1 二重生活始めました
新章です。実質最終章です。
ラストまであと少しお付き合いいただければ幸いです。
「しっかりして下さい、大丈夫ですか?」
夜の密林の中、僕は目の前で倒れている若い男に声を掛けた。
「う…うう…。ここは…、君は…?」
「良かった。気が付いたみたいですね。お水飲みます?」
「あ、ありがとう…」
水筒を渡すと、彼は勢いよく水を飲んだ。
「なぜ、私はここにいるんだ…覚えていない…」
「落ち着いたら思い出しますよ。僕は倒れているあなたを偶然見つけたんです。特にケガはないようですね」
「ああ…。申し遅れてすまないね。私はサージェルと言う」
知ってる。
「どうも。僕はヤツカドと言います。どこへ向かっていたんですか?」
「それは…まあ、ちょっとな」
そうですか。でも知ってますけどね。あなたが何をしようとしていて、どこに向かおうとしていたのか。
だって、わざわざあなたを選んで浚って身柄を拘束し、鬼眼と毒針で情報を聞き出してその際の記憶を消させていただいたのは他でもない僕ですから。
全部知っていますよ。あなたの目的も、弱みも、仲間の話も。全部。
「僕はちょっと遠い国から来た、まあ特使みたいな者です。『スタキオ国』の国王にご提案がありましてね」
僕は釣り糸を垂らす。簡単な獲物だね。望んでいるものが分かっているんだから。
「ほう…? 幸い私の向かう方向も一緒だ。よかったら途中まで一緒に行かないか? 少し動きづらいので肩を借りられるとありがたい」
「こちらも助かります。道が分かりづらかったので」
ほらね。食いついてきた。
これからあなたは僕の情報を引き出そうとする。そしてその情報を聞き、僕を取り込もうとするだろうね。
「ところで、ヤツカド殿だったな?」
「そうですサージェルさん」
「…どこかで会ったことがなかったか?」
「初対面だと思いますよ。僕は最近このあたりに来たばかりですから」
完全に記憶が消えてるわけじゃないのかもな。注意しよう。
ちょっとね、利用する形になっちゃってますけど。
でも、ホント悪いようにはしませんから。サージェルさん。
僕はあなたの願いを叶えることが出来ますよ。
僕らの利害は一致しているんです。
これからしばらくの間、よろしくお願いしますね。
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「ふー。ちょっと留守にするとすぐに仕事がたまっちゃうな」
「お疲れ、ヤツカド。はいお茶どうぞ」
八角法律事務所の自分のデスクで、僕は書類に目を通しながらクイの入れたお茶を飲んだ。
やっぱりここは落ち着くな。
「クイのお茶を飲むのも久しぶりだな。そういう作業は他のスタッフに任せてるんだろ」
「まあな。でもヤツカドのお茶だからオレが入れてやりたかったんだ」
僕が丹精込めて育て上げた優秀なパラリーガル。
魔物社会の法律に精通し、リーガルマインドも身につけている。情報収集能力や文書作成能力にも優れ、僕の留守中も立派に事務所を運営していた。
誠実で忠実な僕のかわいい手駒。
今の二重生活も、クイがここまで育ったから可能になったんだ。
「最近、出張ばかりで留守がちですまないね」
僕の居場所はここ。
なのに最近は二重生活のせいでなかなか事務所に出られない。
「気にすんなよ。ヤツカドは頑張ってるからな。毎日のように【テレカン】で打ち合わせの時間を設けてくれてるし、こうやってマメに戻ってきてる」
「まあね。魔王様の顧問弁護士たるもの、こっちの仕事を疎かにするわけにはいかないから」
「で? 人間の社会はどう?」
「順調だよ」
最近僕は人間の社会に出入りしている。得意の嘘とハッタリでそれなりの地位も人脈も築いているよ。
人間に囲まれているから昔を思い出す。人間だった頃のこと。
権謀術数に満ちた欲望渦巻く人間社会。
そこで他人を押し退け上を目指す。
もともとそういうの嫌いじゃなかった。僕が虎ノ門にオフィスを構えるまでにも色々あったけど、楽しいよね。
でも今の僕の目的は立身出世じゃない。
「あっちでは全くリラックス出来なくてさ。自由に八足の姿に戻って足を伸ばすわけにもいかないから」
こっちにいるときと違って、ポンポン姿を変えられないのは不自由だ。
化け直すためには一旦八足の姿に戻らなくちゃいけないから、うかつに姿を崩すわけにもいかないし。
