あの夜に何が? [クララの視点]
「さあ。一体どういうことなのか、きちんと説明してくださいませ!」
氷のように冷たいマリエルの声に、私は思わず縮み上がった。
マリエルは腕を組んで、私の前に仁王立ちになり、据わった目で私を睨んでいた。
「なんで、マリエルが王宮に?」
ぼんやりと、一人で眠れない夜を過ごした朝、マリエルが朝食を持って現れたのには驚いた。
このタイミングでマリエルが登場するのは、絶対に偶然なんかじゃない!裏がある!
「私はヘザー様の、王太子妃付主席秘書官の名代です!」
ヘザーの?え、主席秘書官って王女様の?いやいや、今、王太子妃付って言った?
誰? その王太子妃って。
「セシル王女様からの異動辞令で、王女付秘書官はみな、クララ様付になったんですよ。先日の事件で療養や休養が必要なので、ヘザー様は在宅勤務になってますけど。きちんとアップデートな情報を共有してますし、ここのメイドたちは、ヘザー様からの指示で動いているんです。私も男爵家から、配下に入らせていただいてます。お父上の男爵様との連絡係が、私の主な仕事ですけど」
ええ?し、知らないよ。
あ、でも納得。ここのみなさん、とても賢いメイドさんだと思ったら、稀代の秀才ヘザーの配下だったのか。そりゃ、できる人たちだわ。
「ヘザー様は、一昨日のお嬢様とのミーティングで、殿下との仲が進展してないことに気が付かれて。厳戒態勢を敷いたんです!」
それって、あの質問のこと?『そっちはどうなのよ?』っていう、ちらっとした恋バナ。
あれはミーティングじゃないでしょ。雑談でしょ?だいたい、ヘザーの惚気話が主だったし。
「しかも、馬車まで送っていったローランド様の前で、ずいぶん泣かれていたそうじゃないですか!ヘザーさまがよくよく事情を聞いたら、クララ様は『殿下に愛されてるのか不安だ』と言っていたと」
ローランド、あいつ、今度会ったら覚えとけ。まったく事実と違うじゃない!
そりゃ、ヘザーには本当のことは言えないし、言われたら私も嫌だったし、情状酌量の余地はありだけども。
しかし、ローランド、絶対にヘザーの尻に敷かれてるな。
「なので、ローランド様から、執務室に命令を入れさせたそうなんですの。殿下には、なるべく業務を減らして疲れさせないようにし、遅くとも午後九時には執務室を追い出して、クララ様との夜を確保できるようにって」
だからあの晩、夜中に目を覚ましたときに殿下がいたんだ。珍しいと思ったら。
うわっ、あれって、みんな仕組まれてたってこと?やだ、うそ?こわい!
「もちろん、メイドたちにも、厳命が届きましたの。殿下をお迎えできるように、抜かり無く準備するようにと。彼女たち、ちゃんと働きましたでしょ?」
そう言われてみれば、目の腫れを引かせるために、食事中の氷嚢を当ててくれてたっけ。
眠いから省きたいって言ったのに、お風呂も丁寧に入れてくれたし。
寝間着も、いつものパイル地のじゃなくて、すごく肌触りのいい上等なシルクだった。まさかあれも……。
「で、いつもより部屋の温度を下げたんです。お二人で睦み合うには、いつもの温度じゃ暑いからって。ヘザー様はさすがですわ。そういうのって、ちょっと未経験者じゃ、気が付かないところですもの」
温度変化なんて、全く気が付きませんでしたよ。あのときはもう眠くって、それどころじゃなかったし。
だいたい、実家では冬は寒いくて、夏は暑かったし、常時適温設定なんて考えたこともなかった。
さすが王宮。すごいサービス。
「そうなると、万一にも失敗されたとき、クララ様が一人だと寒いかもしれないってことで。メイドたちで、中の様子をモニターしてましたの」
え、それはどういう意味でしょうか。聞くのが怖いんだけど。
「殿下が寝室にお入りになって、すぐに始まったと報告が入りましたよ。殿下がクララ様の名前を何度も呼んで、『可愛い』って言ってらしたのが、控えのメイドに確認されて。殿下が意外とせっかちなのには驚きましたが、とりあえずみんな、本当にホッとしましたわ。失敗したらクビが飛びますもの。ヘザー様、結構、鬼なんですよ」
はい?何が始まったって言ったの?
