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15 法律は公正でなければならない

「ヤツカドです。入っても宜しいでしょうか」


 ノックをし返事を待って僕は魔王様の執務室に入った。


 執務室は謁見の間ほど広くはない。

 魔王様にもプライベートな空間があった方が良いかと思って部屋を作ってもらい、僕の用意した調度品をバランス良く配置してある。

 我ながら良い仕事をした。


 部屋の中央には、ひときわ存在感を放つ魔王様のお姿がある。


 眩し過ぎて僕はまた顔を上げないまま、少し距離を置いて跪く。

 なんだか日に日に尊さが増している気がするんだけど。


「そういうのはいいから」


 魔王様が面倒くさそうに言う。


「そういうわけにはいきません。

 臣下としての礼儀ですから」


 僕が率先してへりくだることにより、周囲の魔物に対する魔王様の権威付けにもなる。

 法制度を推し進める上で、今は法の権威を高める時期。

 立法者であり法執行者である魔王様に、顧問弁護士である僕が礼を失するわけにはいかないだろう。


「確かに私は以前『敬意を払ってもらおう』と言ったが、ヤツカドは極端過ぎる。話しづらい」


 確かに、連絡を密にすべきクライアントと顧問弁護士との関係で『話しづらい』というのは問題ある。


「では、執務室では少しフラットに対応させていただきますね」


 そう言って僕は折っていた膝を伸ばし立ち上がった。


 僕は魔王様を直視できず、部屋の中を見回した。


「マルテルは今はいないのですか?」


 マルテルは魔王様の身の回りの世話をするのが仕事だから、よく魔王様のお部屋で見掛けるが今日は見ない。


「郵便事業の陣頭指揮を任せたのはヤツカドだろう。

 そちらも忙しいようだ」


「魔王様のお仕事優先にとくれぐれも言ってあるんですけどね。あまりこちらの仕事が疎かなようならちょっと調整します」


「いや大丈夫だ。マルテルは飛べる仕事で楽しそうだからもう少しやらせてやってくれ」


 魔王様がそうおっしゃるなら……。


「ヤツカド、目ぐらい合わせろ」

「勘弁して下さいよ…」


 魔王様の美しい金の瞳はダメですって。

 あれ見をてしまって僕は正気を保てる自信がない。

 今だって魔王様を称えてこの身を投げ出したくなるのを必死に自制してるんですから。


「それより魔王様の貴重なお時間です。まずはレクチャーから始めましょう」


 僕は仕事の話を促した。

 責任感の強い魔王様は何を置いても仕事を優先するはずだから、話を逸らすにはこれが効果的なんだ。


「……分かった。では頼もう」


 魔王様には執務用デスクにお座りいただき、僕はデスクを挟んで正面に立ったまま持参してきた資料をデスクの上に並べた。

 大きいデスクなので十分魔王様との距離を取れるのが今は助かる。

 魔王様は本当に危険過ぎる。


「今回施行する法律はごくごくシンプルなものです。

 ご存じの通り3点。

 魔王様への服従と、魔物殺しの禁止、そして鬼眼きがんの禁止ですね。これを魔王様の名の下に交付致します」


「交付というのは、どのような手段で行うんだ?」


「魔王様が交付を四天王の集う場で宣言します。

 僕の国では官報に掲載することにより法律は公布されますが、それは重要なことではありません。

 四天王の方から各コミュニティに戻り法律の施行された事実と内容を広めてもらいます。効力は直ちに発生する建てつけになりますね」


 僕は一言喋るたびに魔王様のご反応を見る。

 ちゃんと話についてきて下さっているか確認するために。


 迂闊に目を合わせないよう慎重に……。


「で、効力が発生するとどうなるのか?」


 魔王様は次を促す質問をして下さるから、やりやすいな。


「法律が施行されるとどうなるかと言うと、正式に3点が義務として効力が発生します。違反が判明すれば四天王はその違反者の身柄を拘束し、魔王様の裁きを待つことになります」


「そこで私が仕事をすることになるのか」


「そうです。魔王様への服従違反は、つまり反逆の意思ですね。それが明らかになる行為があれば裁きが必要になります。当事者を集め、処罰に値する違反があったかどうかを魔王様に判断していただくことになります。魔物殺しや鬼眼きがんについても同様です」


「ちょっと待ってくれ『処罰に値する違反』というのはどういうことだ? 違反しても処罰しなくても良い場合もあるということなのか?」


「そこなのです。気まぐれに処罰したりしなかったり、例えば違反者と個人的に親しいからという理由で処罰しないということはあってはなりません。

 法は公平であることを必要とします。公平でない法は国民の不満を招きます。それは政治不信、ひいては魔王様に対する不信へと繋がり、国内秩序を不安定にさせるのです。 魔物の社会化のために今必要なのは強固な権力構造です。

