1 最後の引き金
法律の公布も無事に済み、四天王は各々のコミュニティに帰っていった。
そして今日も僕は顧問弁護士として忙しい。
いつも通りの日常。
だけど、この日常は嵐の前の静けさにも思えた。
「はいっ、ヤツカド。
お茶どーぞ!」
クイが執務中の僕にお茶を出す。
お茶菓子の開発とともに来客の際に客に茶を出すことを最近クイに仕込んでいる。
クイもノリノリでお茶を入れるようになった。
「ありがとうな。
本当にクイは気が利くなぁ」
「へへっ」
すかさず礼を言い褒める。
これがパラリーガルとの良い関係を保つ単純にして重要なことだ。
「かなり法律事務所らしい雰囲気になってきたけど、そうだな。あとは…」
あとはクイの服装だな。
やはりパラリーガルらしい、華やかで品のある服を着て欲しいな。
クイが今身にまとっている動物の皮で作った服……とも言えない格好は、野生児過ぎる…。
魔物社会では別におかしなものではないんだけど、虎ノ門の高層ビルに法律事務所を構えていた僕としては、もっとスタイリッシュな雰囲気が欲しい。
「服を仕立てるのは一苦労だな…」
それらしい格好にクイが化けてくれれば服をわざわざ仕立てなくてもいいんだけど、見本もなしに化けろというのはさすがに無理がある。
やはり一着くらいはなんとか用意するしかないか。
服装と言えば魔王様も…
そうだよ。恐れ多くも魔王様なんだぞ。
なんでいつまでもあんな粗末なローブを着込んでいるんだ。
魔王様に相応しい美しい仕立物を用意するべきだろ。
魔王様の美しさが引き立つような…
「あっつ…」
僕は危うく湯飲みを落とすところだった。
「どうしたヤツカド。お茶が熱かったか?」
すぐに気が付いたクイが僕の手から湯飲みを受け取った。
茶が熱かったわけじゃない。
今の僕は温度に関しては耐性があるようで、この程度のお茶の熱なんてぬるま湯程度の熱も感じない。
そうじゃなくて…
「うーん…。最近、ときどき胸が痛むんだよ…」
胸がとても痛む。
特に魔王様のことを考えたり、お姿を目にしたときに酷い。
最初は気のせいかとも思っていたけど、日に日に痛みが酷くなっている。ちょっと無視出来ないレベルになってきた。
まさか病気じゃないだろうな…。
「だいじょぶか? 働き過ぎなんじゃないのか?
少し休めよ。そうだメシ食いに行かねぇか?
ヤツカドの狩りに付き合うぜ?」
「いや、そういうわけにはいかないよ。
今日は後で魔王様のところに行かないと」
「そか、今日はレクチャーやる日か」
「そういうこと」
最近僕は2日置きに魔王様の執務室に行き法教育を施させていただいている。
それが終わってからは、お楽しみの時間……。
誰にも内緒の甘いひと時が待っている。
毎回キスのたびに無様にぶっ倒れる僕だけど、今日こそは持ちこたえてみせる。
あ。ひょっとして!
