父と子
クララと王宮に戻り、そのまま執務室に入った。すでに、昼近かったと思う。
一歩、足を踏み入れたとたん、あちこちから口笛やクラッカーが鳴る。そして、朝帰り遅刻をからかう野次がを飛んだ。
この盛り上がりはなんだ?ここは一体どこだ?私の執務室ではないのか?
部下全員が、私の婚約が首尾よく成ったことを知っていて、泣き出さんばかりに喜んでくれた。
みなの助言が役に立ったと告げると、誰もが満足そうに頷いた。
外堀を埋め、精神的な距離だけでなく、物理的な距離も取り去った。
我ながら上出来だったと報告すると、みんながさめざめと男泣きに泣いた。
かなり大げさだとは思うが、みなよい部下であり、よい友達だった。
ローランドだけは始終仏頂面だったが、父国王からの伝言を持ってきてくれた。
なんでも、出仕次第すぐに、国王の政務室へ顔を出すようにとのことだった。
すぐに父上の元へ向かおうとすると、ローランドが私の襟ぐりをぐっと捕まえ、声を低く抑えて指摘してきた。
「シャワー浴びてけよ。朝に女の残り香なんて、つけてくるな」
私は、このバカ騒ぎの原因に納得した。だから、みなにバレたのか。
私からはクララの香がする。そのことに幸せを感じて口元を緩めると、すかさずローランドに小突かれた。
分かっている。王族たるもの、けじめが重要だ。乱れた生活を、国民に提示していいわけがない。
私は執務室で軽くシャワーを浴びると、新しい服に着替えた。
王室庭園のコテージで着替えてはいたのだが、国王に会うには少し軽装な気がしていた。
ちょうどいい機会だ、父にクララとの婚約のことを話そう。
私は意気揚々と、父の元へと急いだ。
私が政務室に到着すると、父は来賓室へ私を招き、人払いをした。
王妃である母が亡くなってから十年余り、私たち父子はかなり隔てを置かずにきた。
互いが互いの、一番の理解者だと言っていいかもしれない。
「どうやら、うまく行ったようだな。一安心だ」
「ご心配をおかけしました。色々と勉強不足で」
「まあ、いい。お前を色恋とは無縁の立場にさせていたのは私だし、そちらの方面に疎くなってしまったもの、当然と言えば当然だ」
「父上も、母上を口説くときには、苦労されたのですか?」
「当たり前だろう。お前の母は、地上に降り立った天使だぞ。並の女ですら口説いたことがなかった私が、どうやって結婚にこぎつけられたのか。聞くも涙語るも涙な世界だ」
「そのエピソードは、図書館で読みました。新聞に掲載されていたものが書籍化されていて、書庫にありましたので」
「ああ、まあな。あれは王族の洗礼みたいなもんだ。お前も分かると思うが、ああいうのは美しく婉曲されたフィクションだ。アナリーゼは、読んで激怒していたぞ。私が美化されすぎだと。そうは言っても、国王を神格化するのは、昔からよくあることなのだが」
「王族はある意味、国民の夢みたいなものですからね。当代の記者も、そこはさすがに時代に合わせて、上手に内容を操作してくれているようです」
「重畳だな。とにかくよくやった。相手のクララ嬢は、市井で大人気だそうじゃないか。愛のために命がけでお前をシャザードから守った武勇。しかも貴族よりも平民寄りで、気さくで謙虚な態度に好感度は鰻登りだ。ちらっと見かけたが、非常に美しい令嬢じゃないか。平然と『セシル王女と政略結婚する』と言ってのけたときは、恋の一つもしてないのかと心配したが、あんな娘を隠しておくとは、全くお前も隅に置けないな」
「恐れ入ります。それで、早速ですが、結婚の時期についてご相談したいのです。式は最短でも一年は先になると思いますが、籍だけは、明日にでも入れたいと」
私は、気になっていたことを言った。
こういうことになった以上、いつクララが身籠ってもおかしくない。
王家の男子には強い魔力が宿るため、妊娠に至るまでは時間がかかる。とはいえ、それは統計データの話であって、クララがそうだとは限らない。