あの夜は、何もなかったよ。私、熟睡してたもん。
殿下はぐうすか寝ている私を、起こそうとしたんじゃないの?
普通に考えて、そうでしょ、絶対。殿下が寝込みを襲うなんて、ありえない。
でも、可愛いって、ナニそれ、うそでしょ?
「深夜頃の確認では、今度はお嬢様が何度も『殿下』とささやかれていて、さすがの担当メイドも三時間耐久レースには驚いたと。まあ、嬉し恥ずかし、初夜ですからねえ」
違う!それは私が目を覚ましたので、殿下を起こそうとしたの!
なんで、そういうタイミングで確認されるの?意味わからない。意図的?
「その報告で、やっとメイドたちは解散になりましたの。夜の護衛には、騎士がつきますしね。私もリアルタイムで報告を聞きましたが、なかなか想像しちゃって、寝付けなかったですよ。刺激が強すぎで」
やめてー!想像しないでー!
そんなこと聞いたら、私も眠れなくなるじゃないの!どんだけ恥ずかしいの。
もう、実家に帰って、引きこもりたい。
「で、これで終わりかなと思ってたら、起床の支度担当のメイドから、早朝に緊急連絡があったんですよ!」
ちょっと、もういいよ。その内容、聞くのも怖い。
「いつもの起床時間に寝室に入ったら、失神したクララさまの上に、全裸の殿下が覆いかぶさっていたと!まさかの九時間ですよ。殿下の絶倫ぶりに、もうみんな絶句でした」
ない!それはない!それはそのメイドの妄想です!
きっと、朝が早くて、寝ぼけて夢を見たんですよ。だって、絶対にないから。ありえないから!
「さすがに殿下も恥ずかしかったのか、そこで打ち止めだったそうですけどね。裸にバスローブだけを羽織って、ベッドから出てこられたんですが、そのはだけたローブからのぞく胸板とか、乱れた髪を無造作に掻き上げる仕草とか、もう色気が凄まじかったと!お支度担当メイドは、報告しながら鼻血ブーで倒れたし、居間で控えていた別のメイドも、通りかかった殿下の姿を見て鼻血ブー。朝の定例ミーティングでも、話だけで鼻血ブー続出ですよ。おかげで、お掃除メイドがあっちこちで鼻血を拭くはめに。ほんっと、迷惑だって話でしたよ。私もちょっとブーしましたけど!」
なんか、これはもう私の話じゃないと思う。
絶対に、誰かの創作小説の内容だ!面白がって、事実を曲げてるやつがいる!そいつが犯人だ!黒幕だ!
「そんなこんなで、私たちメイドグループはやっと安心したんですよ。これで露頭に迷うことはなくなったと。立派にお役目を全うできましたからね!」
なんの役目だ。ヘザーは一体、どれだけ厳しく、メイドさんたちを管理しているんだ!
それにしても、露頭に迷うって。みなさん、それなりに身元がしっかりした娘さんたちなのに。
たしか、市街の商家からの行儀見習いが多いとか。
幼いときから、テキパキと家の商売のお手伝いをしていたんだろうなあ。じゃなきゃ、あんなにキビキビと機転を利かせて動けないよね。
私はそんなことを、ぼーっと考えていた。
なんというか、あまりの衝撃に、脳がそれ以外のことを考えることを拒否していたので。
そんな私にイラッとしたのか、マリエルは私の前にあったテーブルに、ダンっと両手を付いた。
その反動で、朝食のグラスからオレンジジュースがこぼれた。
恐る恐る見上げると、マリエルは怒りでうっすらと涙を浮かべていた。
「それなのに!それなのに!私たちがあんなに頑張ったのに!クララ様は何なんですか!血も涙もない!あんまりひどい仕打ちです!」
「あ、あのね、マリエル、ちょっと落ち着いて」
「なんでこれが落ち着いていられますか!ちゃんと説明してださい!」
「えーと、説明というのは、何の……」
「そんなの決まってます!殿下のプロポーズのことです!」
やっぱり、それだよね。うん、私もそれだと思ったよ。この流れだものね。
「なぜですか?理由を、ちゃんと、みんなが、分かるように、ここで、はっきり、説明してください!」
目に涙をためたまま、鼻息を荒くして詰め寄るマリエルに、私は転移魔法が使えたらよかったなあとぼんやり思ってしまっていた。
「聞いてます?なんで、殿下の、プロポーズを、断ったのか、と聞いているんです!」
どうしよう。逃げたい。