僕の胸が痛いのはコレのせいかな。
魔王様とのキスに浮かれて気にしなかっただけで、思った以上に僕の生命が削れ過ぎてるのかも……。
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さて本日の法教育。
デスクに向かう魔王様と迂闊に目を合わせないよう注意しながらレクチャーを始めた。
最近僕の胸の痛みが酷過ぎて、魔王様と距離を置かないと仕事にならない。
本当はもっとお傍でその麗しいご尊顔を仰ぎたいけど……。
「僕が初めてこの城に来た日、魔王様が魔物のケンカの仲裁に奔走しておられたのを覚えていますか?」
魔王様は魔物のケンカの騒動に駆け付けるため、僕をマルテルに預けて城から出て行ってしまったんだっけ。
今となっては懐かしい。
あの頃は僕はまだ魔王様のことを何とも思っていなかった。
『変な女だ。この女の弱みを握って手玉に取ってやろう』なんて、そんなことを考えていた。
「ああ、もちろん覚えているよ」
魔王様も僕と会った頃のことを思い出して下さっているかな。
あのときは知らなかったけど、魔王様は僕が生まれるのを楽しみに待っていて下さったと聞いている。
生まれる前からそんなに期待されていたなんて。
僕はそのご期待に応えたい。
「裁判は大きく分けて『刑事裁判』と『民事裁判』の2種類あります。
以前作った法律は基本的には刑事裁判のための法律です。
刑事裁判と言うのは司法が違反者に刑罰を科すものです」
「魔物殺しや鬼眼の禁止に違反した場合に処罰するのが『刑事裁判』ということだな」
「そうです。これに対して『民事裁判』というのは、例えば魔物同士のケンカがあった場合に双方の言い分を聞いて解決する手続です。
あの日、魔王様が行ったのはこちらの仕事ですね。
魔王様はどう解決なさったのですか?」
「両者とも軽くしつけて、もう争わないと誓わせた」
拳にものを言わせるヤツかあ…。
魔王様らしいといえばらしいな。
「喧嘩両成敗も結構ですけど、言い分を聞いてやらないと不満が募りますよ。その小さな綻びが社会を滅ぼしかねません」
「ではどうやって解決するんだ?」
「そうですね。色々なやり方がありますけど」
現代日本において行われている民事裁判の解決の方法はシンプルだ。
双方の主張を整理し
『損害を与えた側に金を払わせる』これに尽きる。
しかし魔物社会はまだ通貨がない。
そうなれば解決手段は柔軟に行う必要があるだろう。
「言い分を聞いて、一方又は双方に謝罪させるなり、労務や食料を提供させるなり、いろいろやり方はあると思います。問題は…」
問題は、民事事件は事件数が非常に多くなりがちということだ。
刑事事件は処罰に値するような重大な事件だけを取り扱う。
それに比べ、民事事件は日常的な魔物同士の言い争いやいざこざ、それが全部範囲に含まれてくる。
話が噛み合わず対立当事者だけで解決が出来なくなった場合に、その解決を求めてくるのだ。
事件が民事事件にまで広がってくれば、とても魔王様一人の裁きでは足りない。
裁判所や裁判官となる人材が必要となるだろう。
「課題は多いな」
魔王様がそうおっしゃるのも無理はない。
「そうですね。でも焦ることはありません。
ひとつひとつ着実に進めて参りましょう。
僕が全力で魔王様をお支え致しますから」
「ああ。頼りにしている」
魔王様の信頼が嬉しい。
ふと魔王様の表情を見ると、魔王様も僕を見ていた。
その瞳に『欲』が宿ったのを感じた。
食欲だ。魔王様が僕を欲して下さっている。
勉強の時間は終わり。
どうぞ。
僕は瞼を閉じた。
これは僕の愛と忠誠の証。
魔王様がデスクの上に身を乗り出す気配を感じた。
次いで、魔王様の唇の感触。
甘く痺れるような香り。
僕の生命が一瞬で根こそぎ抜き取られる。
強い快楽と共に…。
「……は、はあ、はぁ、ふう……」
僕は耐えた。倒れなかった。
一瞬意識を手放しそうになった上、足の力がほとんど入らない。
それでも何とか片膝をついてバランスを取る。
やった…!
魔王様が驚きの表情で僕を見ている。
どうですか!?
僕、やっぱり成長してますよ。
「大丈夫なのか?」
魔王様が僕をのぞき込む。
「え…ええ、大丈夫です」
声もなんとか出る。
よし!すごいぞ僕。
「……僕は、絶対にもっと、強くなりますから……」
「ヤツカド……おまえは」
魔王様が困ったような笑顔を見せて下さった。
なんて愛おしいんだろう。
自分でも無意識だったけど、僕はこのときとても恐れ多いことを考えてしまった。
魔王様の、その美しい笑顔を
僕ひとりだけのものにしたい なんて……
それが多分、最後の引き金だったんだと思う。
読んで下さってありがとうございます。