永遠の別れ [クララの視点]
私とローランドは、屋敷から少し歩いたところにある果樹園に来ていた。
元果樹園であった場所というべきなのか。
シャザードとレイ様の魔法戦のために、りんごの木はなぎ倒されたり、引き裂かれたりしていた。
あの日から約1ヶ月。その間に、いろんなことが変ってしまった。
「あのときは、守ってくれてありがとう」
私は、あれからずっとローランドに会っていなくて、やっと言いたくても言えなかったお礼を言えた。
それを聞いて、ローランドはすこし自嘲気味に笑った。
「守ったのはお前だろ?レイ殿を連れてきてくれなかったら、俺が死んでたよ」
王宮に戻る前に、ここに寄っていかないかと誘ったのは、ローランドだった。
「不思議だね。シャザードはもういない。レイ様も王女様も、カイルも行ってしまった」
「そうだな」
私は、カイルから預かっていた箱をバッグから取り出して、ローランドに差し出した。
それを見て、ローランドは驚いたように目を瞠った。
「カイルから預かってたの。いつか会えたら、返そうと思って」
ローランドは黙って箱を受け取ると、そっとその蓋を開けた。そこには公爵家の象徴であるエメラルドが、柔らかい日の光を受けて燦然と輝いていた。
「これはあの日、お前に渡そうと思ってたんだ」
「うん」
それは知っていた。
そして、もしもあの日に襲撃がなかったら、私がこの指輪をしていたかもしれないということも。
でも、そうはならなかった。
「あの日の翌日、カイルがこれを王宮まで持ってきたんだ。お前が羽織っていた、俺の上着に入っていたって」
ああ、そうか。茨にひっかけてしまった上着。あれに入っていたんだ。
そういえば、あの日、カイルは王宮に出かけて……。
「クララに渡せって言われた。でもつっぱねた。そしたら殴られた」
カイルがローランドを殴って、謹慎になった日だ。あれは、そういうことだったんだ。
でも、なんで。なんで、カイルはローランドを殴ったんだろう。
「ヘザーとクララからの怒りの鉄拳だと。まあ当然だよな」
「え、それはどういう意味?」
ローランドはちょうどあの日、私たちがピクニックをした辺りで足を止め、こちらを向いた。
あまり見たことがなかった真剣な目を向けられ、私はローランドから目そらせなくなってしまった。
「俺はお前が好きだった。なのに、殿下との仲を誤解して、お前を諦めようと、ヘザーの好意を利用した。そんな婚約、カイルが怒って当然だろ」
「私と殿下は……」
「知ってる。殿下から聞いた。何もなかったんだろ」
そう。私たちの間には、何もなかった。あのときも今も。
そして、殿下は、それをローランドに言ったんだ。たぶん、私をローランドに託そうとして。
「じゃあ、なんで……」
ヘザーと。そう聞こうとして、私は言葉を飲み込んだ。
聞いてはいけないことだった。それはローランドとヘザーのことで、私があれこれ詮索するものではない。
私の考えを読んだかのように、ローランドは前髪をぐしゃっと握った。
これはいつもローランドが、キツいと思っているときにする癖だった。
「カイルには、何度も言われた。逃げずに、きちんと向き合えと。でも、俺にはできなかった。お前の口から、決定的なことを言われるのが怖かった。俺を愛していないという言葉を、聞く勇気がなかった」
そういう気持ち、よく分かるよ。私もずっと同じだから。
好きな相手の本当の気持ちを聞くのが、怖いと思っているから。
そう言ってあげたかったけれど、私はただ黙っていた。それは、私がいうべきことじゃないと思った。
「ヘザーは、俺の気持ちを知っていた。当然だよな。それなのに、俺と婚約したいと。新しく好きな子ができるまでの仮でいいと。俺はそれを承諾した。ただ、お前を諦めるためだけに」
私の頬を涙が伝った。ヘザーはどんな気持ちだったんだろう。
