6 刺身の次はビーフをいただきました
顧問契約の提案をしてから、また数日が経った。
といっても牢の中にいる身では正確な時間の経過なんて分からないけど。
あの後、女は僕をここに置いて無言で去ってしまった。
餌は撒いた。
食いついてくる自信はあるんだけど……。
怪物の姿のまま待たされるのは辛いな。
とにかく退屈だったので、牢の中で壁を崩してみた。
周囲の壁も扉の両端も。
けれどいくら崩しても外に貫通してくれない。
牢屋が広くなっただけだ。
扉は金属のような作りで、これは叩いても壊れない。
扉の両端に穴を開ければ出られるかと思ったものの、扉は両端に長く伸びているようで、いくら壁を崩しても扉の端に当たらない。
このままずっと、この怪物の姿のままなのかな…。
いや諦めない。
あの女が僕を戻すことが出来るのは確かなんだから。
それにしてもそろそろ腹が減ってきたな…。
魚を食ってからかなり時間が経ってると思うので、腹持ちは良いようだけど。
それでも。
今度は何が食べたいかな。
そうだな。肉だな。
ビーフステーキがいい。分厚いヤツ。
僕は真っ赤なレアが好きだ。
「餌を持ってきてやったぞ」
また声が聞こえた。例の女だ。
なぜこの女は全く気配を感じさせることなく現れるんだろう。
そう思いつつ声のする方向を見ると……。
また変なものを持ってきている。
なにそれ。獣?
牛に似てる気がするけど。
ビーフステーキが食いたいと思ってたから牛に似てると思ってしまうのかも知れない。
女は軽々とその獣を僕の方に投げてきた。
大きさは多分牛くらい。ちょっと形は牛とは違うけど。
爪の先でつついてみるとピクリと動いた。まだ生きている。
「これをどうしろと……」
多分、これを食べろと言うんだろうけど…。
いくら何でも牛(暫定)を生で食べるというのはどうだろう。
しかし腹は減っている……。
よし、こんなときこそ冷静に分析的に考えるんだ。
僕は日本人だ。
日本人と言えば馬刺し。
馬の肉を生で食う食習慣のある民族だ。
つまり肉を生で食べることは特段変わったことではない。
皮を剥いだり細かく切ったりすることは肉の本質ではない。
つまり!食える!!
ということで、僕はその牛(暫定)を両手でつかみ上げ、口の中に入れてみた。
もぐもぐもぐ……
皮にはなかなか旨味がある。
血のしたたったレア肉はやはり美味い。
そして新鮮だ……。
しかも骨付き肉だなんて豪勢だな。
骨まで食べれる。
ポリポリする触感がいいな。
カルシウムになりそうだ。
ヒズメや角、目玉やその他いろいろな部位がついていたようだが、今の自分には小さいものだし特に違和感ない。
消化液で溶かしながら骨まで食べるビーフはなかなか美味いじゃないか。
塩味がないから食べにくいかとも思ったが、肉そのものの味が染みわたる。
悪くない。
全部余さず食べてしまった。
口の中で消化液を分泌するのって、意外に便利かも。
「ごちそうさまでした」
わりと満足しました。
「落ち着いたところで、話がある」
「どうぞ」
「お前が前に言っていたことについて考えてみた」
出来れば今度こそ、僕は糸口を見つけたい。この交渉で。
「別の世界の記憶があると言っていたな?」
「ええ」
「そんな話は信じがたいが、お前の言うことは確かに生まれたばかりの生き物とは違う。『なりたい姿』もあまりに明確に具体的だった」
女から見れば、異世界転生なんてものは非現実的なのだろう。
僕から見ればこの世界そのものが非現実的だからお互い様。
「もっと驚くような話も出来ますよ」
僕はゆったりと微笑んだ……つもりだったが、この怪物の姿で表情が出てるかな?
「僕こそが、あなたに必要なものです。だからこの世界に呼ばれたんですよ」
ハッタリ。
けれど交渉にはハッタリは必要だ。
嘘をつくことなく広い言い回しで相手の興味と関心を引く。
どうせこのへんのことは誰にも本当のことは分からない。
僕のハッタリもそうそうバレないだろ。
「僕の話を聞きたくありませんか?」
女が僕を見つめる。
吸い込まれるような金色の瞳。
以前もそうだったが、この瞳に見つめられると不思議と意識が逸れるような感覚がある。気を付けないと。
そういえば、逆に僕の瞳は相手にどう映っているんだろう。
5つの赤い目。
「よかろう。話してみるがいい」
女はそう言った。
ここで焦って会話の主導権を渡してはいけない。
自分の持てるカードは有効に活用しなくては。
「こんな殺風景な牢獄ではなく、もっと落ち着いて話せる場所にいきませんか?」
まずは牢屋から出なくては。
「……そうだな」
女が同意する。
「それに、あなたと話すのにこの巨体では不自由です。以前の姿に戻していただきたい」
「……それもそうか」
やった!ついに!
内心会心の笑みを浮かべたが、それを表情には一切出さない。
底を知られてはならない。
女は僕の手に触れた。
以前感じたあの感覚を感じる。凍えるように冷たい……。
知らずに目を閉じていたようで、再び開くとまた目の前に女の姿があった。
「あ、戻った!!」
僕の姿は再び人間の姿に戻っていた。
声も出る。
怪物の姿が長かったよ……。
「忘れるな。必要があるというから変えてやったが、口からの出まかせであればすぐにでも元の姿に戻ってもらうからな」
戻されてたまるか。
「それと」
ん?
「おまえの本質はさきほどの姿だ。日の光に晒されたり、極度のストレスや危機があれば簡単にまた戻るからな」
そんなに簡単に戻ってしまうの?
すると逃げてもまた戻ってくる羽目になりそうだ。
何とかこの姿で定着するようにしなければダメだな。
それに……
「日の光……?」
洞窟から外に出たときに、刺されるような激しい光線を感じたけど、あれは日の光だったということだろうか。
僕はもうお天道様の下にもいられないってことだろうか。まさか。
あれはやはりなんかヤバい光線だったんじゃないの?
「私たちは混沌から生まれたものだから光に弱い。逆に暗いところはよく見える。この場所も暗くはないだろう?」
「ここ……? 特に照明もないのになぜか明るいなとは思ってたけど…」
この場所は、暗闇なのか?
「ここはほとんど光の入らない地下世界。我々が生きるには適した場所だ。人間などは明かりがなければここでは行動出来ないから安全だ」
人間?って言った。確かに。今。
この世界には『人間』がいるんだ。
『人間はここでは行動出来ないから安全』ということは、戦争で戦っている相手は『人間』ということなんだろうか。
僕は女の問題を解決するためにこの姿に変えさせた。
ハッタリがバレないようにするために女の油断を誘って情報を得なければならない。
今はとにかく女に何か喋らせよう。
牢屋の扉が再び開き、女に連れられて外に出た。
そこには鍾乳洞のような作りの大きな空間が広がっている。
僕は自分が今までいた牢屋を振り返った。
なるほどね。
いくら中を壊しても壁を貫通しないわけだ…。
そもそも壁なんてなかった。
山のように聳える地形の中をくりぬいて作った牢獄だったんだ。
「ここ一帯は私たちの世界。多くの仲間が生活している。これから会うことになるだろう」
眼前にことさら巨大な鍾乳洞の城がそびえ立っていた。
洞窟の中に城があるんだ。
「ここが我が住処だ」
女はどうやらお城に住んでいるらしい。