王子と貧乏男爵令嬢 [クララの視点]
なんだろう?なんとなく、王宮の様子がおかしい。
殿下と一緒に、王族専用庭園の『秘密の花園』から王宮に戻ると、ドアの前で侍女長様が待っていてくれた。
殿下はそのまま執務室に行くと言うので、私は侍女長様と部屋に戻ることになった。
殿下は私の頬に軽くキスをしてから、柔らかい笑みを投げて、仕事へ向かった。
侍女長様は、万事心得ましたとばかりに、無表情を貫いてくれている。
それでも、私は人前でキスをされたのが恥ずかしくて、真っ赤になってしまっていたと思う。
侍女長様に従って、庭園の迷路のような生け垣群を抜けると、よく知っている前庭園の大噴水の前に出た。
そこは多くの紳士淑女が、朝の散歩をする場所なのだけれど、なんだか今朝は様子がおかしい。
侍女長様に先を促されて、つい彼女を従えて歩くような格好になってしまう。
それだけでも居心地が悪いというのに、会う人会う人がみな、私を見て頬を染め、最高敬意を伴った紳士淑女の礼を取ってくる。
それなのに、誰からも話しかけられることはない。
私が慌ててお辞儀を返すと、侍女長様がすかさず声をかけてくる。
「こちらは、公爵令嬢ジュリアと伯爵令嬢アビゲイル。昨日から、行儀見習いに上がっています。クララ様、お言葉を」
「ご、ごきげんよう。よろしくお願いします」
まだ幼さが残る年齢とはいえ、明らかに高位の令嬢たちだった。
爵位が下の私から声をかけていいか迷ったけれど、王宮のしきたりについては、侍女長様に従うのがベストだろう。
二人はキラキラとした目で私を見ると、真っ赤になってお互いに手を取り合い、「お会いできて光栄です」と声を揃えて言った。
なんだろう?なんで光栄?
若いお嬢様たちは、好奇心旺盛だとは思う。でも、私に会っても、特にいいこともないと思う。
「あなたたち!失礼ですよ。もう、お下がりなさい。クララ様、参りましょう」
侍女長さまに叱られて、シュンとなっている令嬢たちを残して歩き出すと、背中から『きゃああ』という歓声が聞こえた。
そっと振り返ると、さっきの令嬢たちが、同じ年頃の令嬢たちに取り囲まれている。
いつの間に、こんなにたくさんの行儀見習いのご令嬢が?
「侍女長様、あの方たちは?」
「昨日、五十人ほど侍女見習いの令嬢や新しいメイドを召したのです。今まで王宮は男所帯でしたので、若い娘は必要ありませんでした。でも、これからは、何かと女性が重宝しますからね。青田買いということです」
それは、どういうことでしょうか。
あ、あれかな。一昨日、侍女様やメイドさんたちが、原因不明の貧血でバタバタと倒れたという。
そういう非常時のために層を厚くして、若い芽を育てようという、侍女長様の新方針なのかもしれない。
そういえば、王女様が私たちを侍女にしたのも、王宮には若い侍女がいなかったからだった。
それにしても、やっぱり何かおかしい。
王宮の中には、いたるところに白薔薇が飾られている。この広い王宮を、ここまでふんだんに飾るなんて。
この冬空で、一体どこに、これだけの薔薇を咲かせる場所があるんだろう。
しかも、なぜか廊下には赤いカーペットが敷かれていて、花びらが散らしてある。
ひどいことをする人がいる。これはお掃除メイドさん泣かせだ。
そして、すれ違う人はみな、道をあけてくれる。近衛の騎士様まで、最敬礼をして控えてくれる。
絶対に、何かおかしい!
まさか、一日王宮を空けたら、魔法で別の異世界に飛ばされてしまったとか。
ここは、何かのパラレルワールドなのかもしれない。
私が後宮の部屋に戻ろうとすると、当然のように侍女長様から止められてしまった。
そして、私が戻った先は、この一ヶ月で使い慣れてしまった殿下の部屋だった。
寝室から続く二間続きの部屋には、男爵家から私の荷物が運び込まれていた。
まるで、自宅の部屋がそのまま移転してきたみたいに。
そして、そこには、王宮メイドの制服を着たマリエルが待っていた。
「クララ様!ご婚約おめでとうございます!」
侍女長様が私の世話を託して退室されると、さっそくマリエルが、満面の笑みで飛びついてきた。
感極まって泣いているマリエルに、私は小さな疑問をぶつけた。
「え、なんで。どうして知ってるの?」
マリエルはそれを聞いて、ぽーっと顔を赤らめた。
ちょっと、何?なんなの?
「お嬢様。殿下のコロンの残り香を漂わせて、ガッツリ朝帰りしておいて、今更、何を言ってるんですか!いつも白くて綺麗なお肌も、今日はさらにツヤとハリが増してますよ!それに、肌のあちこちに、真紅の薔薇の花弁みたいな痕が散らされてるし。こんなに瞳を潤ませて、色気ダダ漏れで!その格好で王宮の中を堂々と戻ってくるなんて、エロすぎます!それにしても、見える位置にこんなにキスマークをつけるとか、殿下ってめちゃくちゃ独占欲強いですね!」
は?びっくりして鏡を見ると、たしかにマリエルが形容したとおりの自分の姿が写った。
うそでしょ……。ここに来るまでに、これをみんなに見られたってこと?
