必ず助ける [クララの視点]
あれは誰? あの黒いマントの男。どこかで会ったはず。見たことがある。
でも、なんであんなに落ち着いているの?どうして逃げないの?おかしいわ。
混乱する会場の中で、私は魔法を発動しているカイルにしがみついていた。
落ちてくる天井を支えるなんて、何人かの魔術師で手分けをしているとはいえ、エネルギーの消費量は激しいはずだ。
今のカイルには、周囲を観察する余裕がなくても当然だった。
これは事故じゃない。テロだ。何者かが、いえ、北方の。
そうだ!あれは黒い軍服の男!果樹園で私とローランドを襲い、レイ様と姿を消した魔術師だ!
そのとき、後ろから叫び声が聞こえた。
「カイル!大丈夫か?クララ、こっちへ!」
ローランドだった。振り返るとヘザーと一緒にこっちへ向かって走ってくる。その先の非常口から女性たちが出ていくのが見えた。
カイルも、それに気がついたらしく、私をローランドのほうへ突き出した。
予期していない動きだったので、私はヒールのバランスを崩してよろけてしまい、ローランドに抱きとめられた。
「クララ!早く!こっちよ!」
ヘザーが私の手を取り、出口に向かう。ローランドに支えられたまま出口付近まで走ったころで、私は急にに我に返った。
「ローランド、あいつがいたわ!黒い軍服の男よ!果樹園の!」
「なんだって?本当か!カイルっ!」
ローランドがカイルを振り返って叫んだとき、落雷のような光の衝撃が会場を走り、頭上に留まっていた落下物が壁に打ち付けられた。
そして、天井の残骸やガラスが壁際に落ちてきた。
あと少しで出口というところにいた私達は、落下物の直撃を受けた。
「ローランド!あぶない!」
下敷きになると思ったとき、先を走っていたヘザーが身を翻した。
そして、ローランドと私を、会場の中側へと突き飛ばした。
「ヘザー!」
ローランドの叫びを聞いたときには、私たちの上にもガラスの破片や細かい石つぶが降り注いだ。
ローランドは私をかばうように身を伏せた。
どのくらい経ったのか。私は気を失っていたのかもしれない。それでもたぶん、数分間の出来事だったと思う。
会場が静かになり、私は身を起こそうとした。ローランドも気がついたらしく、私の上から身を離した。
私たちはいくらかの瓦礫の下にはなっていたけれど、取り除けられないほどの重さではなかった。
「クララ。大丈夫か?」
「ええ、ローランドは?」
ローランドは額から血を流していた。その怪我は見た目ほどはひどくないようだったけれど、右足には大きなガラスの破片がささっていた。腱が切れているかもしれない。
でも、それよりも私たちの目を奪ったのは、少し離れた場所で大きな天井の梁の下敷きになったヘザーだった。
私はローランドをそのままにして、ヘザーの元へ駆け寄った。
「ヘザー!ヘザー!しっかりして!」
私が必死で呼びかけると、ヘザーはうっすらと目を開けた。そして弱々しい声で尋ねた。
「クララ、よかった。ローランドは、ローランドは無事?」
「安心して、無事よ!大丈夫、今、助けるからね!」
私は泣きながら、ヘザーを梁の下から引っ張り出そうとした。でも、身体のどこかが何かに引っかかっているらしく、動かすことができない。
そうしていると、足を引きずって這うようにローランドがたどりついた。
「ローランド、手を貸して!ヘザーが、ヘザーが!」
私の声を聞いて、ヘザーは目を開けてローランドのほうを見た。
ローランドはヘザーの側に座ると、ヘザーの頬を優しく撫でた。
「僕らを庇って。お前はバカだな」
「よかった。ローランド、無事でよかった。クララを連れて、ここから逃げて」
ローランドは、微笑んで首を振った。
「ここにいるよ。お前を置いてはいかない。僕はお前の、婚約者なんだから」
「だめよ。あなたは、クララを守らないと」
「分かってる。クララは無事に逃がすから。だから安心していい」
そう言って、ローランドがヘザーの手を握ると、ヘザーは少し微笑んで、また目を閉じた。