私は王女様のお茶会まで、ヘザーのローランドへの気持ちに気がついていなかった。
ずっと一緒にいたのに。一番の親友なのに。
泣いている私を、ローランドは静かに抱き寄せた。ローランドも泣いていた。ヘザーのために泣いていた。
どこまでも心優しい、私たちの大切な幼馴染を想って。
しばらくして、私たちは少し落ち着きを取り戻した。
そして、ローランドは私の涙を指で拭って、私の額を撫でてくれた。
子供のころから、私が泣いているとそうしてくれたように。
「テロのとき、ヘザーを失えないと思った。あいつを、生きて幸せにしたいと思った。だから、死ねないと。だから、死なせないと」
ヘザーは、私とローランドを庇ってくれた。愛する人と恋敵である私を。なんのためらいもなく。
そして、私とローランドに、自分を置いて逃げてくれと言ったのだ。
「口には出さないが、ヘザーは不安がってる。だから、早く安心させたい」
「結婚するって、聞いたよ。おめでとう」
「ああ。子供ができれば、俺は家督を継ぐ。ヘザーを公爵夫人にできる」
「うん。そうだね」
ヘザーの両親は亡くなっていて、実家には身の置き場がなかったと思う。兄の伯爵は優しい人だけれど、義姉の伯爵夫人とはずっと折り合いが悪かった。
ローランドと結婚して公爵家に入れば、きっとそこが、ヘザーにとって一番落ち着ける場所となるだろう。
ローランドは私の両肩をつかみ、自分から少し離した。そして、そのまま私の目をじっと見つめて、こう言った。
「俺は、ヘザーと生きることに決めた。だけど、今、お前にどうしても聞いてほしいことがあるんだ。俺が先に進むために。聞いてくれるか?」
私は無言で頷いた。
私がローランドのためにできることは何もない。してもいけない。
それでも、この人は幼い頃から、私を自分の許婚として、密かに守り慈しんでくれた。
そして、私もこの人がいる空気が好きだった。
形は違うけれど、そこには確かに愛があった。
「俺は子供の頃から、ずっとお前が好きだった。その気持ちは、これからも永遠に変わらない。何があっても」
ローランドの心が、泣いているのが分かる。そして私の心も。
愛し合って結ばれるという運命ではなかったけれど、私たちは互いに強く惹かれていた。
どこかで歯車が掛け違っていたら、たぶん互いの手を取っていたであろうくらいに。
「一度だけでいいから、ちゃんと伝えたかった。お前は俺のすべてだった。愛している。永遠に愛し続ける」
私は黙って頷いた。
これは愛の告白ではなくて、決別のための言葉だった。
ローランドは、抱えきれない思いを私に伝えることで、それを昇華しようとしている。
消えていく思いを手放すのが寂しくて、それを私に引き取ってほしいと請うている。
「ありがとう。ローランドの気持ち、一生忘れない」
私がそう言うと、ローランドは私の肩に頭を乗せて、少しの間だけ泣いた。
私はその頭をそっと撫でて、いつもそうしていたように「大丈夫だよ」と言った。
それが、私たちの幼い頃からの許婚関係の終わりだった。
果樹園の門の近くに、私は馬車を待たせてあった。
私たちはとりとめのない話をしながら、笑い合って馬車まで歩いていった。
今までいつもそうしていたように。
そして、ローランドはいつものように「じゃあ、また」と言って、私の手を取って馬車に乗せてくれた。
それは、パートナーとして私をエスコートしてくれるときに、いつも彼がしてくれたことだった。
馬車が見えなくなるまで、ずっと門の前で見送ってくれるローランドを、私は馬車の後方の窓のカーテン越しに、こっそり見ていた。
さまざまな彼との思い出が洪水のように溢れて、私は声を上げて泣いた。
ローランドとヘザーが幸せになることだけを願って。
王宮につくまで、私は泣き止むことができなかった。