秘密の花園 [クララの視点]
殿下のことを考えて、ぼんやりと眠れない一夜を明かした。
そして、寝不足の私を待ち受けていたのが、ヘザーの命を受けて出仕することになった、マリエルの激怒だった。
マリエルのメイド・ネットはかなりズレている。それでも、みな私の味方のようなのだ。
メイドさんたちは、色々と思い込みが激しい娘っ子集団だ。
でも、年頃の娘さんたちが、恋愛至上主義なのは、極めて普通のことだと思う。
むしろ、ハイティーンな娘さんたちが、途上国に架ける橋の建設ボランティアに興味を持っていたとしたら、それはそれでかなり違和感がある。
王太子と貧乏下級貴族令嬢。その恋模様に夢中になるのは、かなり自然な話だ。
とはいえ、寝室の様子までモニターされるというのは、いくらなんでもプライバシーがなさすぎる!
今日はなんとしても、殿下と二人だけでお話したい。
こ、告白というのは、やはりプライベートなものだと思う!
相変わらずキャンキャンと吠え立てているマリエルの言葉を聞き流して、私はオレンジジュースを飲んだ。
昨日、殿下の膝の上で飲んだものと同じ味がして、目に涙がにじんだ。
そのとき、部屋がノックされて侍女長様が入って来た。マリエルは、すぐに彼女が誰かを察したらしく、頭を下げて壁際に控えた。
「ご機嫌はいかがですか?よく眠れましたか」
「いえ。あ、はい。おかげさまで」
寝不足の赤い目を見て察したのか、侍女長様はそれ以上は聞いてこなかった。
代わりに、マリエルに向かって話しかけた。
「あなたが、マリエルね。ヘザーから聞いています。今日から、クララ様の日常のお世話をお願いしますね。あちらで、他のメイドたちとお茶をしていらっしゃい」
「はい。侍女長様。よろしくお願いいたします」
マリエルが去ると、侍女長様は人払いをして、私の前の椅子に座った。
私は急いで、お茶を淹れた。侍女長様はそれを美味しそうに飲んで、話を切り出した。
「それで、よく考えられましたか」
「はい。ありがとうございます。あの、殿下に会いたいのです。私の気持ちを、きちんとお伝えしたくて。会ってくださるでしょうか」
私の言葉を聞いて、侍女長様はにっこりと微笑んだ。
「殿下は、本日、休暇を取ってらっしゃいますよ。昨日は、悪友たちと飲み明かされたようですね。執務室も閉鎖です。表向きは、国王陛下が留守中の殿下と側近のお働きを労って、ということらしいですが」
「そうですか。それでは、お疲れでお休みですね」
殿下はあのテロ事件から、いえ、たぶん北方との情勢が怪しくなりだした頃から、寝る間も惜しんで仕事をされていたはずだった。
それなら、今日はゆっくりと休んだほうがいいだろう。会うのは諦めよう。
「殿下は貴方がいないと、ゆっくりお休みにはなれないようですよ。伝言を預かってきました。『会いたい』と」
「本当ですか?殿下が。私に会いたいって、言ってくださったのですか?」
ニコニコと頷く侍女長さまが、なぜがぼやけて見えにくくなってきた。
テーブルの上にあったナプキンを渡されて、やっと私は、自分が泣いていることに気がついた。
「さあ、支度しましょう。きちんと朝食を食べて、お風呂に入ってね。きれいにお化粧をして、今までで、一番綺麗な貴方をお見せしてあげましょう。殿下のお心を、がっちりと捕まえられるようにね」
「ありがとうございます」
私は涙を拭いてから、蜂蜜がかかったヨーグルトを口に入れた。
マリエルが持ってきてくれたのだろう。男爵家でいつも食べていた、領地で採れる蜂蜜のやさしい甘みが嬉しかった。
殿下は私を、『秘密の花園』と呼ばれる庭園で待っていてくれた。
そこは、王族しか入れないプライベートな異空間で、その入口を知っているのはごく限られたものだけだそうだ。
扉には鍵がかけられ、王族と招かれたものだけしか入れない魔法がかかっている。
侍女長様が、ドアの前まで案内してくれた。そして、彼女に見守られながら、私は扉の中へと入っていったのだった。
そこは、小高い丘の上だった。
冬だというのに、柔らかく温かい春の風がさらさらと頬をなで、遥か下に見える湖までつづく草原には、色とりどりの野生の植物が花を咲かせていた。
湖面は鏡のように澄んで、遠くの山影や空に浮かぶ雲が、くっきりと写っている。
何の音だろうか。カウベル?牛の姿は見えなかったけれど、どこかで放牧されているのかもしれない。リンリンという澄んだ音が聞こえる。
標高が高いのか、雲がずいぶん低く流れていた。
その絶景に息を飲んだとき、私は遠くでブランケットの上に寝転がる人影に気がついた。
帽子で顔を覆っているけれど、たぶん殿下だと思う。
私が近づいていっても、その足音で起きるという気配はなかった。眠っているのかもしれない。
「殿下、クララです。眠ってるんですか?風邪引きますよ?」
そばに膝をついて私が声をかけると、殿下は顔から帽子を取って、そのままうーんと伸びをした。
これ、この光景、どっかで見たよね。
ああ、そうか、学園の裏の芝生の丘だ。殿下と初めて会った場所。
あのときは私が、こうやって芝生の上で寝転んでいたんだった。
「やあ、クララ。来てくれたんだね。ありがとう」
殿下は寝転んだまま、私を見て満面の笑みを浮かべた。そして、私の長い髪を一房掴んて口づけた。
急に髪を引かれたので、私は少し前のめりにバランスを崩した。
すると、あっという間に、殿下の腕に抱き止められてしまった。
「殿下。重くないですか?」
「クララは羽みたいに軽いよ。ああ、暖かくて気持ちいいな。しばらく、こうしていていいかな」
私は返事をするかわりに、膝を滑らせて、自分の身を殿下の側に横たえた。
殿下の背中にそっと手を回すと、殿下は少しだけ私のほうに体を傾け、私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
私は殿下の腕の中に閉じ込められて、自分のか殿下のか分からない、早鐘のような心臓の音を聞いていた。
どのくらいそうしていたのか、心臓の音はトクトクと規則正しく整いだしていた。
殿下の手は優しく髪や背中をなでて、唇は髪や額にキスを落としてくる。
殿下の体からはコロンのいい香りがして、まるで天国にいるような心地よさだった。
殿下の体温と、柔らかい日差しのおかげで、体は暖かい。まるで、天国にいるみたいな気分だった。
昨夜、寝ていないせいもあって、私はついウトウトとしだしてしまった。
そして、あっさりと睡魔に負けてしまったのだった。