2 契約
「ヤツカド様。ジュンヤです。こちらにいらっしゃると聞いて来たのですが」
「ジュンヤ? 遠慮せずにお入り」
執務室でとある報告書を見ていたところだった。ちょっと気になる内容なんだけど…これはジュンヤに関係してくるかも知れない。
「軍隊の方はどう?」
「休暇をいただいて来ましたが、ヤツカド様に相談したいことがあります」
「おや。何でも言ってごらん」
僕はジュンヤを応接用のソファに座らせた。
ジュンヤ。もうすっかり一人前の大人だな。
今はいくつくらいなんだろう。20歳くらいにはなったのかな? もうちょっと上? 人間の成長は早いね。がっしりとした体格で、僕と並ぶと僕の方が貧相に見えちゃうくらいだ。やはり軍隊経験はすごいな。
そうそう。それに『勇者』だからね。見るからに強そうだ。
胸筋の盛り上がりがすごいな…というか、これは女性だからか。
「ヤツカド様。ボクはもう10年ほど軍隊で災害対策や訓練などに勤しんできましたが、幸いと言いますか戦争のようなものは今のところ起きておりません。ヤツカド様や魔王様がボクらの社会を平和に保っていて下さっているからだと存じております」
ジュンヤは喋り方も軍人っぽくなったような気がするな。しっかりしてる。
「そうだね。軍にいる大切な魔物達。その命を無駄にするような無益な戦争は避ける方向で常に考えているよ」
強い軍隊は見せびらかすくらいでいいんだ。実際に戦って消耗させるのは勿体ない。
「軍隊では色々な技能を身に着けたつもりです。今ではボクを超えるだけの強さを持つ魔物は見受けられません」
「それはすごい」
うーん、恐るべし。『勇者』って本当にすごいんだな…。
「ボクは今ならヤツカド様のお力になれると思うんです。訓練ではなく実際にヤツカド様のお傍で貴方のために働きたいんです」
「おや。じゃあ八角法律事務所に来る?」
「いいんですか!?」
「君が来てくれるなら大歓迎だよ」
「行きたいです! ヤツカド様。ボクはあなたの力になるのがずっと夢だったんです」
・・・・・・。
僕はなぜ、今こんなことを考えているんだろうな。
ジュンヤはこの魔物社会で幸せに寿命を全うすればそれでいいと思っていたのに。
今僕の手元には、届いたばかりの魔法の研究開発報告書があった。
「ねえジュンヤ。『契約』に興味ないかな」
なぜこの話を持ち掛けようとしてしまったのか。
「『契約』ですか?」
「実はね。古い文献から発見した未知の魔法があってね。それは『契約』に関するものなんだ」
「どんな内容なんですか?」
本来この魔法は『人間と魔物』の契約に関するものだ。だけどジュンヤは『魔物』ということになっている。
そこのところは上手く誤魔化して説明しないといけない。何とか嘘をつかない範囲で。
「この契約を締結すると、力の強い魔物はその力の一部をもう一方に分け与えることが出来るんだよ。すると分け与えられた方は力を得るだけでなく強い魔物と同じだけの長い寿命を持つことが出来るんだ」
「へえ…。弱い方のメリットはつまり長生き出来ることと強くなれるってことですか?」
「そうだね」
サンドラーの協力で判明したこの魔法。これはそもそも人間が不老不死を求めて魔物と契約するという内容のものだった。その契約により不死とはいかないけど魔物と同じだけ長生き出来るんだってさ。
「じゃあ強い方の魔物のメリットは何ですか? それだと弱い方が一方的に得になってしまいますよね」
そこなんだ。
「弱い方は、強い魔物に従属する契約なんだ。その契約を締結すると強い魔物の命令に逆らうことは出来なくなるんだよ」
人間って不思議だなと思ったよ。不老不死が欲しくてこんな契約魔法を編み出してしまうんだから。そんなに不老不死が欲しいものかな? 自由な意思の方が何よりも大事だと僕は思うんだけどね。それを犠牲にしても死にたくないものかな。
「ヤツカド様は、なぜそんな契約の話をボクに?」
「さあ、なんでかな。いやいいんだ。ちょっと思いついただけなんだ忘れてくれていいよ」
本当になんでこんな話をしてしまったかな。
「ヤツカド様。ボクの寿命が短いから、そんな話をするんですか?」
「どうしてそう思う? 君の寿命の長さなんて分からないだろ」
魔物ならね。でも人間なら話は別なんだ。
「ボク、知ってるんです」
「なにかな?」
「ボクは人間なんでしょ?」
「ふふ。なぜそんなことを思うんだい?」
僕は笑った。僕は平気で嘘をつける。
今の会話を見返せば分かるだろうけど、僕は何一つ嘘をついていない。真実で作る嘘だから。
僕は今、とても危険な綱渡りをしている。
こんな話を出さなければ、お互いに何も知らないフリをしながら今までと同じ毎日を過ごすことが出来たのに。
ジュンヤは八角法律事務所で働き始め、僕はいつものように出張と事務所の出入りを繰り返す。そんな日々が続くはずだったのにね。
なぜそうしなかった?
