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カイロ

作者: 嘉多野光

 次回の大会のレギュラーメンバーが、さっき顧問の石井先生から発表された。そうなるだろうなとは思っていたけど、後藤くんは除外された。とうとう三年間、後藤くんはベンチ入りも果たせなかった。

 私の通う森高校はバレーボールが強く、全国大会やインターハイ出場常連校である。そういう高校には無論、全国から選りすぐりの選手が集まる。

 その中で後藤くんは、私と同じ地元から進学した珍しいタイプの部員だ。私はマネージャーなので地元かどうかは特に関係ないが、後藤くんは森高校の戦績の素晴らしさに憧れて入部したのだと思う。しかし、後藤くんは、私の目で見てもはっきり言って平々凡々な選手だった。だからベンチ入りすらできなかった。とはいえ、部員数がそもそも多すぎるから、三年間ベンチ入りできない学生も珍しくはない。仕方のないことだった。

 しかし、私は三年間、いや中学生のときから、後藤くんがバレーボールを自分なりに努力しているところを見てきた。最初に見かけたのは、バトミントン部だった私が体育館で練習しているときに、ネットで区切られた反対側でレシーブの練習をしている姿だった。他の子は大柄だったり背が高かったのに、後藤くんはあまり背が高くなかったこともあり、かなり練習がつらそうだった。そんなにつらそうなんじゃ近いうちに辞めるかなあと思っていたが、意外と彼は中学三年間では辞めなかった。

 高校が一緒だったのはたまたまだった。森高は地元でもかなり大きい部類のマンモス校で、一学年十クラス以上もある。だから、何もなかったら一緒の高校に進学していたことにすら気付かなかったかもしれない。しかし、たまたま私たちは一年生で同じクラスになった。初めて一緒のクラスになった彼は、クラスの中でさえも適度に明るく適度に暗い平々凡々な存在だったが、何となく私は彼を応援したくなった。それで、バレーボール部のマネージャーになることにした。なお、私は面食いなので彼のことは断じて好きではない。

 断続的に六年間も後藤くんを観察してきた結果から考えると、後藤君はあまり感情の起伏が大きくない方だ。だから、きっとベンチ入りできなかったことも淡々と受け入れるのだろうと思っていた。

 しかし、男子更衣室の前を通ったときに「畜生!」という叫び声が聞こえた。あの声は確かに後藤くんだった。私は後藤くんが部活の声かけ以外で大きな声を出しているのをそれまで聞いたことがなかったので、心底驚いた。授業で教科書を朗読するのだって、滑舌が悪くて声色もあまり通るタイプではないから、あんなに聞き取りづらいのに。どうやら彼なりに悔しがっているらしかった。

 私は彼を元気づけたくなった。そこで、コンビニに走ってカイロを買った。

 ハートカイロ。あまりお金を持ち合わせていなかったので、ミニを買った。普通のカイロとしても使用可能だが、主な効能は心を温めること。手で握っていると心が自然と温まると言われている。私も、冬に嫌なことがあったときはたまに買う。今は夏前だから身体を温める必要はないけど、きっと後藤くんの心は真冬だろう。

 更衣室の方に急いで戻ると、ちょうど後藤くんたちをはじめとするレギュラー入りできなかったメンバーが帰るところだった。

「後藤くん」

 声を掛けると、後藤くんがぱっと私の方を振り返った。

「ああ、白石さん。お疲れ」後藤くんの挨拶はいつでもどこでも「お疲れ」である。

「あの……残念だったね」

「まあ仕方ないよ」

 今の後藤くんは吹っ切れているようだった。周りにいるみんなも大きく落ち込んだ様子ではなかった。それならカイロは要らないかもしれないと思ったが、わざわざ買ってきてしまったので渡すことにした。

「これ、よかったら使って」

「えっ」

「じゃあ」

 そろそろ予備校に行かないといけない時間だったので、私は荷物を持ってその場を後にした。後ろからヒューとかオイオイとか囃し立てる声がした。本当にそういうのはやめて欲しい。私はぱっちり二重の目がタイプなのだ。後藤くんのように一生一重のままのような一重は勘弁して欲しい。


 レギュラー入りメンバーは決まったが、夏の大会で敗退するまで部活は続く。私は、七月上旬の梅雨で肌寒いある日も、いつも通り練習後の雑用をしていた。

「白石さん」

 帳簿を確認していると、背後から声を掛けられた。後藤くんだった。

「あれ、後藤くん。帰ったんじゃないの」

「これから帰るところ。あの」

 後藤くんが私に何か差し出した。カイロだった。しかし私のあげたものとは違った。

「この前もらったお返し」

「いや、いいよ。もう七月だし」お前があげたのも冬じゃなかったよと自分でツッコみながら、これ、もらわないといけないのかなあと内心途方に暮れていた。

「まあいいから、もらってよ。今日、雨でちょっと寒いし」

 ペンを握ったままの私の右手の手元にカイロを置いた後、私の返事も聞かずにバタバタと後藤くんは走り去った。ドアの向こうから、またウェーイとかやるじゃんとか聞こえた。取り巻き、そこにいたんかい。


 確かに七月にしては肌寒いと思ってはいたが、嫌な予感がした私は、そのもらったカイロをすぐ使わずに、家に持ち帰った。勉強机の上で封を開け、商品名を隈無く探していると、見つけた。やはり「パートナーカイロ」だった。

 パートナーカイロはコンビニやスーパー、ドラッグストアでは売っていない、少し特殊なカイロだ。もらったのは私があげたのと同じミニサイズのものだが、一つ五百円ほどはするはずだ。

 このカイロは昨冬にバラエティショップで売られて話題になった商品だ。商品には、普通のカイロに入っているものと同じ砂と、特殊な燃料、それらを空気に触れないように封入できる不織布の袋が入っている。

 使い方としては、まず特殊な燃料で髪を燃やして炭にする。炭素化した髪を、砂と一緒に袋に入れて「カイロ」だと言って好きな人に渡すと、その人との関係を「温める」というのだ。勿論、普通のカイロと同じように手先を温めるし、しかもその袋というのが怪しまれないように普通のカイロと酷似しているので、私のようによほど疑い深い人でないとこうして気付けない。私はどちらかというと潔癖症な方なので、髪を他人に渡すという神経が信じられなかったのだが、まさかそれを渡される側になるとは思ってもみなかった。

 実はパートナーカイロのメカニズムは不透明だ。そのため効果も本当にあるのかどうか分からないが、効果があったという口コミがSNSで沢山散見され、話題になった。実際、たまたま好きな人にカイロをもらって付き合い始めたという人も何人かいるだろうし、世の中には挨拶されただけで相手を好きになる人もいるということだから、カイロをもらっただけで惚れる人もいるだろう。

 噂によれば、このカイロのメーカーである今井製作所の社長の血筋は古くは魔女の一家で、このカイロの製造方法は代々伝わる秘薬の一つなのだと言われている。尤も、秘薬の製造方法が他人に知れると明かした者は呪われるらしいから、社長はかなり賭けに出ているというか、死ぬ覚悟なのかもしれない。

 私はこのカイロの中に後藤くんの髪の毛が入っているのだと思うと気味が悪くなって、一応後藤くんに心の中で謝りながら、カイロをゴミ箱に捨てた。

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