 そのためには国民が自ら『法は公平で公正で正しいものであり、従うことが自分たちの生活を安定させるというメリットのあるものだ』という認識を持たせる必要があるのです」


「魔物達が自ら法に従うことを求めるようになると?」


「そうです。そうやって法秩序を徐々に構築していくのです。魔物が法秩序に慣れていけば、今よりも複雑な法の制定も可能になります。

 それが組織的行動を可能にしていくのです。

 ですから、大事なのは法が公正であるということ。

 そのためには『処罰しない方が公正である』とみなが認識するような場合には『処罰しない』という選択をしなければならないのです」


「そんな場合があるのか?」


「ええ。例えば」


 僕は石板に図を描いて説明した。

 石板用の石は柔らかいので金属の破片があれば簡単に削れる。


「マルテルが僕を殺したとしましょう」


 法学の授業では事案を身近なもので説明するために教授が自分や周囲の人を殺すことはよくある。

 別に僕がサイコなわけじゃないから。


「普通であれば魔物を殺した罪でマルテルは死刑ですが、実はマルテルは僕に食われそうになって、とっさに凶器で僕を殺したのです」


 あまりシャレになってないけど、ここは気にしない。


「この場合にマルテルを死刑にすることは、法はマルテルに『僕に大人しく食われる』ことを求めていることになってしまいます。そんな法が公正とは言えますか? この場合は『処罰しない方が公正』なのです」


「なるほど……」


「これは『正当防衛』というものです。

 もっと法律を細かく作るようになれば法律に組み込むことになると思いますが、今は魔王様の判断で慣習として積み上げていただきたいのです」


「なかなか任務が重そうだな」


「そうですね。裁判官は違反者の命を奪う決定をする立場ですから、その責任も任務も重いことは間違いありません」

「よく覚えておこう」


「他にもこのような事例が……」


 僕は続けていくつか典型的な事例を出して説明を続けた。


「いろいろあるのだな。

 私が対応できるのだろうか……」


「大丈夫ですよ。魔王様は聡明なお方。

 悩みながらもきっと正しく判断が出来ると思います。それに裁判の際には僕がお傍にいますから。適宜助言できますし、なんでも聞いて下さい」


「そうか。ヤツカドが側にいてくれるのか。それは安心だな」


 初めての仕事の前だから魔王様も緊張されることもあるのだろう。

 ここはご安心いただかなければ。


「ええ。ずっとお傍にいますから」


 僕はつい、魔王様と目を合わせた。

 やっぱり美しい瞳の色。

 吸い込まれそうだ。胸が痛い。


 そこから何が起きたのか。


 デスクを挟んで向こう側にいらしたはずの魔王様がすぐそばにいる。


 そして僕の唇に、軽くその唇を重ねた。


 ほんの1秒程度。

 羽の触れるようなソフトキスだった。



 それなのに、なんという激しく強烈な快楽。


 心臓が抜き取られるかのようなもの凄い脱力感。

 それらが一瞬で同時に僕を襲う。



 僕は無様にもその場にぶっ倒れた。

 物が重力に従って落ちるように。

 受け身なんて取れるはずもない。

 腕にも足にも力が入らなかったんだから。

 

「あ、おい、ヤツカド、大丈夫か!?」


 魔王様の声が聞こえる。

 僕は顔を向けることも出来ない。

 力が入らない。


 だけど幸いというべきか、意識だけは保っていた。


 気を失わなかっただけすごいぞ。

 お陰で魔王様との甘いキスの余韻にこうして浸ることが出来る。

 まだ全身がドクンドクンと脈打っている。


 そうだ、魔王様のご質問に答えなければ……


「大丈夫です、生きています、意識もあります」


 そう言ったつもりだったが、声が嗄れていてまともに発声できない。

 でも一応生きて意識があることは魔王様に伝わったはず。


「元の姿に戻れ、その方が楽だろう?」


 魔王様がそう仰って下さるが


「ここで八足に戻っては、魔王様のお部屋の調度品を壊してしまいます」


 絶え絶えの声でそう魔王様にお伝えした。 


 ほどなく、足の先を掴まれそのまま引きずられた。

 力が入らなくて目で確認出来ないが、魔王様がひきずっているんだろうな。


「ほら、ここなら大丈夫だから」


 魔王様の声が聞こえる。

 うつ伏せのままだから床しか見えない。


 ここはどこだろう。

 とりあえず魔王様の執務室じゃないことは確かだと思う……。


 魔王様が大丈夫だとおっしゃるのなら、と思い僕は八足の姿に戻った。


 ふう……。呼吸がだいぶ楽。


 まだ脱力状態にあるけど、やっぱりこっちの方が体力あるし、回復も早いから待てばすぐ動けるようになるだろ。


 周囲を見渡せるようになったので、ここが謁見の間であることが分かった。

 ここなら余計なものは置いていないし天井も高いから、この姿でもそれほど問題はないな。


「ぷしゅるるる…」


『ありがとうございます。すぐに回復しますからご心配なく』と相変わらず声にならない声で僕は言う。

 魔王様には伝わるはずだから。


 ようやく魔王様のお姿も目で確認することが出来た。

 相変わらず堂々とした態度が凛々しく惚れ惚れしてしまう。

 特に申し訳なさそうにしている様子もない。


 それでいいのです。

 魔王様は僕をどうにでも出来る唯一の方だから……。


「ヤツカド、前に1秒の話をしただろう?」


 1秒……?


「少量だけ、1秒だけ食う訓練の話だ」


 ああ、しましたね。

 訓練にかこつけて魔王様にキスを迫るがとごくのセクハラ行為だと反省したので、もうその話題は出さないと決めていたのですが……。


「あれ、やってみようかと思うんだが……。

 もちろん、ヤツカドにまだその気があるのならだが」


 え?

 僕にその気があるのかなんて、そんなの……


「魔王様が望んで下さって、それを叶えることが出来るなら、それが僕の喜びですから」


 そんなの決まってるじゃないか。




読んで下さってありがとうございます。嬉しいです。

ブクマ・評価・感想もとても嬉しいので、もし宜しければぜひ…。

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