「ここ数年、人間の世界の文献が翻訳されてこっちにも出回っています。読んでいて気が付きました。ボクは魔物じゃなくて人間だって。魔法を使えるタイプの人間もいるもんなんです」
「へえ、ジュンヤは本当に文武両道だね。そんな文献にまで目を通しているなんて」
「ヤツカド様のお力になるためには知識も大事だと思っているので」
「で?」
「つい最近なんですがバケットを問い詰めたんですよ。そうしたら話してくれました」
バケットのヤツ…。
あいつじゃあ嘘はつきとおせないのも仕方ないか。ジュンヤも分かっててバケットを問い詰めたんだろうな。やるなぁ。
「ヤツカド様、おっしゃって下さい。本当のこと」
・・・・。
ジュンヤは騙されたことを知ってどうするだろう。僕たちの敵に回るだろうか。
こんなリスクを、なぜ僕は冒してしまったのか。
今僕が取るべき行動は…。僕の回答は…。
「君は、確かに人間だよ」
正直に話すことだと思う。
嘘はね、引き際が大事なんだ。嘘に嘘を重ねるのはかえって信頼を害する。
「やっぱり」
「ジュンヤ。君はそれを聞いてどうする?」
平静を装っているけど、内心は警戒心でいっぱいだった。
場合によってはこの場でジュンヤを処分しなくちゃいけない。
「いえ、そうじゃないかとは思ってましたし特には。バケットから聞いていますから」
「何を聞いているんだい?」
「ボクは赤ん坊のうちに人間に捨てられて殺されるはずだったそうですね。森の中に置き去りにされて獣にでも食い殺される運命だった。でもボクを憐れんでバケットが拾って育ててくれた。ヤツカド様は僕の存在を知ったとき、ボクが人間だと知られたら追放されてしまうからと魔物として育てることをバケットに提案して下さったと」
まあ、間違ってはいないな。
「だから、バケットもヤツカド様もボクのことを救ってくれた大切な方達なんです。ボクはその恩を返したい」
僕は薄々気が付いていた。ジュンヤが自分が人間だと知っていることを。
子どものうちならともかく、こんなにも賢く立派に育ったこの子が気が付かないわけがないんだ。だから僕はこんな賭けに出たんだろうな。
「ボクが自分が人間だって知って一番ショックだったのは、ボクがあと数十年しか生きられないって分かったからなんです。頑張って自分を鍛えても、バケットよりもヤツカド様よりもずっと先に死んでしまう。早く恩をお返ししたいのに、こんな短い時間で何が出来るだろうって。だから…」
だから
「とにかく急いでご恩返しするために今日ここに来ました。でも、さっきの『契約』の話?それを聞いて…。もしも出来るならボクはヤツカド様と契約したいです。だけど…」
「なにかな?」
「ヤツカド様にメリットってないですよね?」
「ええと、ジュンヤ…。さっきの話ちゃんと聞いてたよね? 魔物に従属しちゃうんだよ? 命令に服従することになるんだよ?」
「そこは別に問題ないかと思います。だってボク、とっくにヤツカド様のものじゃないですか」
あれ?
「今更ですよ。ボクはとっくにヤツカド様のものだし、ずっとそうです。ヤツカド様だってそうおっしゃったじゃないですか」
「うん、まあ、言ったね」
僕のものになりたいというから、そんな必要はないという文脈で。
「それってボクがヤツカド様に従属してるってことでしょ? それにヤツカド様の命令であれば当然服従しますし」
「いやでも、やはり自由意思というのは大事にしないと…」
僕は何を言ってるんだろ。
「むしろヤツカド様の方にメリットがないんですよ。ボクに力とか寿命を分け与えるだけなんだから。そうじゃありませんか?」
「あー、いや。僕には十分過ぎるメリットがあるんだ。ジュンヤは自分を過小評価しているよ」
「そうですか?」
「そうだよ。前にも言ったけど、君が幸せに生きていてくれるだけで僕は十分なんだ。もしも君がいなくなったら、多分僕は…寂しいよ」
ちょっと自分でも信じられない。
この僕が魔王様以外の存在にそんなにも影響を受けてしまうなんて。
いなくなったら寂しいと思うなんて。
不思議だな。単なる便利な手駒だと思っていたのに。
「本当にヤツカド様にとってもメリットがあると思って下さるなら、ボクとその『契約』を締結して下さい。ボクは最後まであなたの剣となり盾となり、あなたをお護りしたいんです」
・・・・・・・・
「あのさジュンヤ。今後は君に法律事務所で働いてもらうわけだから少し指導させてもらうけど、契約と言うのはあんまり軽々しく締結しちゃいけないんだよ。内容を吟味し条項をしっかり確認した上で自分の責任を持てる範囲で締結しなければダメなんだ」
「はい」
「だからまあ、熟慮期間を設けようね。もっとちゃんと契約内容を確認して、冷静になってよく考えた上で契約を締結することをお勧めするよ」
「わ、分かりました」
今更だけど、ジュンヤは寿命まで生かしておけばいいと思っていたのに。
その先も長く付き合わせてしまうことになるなんて。本当にいいんだろうか。
…ま、いいか。
僕も君には長く生きて欲しいと思ってるからね。
かわいいジュンヤ。
もしも君がこの契約から逃れたくなったなら、ちゃんと逃げられるように契約を整えてあげようね。僕は契約書を作る専門家だから、なんとかなると思うんだ。
この僕がこんなことを考えるなんて。
やっぱり『勇者』って、ものすごく恐ろしい存在なんじゃないかな。




