っ赤だった。
なるぼど。納得した。
そういえば、セシルからはレイの魔力が放出されている。それに、いつもと違う香りもする。レイの匂いか。
私は二人に、生暖かい視線を向けて言った。
「事情は、だいたい分かった。それで、私とせずにレイとすると」
「もうしたの!レイとしたら、他の男じゃ無理なのよ、絶対!」
何の比喩だ。私は婚約と結婚の話をしているのだが、違う話聞こえるのは気にせいか?
それにしても、一国の王太子を捕まえて『他の男』呼ばわり。しかも断言か。
セシルもセシルだが、このレイという男、やはり侮れない。そんなにすごいのか。
さすがのレイも、真っ赤になった真っ青になったりしている。これでは単なるさらし者だ。
さすがに気の毒になって、私は話題を変えた。
「父の話だと、北方はテロの失敗で、かなり動揺しているらしい。上層部も混乱していると。そういう状況なので、婚姻同盟については、急ぐこともないということだった。来週には帰国するということだし、そのときに婚約解消を相談して……」
「そんな悠長なこと言ってられないの。父が来ないうちに国を出るわ」
「それは、軽率じゃないか?安全面を考えても、他国の動向を確かめてからのほうが」
「レイがいれば大丈夫よ。世界最強の魔術師よ!シャザードを倒した英雄よ!」
頬を染めて熱っぽく語るセシルの横で、レイはどんどん小さくなっていく。
本当にセシルでいいのか。レイ、お前は世界の英雄なんだろう?考え直すなら今だが。
「婚姻同盟は正式に成立していないので、手続き的には問題ないが、本当にそれでいいのか?隣国には戻らないつもりか?」
「ええ。二人で自由に生きるの!農民になるのもいいかなって」
私は絶句した。甘やかされた絶世の美女と、世界を救った英雄の魔術師が……農民とは。
まあ、いい。セシルが、こんなに幸せそうな顔をするのは、憂いを知らなかった子供の頃以来だ。
「レイ、お前には、今後の当てがあるのか?」
私に問いかけられて、恐縮しきりだったレイは、言いにくそうに切り出した。
「申し訳ありません。王女様と関係を持ったこと、どんなお咎めも受ける覚悟です。だた、もし許していただけるなら、必ず幸せにすると誓います。私には、南で劇場を経営している知り合いがいるので、しばらくはそこで過ごして、ゆっくりと先のことを考えていこうかと」
この常識ある男がいれば、市井に出ても、セシルはなんとかやっていけるだろう。
どちらにしろ、セシルはこうと決めたら一直線だ。もう誰にも止めることはできない。
「セシルは、妹みたいなものだ。幸せになれるなら、どんな結婚も賛成だ。色々と大変だとは思うが、よろしく頼む」
レイは深々と頭を垂れた。セシルはニコニコと、満面の笑みを浮かべている。
この二人は、長い間お互いを恋し続けていた。ようやく結ばれたのだから、きっとよい夫婦になるだろう。
「そういうことで、アレクのことは、クララに頼んでいくから安心して」
私は思わず、言葉に詰まった。気持ちはありがたいが、何もそこまですることはない。
クララの処遇については、私に任せてもらいたい。さすがの私も、セシルに釘を刺した。
「それは余計なことだ。私のことは、気にしなくていい」
「アレクのペースで進めたら、クララはおばあちゃんになっちゃうわよ!今夜から、この寝室で寝かすから。優しくしてあげてね!」
そういうことはするなと、愛妾事件のときにもあれだけ叱ったのに。
まったく懲りていない。学習能力がなさすぎる。
呆然とする私を残して、王女とレイは紳士と淑女の礼をとってから、さっさと退室していった。
このまま、すぐに出奔する気なのだろう。婚姻同盟不成立に係る事後処理を、私一人にすべて丸投げして。
駆け落ちするのなら、大げさな見送りはしないほうがいい。彼らのことは、しばらく伏せておくべきだ。
このことは発覚するまでは黙秘しようと決めた。
それにしても、セシルたちのために増えた仕事を考えると、つい長いため息が出た。
だが、今夜からここにクララが来ると思うと、自然に頬が緩んでしまう。
セシルのお節介も、的を得ていれば悪くない。
まるで嵐のように、周囲の者たちをかき回し、通った後をはちゃめちゃにしたままで、あっという間にセシルは去っていった。
彼女らしいといえば彼女らしいが、レイの今後の苦労は目に見える。
私は少し、いや、かなりの同情を禁じ得なかった。