ヘザーが意識を失ったのを見てから、ローランドは私のほうを見上げた。
その足にはガラスが刺さったままだったけれで、それでもかなり出血しているように見えた。
私は自分のドレスを割いて、ローランドの足を止血のために縛った。この怪我を放置すれば、ローランドの命も危険だ。
私の恐怖を感じ取ったのか、ローランドがなだめるような優しい声で言った。
「クララ、僕らはここで救助を待つ。一人で先に逃げてくれ」
「いやよ!待ってて、カイルを呼んでくる!すぐ近くにいるはずよ」
カイルのいた方向を見たが、会場はホコリで視界が悪く、その姿を見つけることはできなかった。
魔法で灯っていた灯りはすべて消えて、抜けた天井からの夕闇だけが頼りだった。
カイルのいたほうへ戻ろうとする私を、ローランドが引き止めた。
「だめだ!そっちは危険だ!出口のほうへ行くんだ!」
すぐ側の出口の前には瓦礫がうず高く積り、ほんの少し残っている隙間から這い出すには、いくらか瓦礫を取り除く必要がある。私だけの力では、ある程度の時間を要するはずだ。
そんな時間的な余裕はない。一刻を争う。しかも、ヘザーの上の梁は瓦礫の山の一部となっていて、私が登ればヘザーに更に加重される危険もある。
「大丈夫。必ず助けを連れてくるから!それまで諦めないで!ヘザーを励まして!」
「クララ!だめだ!」
私はローランドの声を無視して、そのままモヤがかかったような会場の中へ入っていった。
視界は2メートルくらいだろうか。中に行けば行くほど瓦礫は落ちていないが、それでも走るのは危険だった。
誰がいるのか分からない。敵に遭遇したら殺されるかもしれない。
それでも、私は前へ進んだ。ヘザーとローランドの命がかかっているのだから。絶対に二人を助けてみせる。
少し先に進んだところで、床に倒れているカイルを見つけた。
私は急いで側に駆け寄った。そして、その姿を見て全身が恐怖ですくんだ。
髪からはまだ煙が出ていて、服や皮膚もところどころが焼け焦げていた。
「カイル!カイル!しっかりして!死んじゃだめ!」
そういって声をかけてから、胸に耳をあてると、少し弱いけれど心臓が動く音が聞こえる。そして、呼吸をしているのも、微かに感じられた。
カイルは生きている。魔法の攻撃を受けて、気を失っているだけのようだった。でも、ここにこのまま放置するわけにはいかない。
私は周囲を見回して、近くに天井を支えていた太い柱を見つけた。試しに少し押してみたがびくともしない。これならの崩れる心配はない。
私はその側までカイルを引きずっていった。そして、少しだけ上体を起こして気道を確保し、誰かが落としていった上着をかけた。
「カイル、待ってて。あなたも必ず助けるから」
そう言ってから周囲に耳を澄ますと、遠くのほうから人の声がするのに気がついた。
そちらに行ってみよう。もしかしたら助けてもらえるかもしれない。でも、もし敵だった場合は、気づかれないように逃げなくてはいけない。
私が死んだら、ヘザーたちを助けられない。絶対に死ねない!
私は靴を脱いだ。ヒールがガラスを踏んで足音を立てれば、敵に遭遇したときすぐに気づかれてしまう。
なるべく静かに近づいて、助けを求める前に、相手が敵が味方かを確かめなくてはいけない。
私は髪に挿していた簪を抜き、先端を覆っていた鞘を取った。これは護身用で、先が鋭利な刃物となっている。今日のためにカイルが用意してくれたものだった。
そして、その飾りの部分には、殿下からもらったペンダントトップが付けてあった。
『お守りだと思って付けておいて』
これをくれたとき、殿下はそう言った。だから、ずっと身につけていた。ずっとずっと、私の大切なお守りだった。これがきっと、私を守ってくれる。
私はその簪刀を、両手でしっかり握りしめた。
そして、意を決して、人の気配がする方向へあるき出した。
誰にも死んでほしくない。ヘザーもローランドもカイルも。そして、王女様と殿下も。
私は神に祈るような気持ちで先を急いだ。