彼女にとっては、順番が逆になることは好ましくないだろう。私にとっては、結婚までお預けというのは到底無理な話だった。
「気持ちは分かるが、セシル王女との婚約話が消えたばかりだしな。あれは、あちらの都合ではあったとはいえ、対外的には少し待ったほうがいいという意見が、元老院に多い。お前達は若いし。どうだろうか。今は婚約だけにして、結婚は一年後くらいから考えるというのは」
「却下します。婚約者と未婚のまま長く一緒に住むというのは醜聞です。二人の関係が明白ですから、クララが好奇の目に晒されます。かといって、彼女と離れて暮らすのは、私が嫌です」
私がそう言い切ると、父は嬉しそうにクックと笑った。
「お前がわがままを言ったのは、これが初めてだな。アナリーゼに見せてやりたかった。そうか。結婚していなくても、醜聞にならずに一緒に暮らせれば、それでいいということだな」
「そんなことができますか?」
「まあ、任せておけ。今夜、クララ嬢を晩餐に呼んでいる。そのときは、万事、話を合わせてくれ。悪いようにはしないから」
「……分かりました」
父が何を企んでいるかは知らないが、ここはとりあえず任せてみよう。
なんだかんだ言っても大国の王。綺麗ごとだけでは回していけない政治において、交渉にかけては右にでるものはいない。
あの北方を、外交だけであそこまで抑えておけたのは、他ならぬ父の手腕だ。
多少の不安はあるが、私は政務室を辞した。
駆け引きや根回しなど知らないクララには申し訳ないが、私のために諦めてもらうしかない。
なんと言われても、私にはもう、クララを手放す気はないのだから。
晩餐では、せめてクララがあまり緊張せずに済むように、私がフォローしよう。
そう思って臨んだ晩餐だったが、案の定、クララはガチガチだった。
それはそうだろう。何を考えたのか、父は晩餐の席に侍女長や侍従だけではなく大臣たちを呼び、懸案事項を討議しながら食事を摂っている。
いくら政務が忙しいとはいえ、クララとは最初に挨拶を交わしただけで、後はまるで無視だ。
これでは、単なる嫁いびりだ。
末席に控える侍女や、部屋の外で待機するメイドの私を見る目が痛い。
「次は、王都に新設された、高度治療専門産婦人科病院に関してでございます」
「うむ。不妊治療専門病院だったな。何か問題があるのか?」
「はい。こちらは担当官が決まっていないため、厚生労働大臣が兼任しています。しかし、患者には女性が多く、治療もデリケートな部分が多い。細かい要望を吸い上げられていません。女性を専属で担当官にするべきかと。ただ、人選が困難で……」
「そうか。夫婦間の魔力差や、出産年齢の上昇で、妊娠しずらい夫婦が患者か」
男女の魔力差。クララには全く魔力はないが、たぶん私の魔力量は相当なものだ。
こういう組み合わせでは、子供が授かりにくいということが、近年の研究で分かってきた。
特に父親の魔力量が多い場合は、その魔力を受け継ぐ子と母体が適合する必要がある。
それはある意味で、単なる確率なのだが、出産年齢が上がっている現在、分母が少なくなるだけ確率も下がる。
それを魔法や薬で補助する目的で、この病院は建てられた。
クララは、ずっと政務の話に真剣に耳を傾けていたが、この話は特に興味を引いたようだった。
本当は、あまり聞かせたくない話だったのだが。
私とは子が成しにくいと知ったら、クララは後継を心配して、魔力量の高い側室を勧めてくるかもしれない。それは困る。
父に思念を送って黙らせたいが、この場にいるものは魔法が使えるものも多く、内容を読まれてしまう可能性もある。
私が軽くにらみつけると、父はすっと目を逸らして、クララのほうを見た。
「ところで、クララ嬢。あなたは王太子と契りを結んでいるそうだが、すでに身籠っているのか?」
いきなり何を言い出すのか、この父は!
クララは真っ赤になって俯き、周囲のものたちは聞いてはいけないことを聞いてしまったかのように、全員が下をむいて黙り込んだ。
私が抗議の目線を送ると、父は軽くウィンクしてきた。
……胃が痛い。