添い寝の理由
クララが王宮へ戻ってきたと聞いて、私は心底ホっとした。
実際、クララは療養中のヘザーに会いに行くと報告を受けていたし、ローランドと焼けぼっくいに火がつくようなことはないとは思っていた。
ただ、私を見限って、実家に帰ってしまうという可能性は十分あった。
今夜こそ。今夜こそ、クララときちんと話そう。
とにかく、恋愛にはコミュニケーションが大事だと、友人たちが言っていた。
もちろん、彼らは、その先にあるスキンシップが恋愛の最終目的だと語ってはいたが。
それはまあ、成り行きで到達できたら、幸運だと思おう。
そして、私はその日は鬼のごとく、仕事を片付けた。
わざわざ執務室でシャワーを浴びてから、やっと部屋に戻れたのは、午後九時を少し回ったくらいの時間だった。
この時間なら、クララが就寝するまでに、数時間は話ができる。
だが、そんな時間に私が戻るとは、誰も思わなかったのだろう。
ドアの外側にある召使いたちの控室から、若いメイドたちの雑談が聞こえた。
「王太子殿下は薄情ですわ。ずっとクララ様を放置して」
「見損ないましたよね。あんな広いベッドに、一人で寝させるなんて。お気の毒な」
「お部屋も殿下好みの寒色で寒々しいのに、あんな薄い夜着を着させて。鬼だわ」
「本当にそう。ご自分で温めてさしあげる気もないのにね」
「下着も同じよ。見せる必要がないなら、着心地のいいものにして差し上げたいのに」
「どう考えても寒いでしょ、あの格好じゃ。あの部屋は広すぎますもの」
どうやら、私のこの数週間のクララへの仕打ちに、メイドたちは心底腹を立てているようだ。
それはそうだろう。寝室に愛する女性を閉じ込めておいて、なんのケアもしていなかったのだ。
もはや、反論の余地もない。
それにしても、メイドたちはなぜクララを寒がらせたままにしているだろうか。温かい部屋や衣服を用意してくれればいいものを。
「今日はクララ様、泣いてらしたわ。殿下のせいね」
「お寂しいのよ。王宮には、ご家族もお友達もいらっしゃらないし」
「冬は誰かに抱きしめてもらわないと、鬱になってしまうのにね」
「そう。そうなのよ。人肌の暖かさって、本当に癒やしになるのよね」
「子供が添い寝を好むのは、まさにそれよ。情緒の安定のため」
「もう、ほぼ軟禁状態ですものね。情緒不安定になって当然だわ」
知らなかった。クララが寂しさのあまりに情緒不安定になっていたとは。
泣くほど精神がまいっていたのか。可愛そうなことをしてしまった。
彼女が安心できるなら、一晩中でも抱きしめてやりたい。私の抱擁で、癒やしてやることはできるだろうか。
私はメイドたちに気付かれないよう、音を立てずに部屋のドアを開けた。
あの会話を私が聞いていたと知ったら、メイドたちもいたたまれないだろう。
クララを思って言っていることだ。肝に銘じて、この件は不問に処そう。
そうして、私は後ろ手でそっとドアを閉めた。
後で分かったことなのだが、メイドたちは当然、私がもうすぐ部屋に戻ってくると、執務室から連絡うけていた。
私の部屋がいつも寒いわけでも、クララが精神不安定というわけでも、ましてや鬱というわけでもなかった。
全部が嘘ということではなかったが、正確な情報ではない。
つまり、彼らのあの会話は、私に聞かせるためだけに操作されたものだったのだ。
もちろん、彼らの完全なる善意が、なせる業なのだが。
まだ起きているものを思っていたが、クララはすでに寝室でぐっすりと眠っていた。
確かに、泣いた後のように瞼が少し赤くて、僅かに熱を持っていた。
メイドたちの言っていた通り、とても薄い寝間着に身を包んでいる。
ずいぶん名前を呼んでみたが、全く起きる気配がない。
ストレス過多だと、人は現実逃避のためによく眠ると聞いた。そういう状態なのかもしれない。
そっと頭を撫でていると、「殿下」と寝言を言うので、つい「クララ、可愛い」と本音を漏らしてしまった。