「そっか。でも寛いでるときに悪ぃけど、もうじき客が来るぞ。ヤツカドが今日戻ることを知ってわざわざ顔出しに来るみたいだ」
「誰?」
「ジュンヤだよ」
ああ。人間の『勇者』のジュンヤ。
学校には慣れたかな。それなりに顔を出していたつもりだけど、なにせ僕も多忙過ぎていけない。しっかり懐柔しておかなくちゃいけないのに。
「クイはジュンヤをどう思う?」
昔のクイは『人間』を嫌っていたようだったけど
「そうだな。あいつはいい魔物だと思うぜ」
ジュンヤが人間と知った上でそう言うんだから、好意的なんだろう。
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「ヤツカド様! ご無沙汰しております」
執務室でジュンヤを迎えて、ちょっと驚いた。
「ジュンヤ? 大きくなったなぁ。いまいくつだったっけ」
「10くらいです」
「そうか。どうも僕は時間の感覚が薄くて…。で、どうかな。元気でやってる?」
学校に通い始めてから3年くらいか。
少し女の子らしい体格になってきたような気がする。
「すっごく元気です! で、あの。ヤツカド様、ボクちょっと相談があって…」
「なんだい? 言ってごらん」
「魔法研究所の人が言うにはボクには攻撃魔法の才能があるって。体力もあるから軍隊の人から勧誘されてて」
「へえ、すごいじゃないか」
さすが『勇者』ってことか。やっぱり戦闘能力が高いようだ。
「でもボク、学校で勉強頑張ったんです。八角法律事務所に入りたかったから」
「それは偉い。文武両道だね」
「どうしようか迷ってて…」
迷っているということは、両方に魅力を感じているということ。
「ボク、正直、身体を動かすのが好きで…軍隊行きたいんですけど…」
「うん。僕に遠慮することはないよ。ジュンヤが望む進路を選んでいいんだ」
「で、でも、ボクも八角法律事務所のスタッフの方たちみたいに、ヤツカド様に撫でて褒められたいんです…!」
ジュンヤ…。君、ほんとに魔物っぽくなったもんだね。
撫でて褒められたいとか…。いいんだけどさ…。
「君はまだ若いから、色々な経験をすることは良いことだと思うよ。なんなら軍隊に行って訓練を積んだ後でうちの法律事務所に来てくれてもいいんだし」
「え? そんなこと出来るんですか?」
「そりゃあ出来るさ。それに僕は見ての通り全く武闘派じゃないからね。軍隊経験のあるスタッフが来てくれたら頼もしいかも」
知っての通り、僕は粗暴な行為が好きじゃないんだ。
「じゃあ、じゃあ、ボクが軍隊に行って強くなったらヤツカド様のことお護り出来ますか?」
「僕というよりは魔王様をお護りして欲しいんだけどね」
「魔王様をお護りするヤツカド様を護りたいです」
「別にそれでもいいけど」
「分かりました。ボク、軍隊に行きます。それで訓練を積んで一人前になったら八角法律事務所に来たいです。それまでは撫でてもらうのガマンします」
「そんなガマンするようなことじゃ…。おいでジュンヤ」
僕はジュンヤを側に寄せ、頭を撫でた。なでなで。
ジュンヤが嬉しそうだ。
こうして見るとホントに魔物そのものだな。実は魔物だったんじゃないか?
「他のスタッフには内緒な? また撫でてくれって来ちゃうから」
「分かりました! ヤツカド様! ボク、ヤツカド様のこと大好きです!」
「ありがとう。かわいいジュンヤ」
本当にジュンヤはかわいいな。
君がモデルケースとして立派な成果を上げてくれれば、今後『勇者』の人材はみんな魔物の世界に取り込む方向で進めることが出来るよ。
それは結果として魔王様に対する脅威がぐっと低くなる。
君がこの魔物の世界で幸せなまま生涯を終えてくれるならそれだけでも十分な成果なんだよ。
それなのに、僕を護りたいだなんて。
こっちもまた、なんという素晴らしい手駒なんだろう。
かわいいかわいい僕の手駒。
こうして僕の二重生活の日々が流れていく。
魔王様とは、諮問機関のいる謁見の間でお目にかかるだけ…。
だけど、魔王様の美しい金色の瞳を見ることが出来るなら、僕は構わない。
今はね。
それにしても魔王城にいるとひっきりなしに来客が来ちゃって、なかなか事務仕事が捗らない!
もういっそ、かなり大胆にクイに任せてしまうか。
クイは明日から弁護士な。
それでサブリーダーはケルルに任せよう。
もうそれでいいや。
読んで下さってありがとうございます。
ブクマも評価も感想もむちゃくちゃ嬉しい…。
あと少しで完結ですが今からでもゼヒ…