殿下も侍女長様もひどい。教えてくれれば、私だってコソコソ隠れたのに!
「やだ、どうしよう。こんなの知らなかった。今朝、王宮で会った人には、その、いろいろバレちゃったってこと?嘘でしょう……」
私が涙目でパニックに頭を抱えたとき、テーブルの上に見覚えがある、ピンクの薔薇の花束が見えた。
そこから漂う香りには、なんだか懐かしい気持ちになる。
「あの花束は、殿下が?」
「いいえ。カイル様からのお祝いですよ。今朝、新聞が出たすぐ後に届いたんです」
マリエルから渡された花束の中には、「婚約おめでとう。幸せを祈って」と、シンプルなメッセージが手書きで書かれていた。
それは彼と婚約した翌日に、私がもらった薔薇と同じものだった。その香りに、私は不覚にも涙が出た。
「カイル様、ご心配だったと思いますわ。殿下との仲がうまくいかないようなら、クララ様をすぐに奪い返すと宣言されたようですから。ずっと、お二人がどうなるか、気にされていたんじゃないでしょうか」
「え?それ、なんの話?誰に聞いたの?宣言って……」
「もちろん、ヘザー様からですわ。いえ、正確には、ローランド様ですけど。カイル様が西国に発つ前に、ローランド様に殿下とクララ様のことを、頼んでいらしたって。でも、ほら、ローランド様は既婚者ですし、軽々しくクララ様の様子を見ることはできないって。だから、そのお役目は、ヘザー様が承りましたの」
う。また、ヘザーたちか……。
私の幼馴染は、何かと私の世話をやいてくれる。
その気持ちは嬉しいのだけれど、これじゃ誰のプライバシーも何もあったもんじゃない。
カイルだって怒るよ。私だって、正直やめてほしい。
「そ、そうなんだ。でも、なんで新聞?」
マリエルはそれを聞いて、心底意外そうな顔をした。そして、私に新聞を手渡した。
私はそれに、目を落とした。
えーと、連載小説?『王子と貧乏男爵令嬢 54:ついに婚約!花園での一夜』って。
え?え?えええええ?
「ご存知なかったんですか? 一ヶ月前くらいから朝晩新聞に掲載されてる、今大人気の連続恋愛小説ですよ。もちろんフィクションで、実在する人物や団体には一切関係はありませんよ? でもまあ、結構しっかりした筋からの実話を元にしているってことで、国民に愛読されてますの!近々、書籍化するそうですわ!」
「え、これ、『真実の愛』の作者の新作なの?」
頭がクラクラした。これって……。
ちょっと読んだところでは、かなりいいように脚色はされているけれど、時系列的な内容はあまり齟齬がない。
つまり、これは、私と殿下の話?
「あちらの筆者は男性ですが、これは女性作家です。女性の心理描写が細かくて、しかもすごく広くネットを張って、綿密に取材されているんです!近頃は、朝晩これが出るのが楽しみで生きているようなもんです!そのせいか、市井でも新聞は売上十倍らしいですよ!文字の読めない庶民のために、読み聞かせボランティアをしている学生もいるとか」
新聞、女性作家、取材ネット。そのキーワードで思い浮かぶ人、誰かどっかにいたよね……。
今、リハビリ中で暇してるけど、実は新聞記者になりたかった才媛が。ものすごく偏った情報収集能力をもつ、メイド・ネットの頂点に。
え、本当に?こんなことして、大丈夫なの?
「えーと、勝手に王子様とかを主人公にしたら、王族の方たちから、抗議が出たりしないのかな?止めさせほうが、いいんじゃないのかなあ」
私は、恐る恐るそう提案してみた。ところが、それは、マリエルに一蹴された。
「何を言ってるんですか!この物語の一番の愛読者は、国王陛下ですよ!最後のとこ、よく見てくださいな!」
あ、はい。しっかり、国王陛下に献上されておりました。
つまり、この作家は王室御用達というか、王室広報係を兼ねていると言っても、過言ではないんだ。
私は、ふらふらとソファーに倒れ込んだ。
このプライベートのまったくない生活、これが公人の常識?殿下って、こんな中で生きてきたの?
私、もしかして早まった?覚悟が足りなかったかも。
ソファーで脱力する私をよそに、マリエルはさらに爆弾を落としてきた。
「殿下の肌の温もりが名残惜しいとは思いますが、ランチの後で、早速入浴していただきますよ!今夜は、国王陛下の晩餐に呼ばれているんです。未来の嫁と、早くお会いしたいんでしょうねえ。殿下は一人っ子だし、孫で末広がるのを、楽しみにしていらっしゃるようですよ!」
は?そんなこと聞いてないんだけど。
どうしよう。やっぱり逃げたい……。