誰も聞いていないとはいえ、かなり照れる。
そうしていると、クララがちょっとだけ身震いをしたように見えた。寒いのかもしれない。
とにかく、これではだめだ。
クララは、寒くて、寂しくて、精神が不安定になっている。
だから、私が抱きしめて、その人肌の暖かさで安心させ、その心を癒やしてやらなくてはいけない。
それが愛するクララに、私が今してやれることだ。
私は強い使命感に駆られ、すぐにシャツを脱いで、上半身裸でベッドに入った。
人を温めるには全裸になるといいと聞いたが、さすがに下は脱がなくてもいいだろう。
雪山で遭難したわけでもない。ここは王宮の中なのだから。
それに、下半身に関しては色々な意味で、不具合なことが生じてしまう可能性もある。
そんなことになったら、目が覚めたクララが驚くかもしれないし、今後の関係に支障がでるかもしれない。
それだけは、避けなくてはいけない。クララに嫌われたら立ち直れない。
私はぐっすり眠るクララを、背中から抱きすくめた。
メイドたちが言うように、着ている夜着は布地が薄く、生身の体の柔らかさだけが感じられる。
髪や首筋からはいい匂いがするし、密着した体からクララの熱が伝わる。
確かに、その肌の温かさは、私の癒やしにもなった。だが、どちらかというと興奮というか、苦悩というか、そういう感覚のほうが強かった。
それでも、クララを悲しませた罰として、私はこの煩悩との戦いに打ち勝たねばならない。
しっかりしろ、こんなことで挫けるな。東洋の『禅』なるものの精神を見倣うのだ。
しばらくはきつかったが、やがて私も眠りに落ちた。
ここ数週間、まともな時間にベッドに入れたことなどなかった。
いつも仕事に追われていたし、考えることがありすぎて、仮眠を取っていても脳は目覚めていた。
だが、今はクララのことしか感じられない。それは、紛れもない癒やしだった。
そうして、私はそのままぐっすり眠り、いつもの癖なのか、かなり早朝に目覚めてしまった。
私の腕の中で、すやすやと眠るクララの寝顔を見たとき、私はようやく、人としての幸福を手に入れたと思った。
ベッドで上半身を起こし、私はしばらくの間、クララの寝顔を見つめていた。
すると、その真っ白い首筋に私の印を刻みたいという欲求に、抵抗できなくなった。
クララの上に覆いかぶさるようにして、その首筋にキスマークをつけていた姿を、朝の支度をしようと入室してきたメイドに、ばっちり見られてしまった。
メイドは「失礼しました!」と、急いで出ていこうとしたが、私はそれを遮った。
あんな場面を見られてしまい、気恥ずかしさもあったので、クララが起きるまで政務に戻ると言った。
「クララは疲れているから。好きなだけ寝かせてやってくれ」
「承知いたしました」
メイドは、顔が真っ赤になっていた。
そういえば、忘れていたが私はまだ上半身裸だった。メイドとはいえ若い女性に、目の毒になるものを晒すのはよくない。
私はベッドから出る前に、そばにあったバスローブを羽織った。
「クララが起きたら、執務室に連絡をしてくれ」
「はい。必ずお知らせいたします」
私は安心してメイドに後を託し、別室で手早く身支度をして、すぐに私室を出た。
気持ちがいい朝だった。
まずはバラ園で薔薇を摘んでこよう。クララには白い薔薇が似合う。
そして、一緒に朝食を取って、すぐにプロポーズをしよう。
今日からは王太子の婚約者として、いつも傍らにいてもらい、共に食事をとり一緒に眠る。
そんな普通の生活ができる。
私はそんなことを考えて、気分を高揚させていた。
思えば、あのときが私の幸せの絶頂だったのだと思う。まさに頭の中がお花畑状態で。
まさか、その数時間後に人生のどん底に突き落とされれることになるとは、夢にも思っていなかった。
私は完全に、甘かったのだった。