9 真実は見る者の数だけ存在する
セバダンにデスク制作依頼を済ませたのち、僕とクイは執務室に戻った。
 
おしゃべりなクイの言葉が少なくなっている。
先ほどのセバダンの話のせいだ。
「な、ヤツカド……」
「ん……」
「さっきの話、ホントなのかな。セバダンが嘘をつくとは思えねぇけどさ」
「嘘をつかないからと言って真実を語っているとは限らないさ」
 
「なんだよそれ。意味わかんねぇ」
よく法律家の言葉は分かりにくいと言われる。
それは仕方がない。
弁護士などの法律家は言葉を武器に戦う職業だ。
ほんの少しの言葉の使い方の誤りで足下をすくわれる戦いの最前線にいる。
だから常に言葉を紡ぎながらそのひとつひとつに色々な可能性を考慮し織り込む。
決して言葉に隙を作らない。
それが法律家のプライドでもある。
クイをパラリーガルとして使える魔物材に育てるためにも、ここは丁寧に説明しておいた方がいいだろうな。
「セバダンは確かに自分の経験を話していたかも知れない。だけどさ、まずあれはセバダンの目から見た真実でしかないんだよ」
「目によって真実が違うのか?」
「そうさ。よく『真実はひとつ』なんて言うセリフを使うヤツもいるけど、僕ら法律家から見たら真実はひとつじゃない。見る者の数だけ真実がある。だから例えば離婚事件を見ると、両当事者から全く違う真実の話を聞くことになるんだよ」
あー……。離婚事件の例えはクイには伝わらないな。
まあいいや。
「だからな、当事者が複数いるときには一方の話を安易に『真実』として信じてはいけないんだ。
せめて当事者みんなから話を聞いた上で判断しないといけない」
以前、僕がマルテルを鬼眼にかけて食おうとしたことについて、魔王様は僕の処遇を判断するに際して、『加害者・僕』『被害者・マルテル』『目撃者・クイ』の三者を呼び、全員から話を聞いた。
魔王様はそれを経験から知っていたんだ。
「この場合の当事者ってぇと、セバダン以外に当時を知る人とか、魔王様のことだな」
クイは話にちゃんとついてきているようだ。
「そういうこと。そして何より肝心なことがある」
 
「なんだ?」
「セバダンの話では、セバダンは当時の事情を『直接見ていない』ということだ」
セバダンは、当時『生きていた』。
けれど『直接見てはいなかった』。
僕はこの件は真実かどうかの判断を保留にしたまま胸の内に置いておくよう言った。
弁護士は、自分の頭の中に明確にフォルダを分けておかなければならない。
「暫定事実」と「暫定虚偽」と「保留」に。
少なくとも魔王様から話を聞くまでは、この件は保留だ。
魔王様のお力になるために、可能な限り僕は現状を正確に把握しなければならない。
そのためには近いうち魔王様からも話を聞かなければ。
しかし、本当にこれは魔王様に聞いて良いことなのか。
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あれから数か月は経っただろうか。
魔王様の部屋の調度品はだいぶ揃ってきた。
セバダンに頼んでおいた大理石のテーブルを始め、事務用の椅子もある。
カーペットを敷いてみたり、カーテンもかけてみた。
 
魔王様がお使いになるのだからと細工も凝らすよう注文したが、なかなかの出来だ。
かなりの職人芸なのに魔物達に商売っ気がないのが惜しまれる。
なお、応接セットはない。
それは当然だ。
尊く気高く至高の存在である魔王様が、誰かを接待するなどということはあってはならない。
魔王様にお目にかかる者は、悉く、魔王様の前に跪き魔王様の御前に畏まらねばならない。
 
「もうそのデスクとやらは使って良いのか?」
デスクの上に塵などないか細心のチェックを払っていると、興味深げに魔王様がのぞき込んできた。
ああ、楽しみにして下さったのだ。
なんという光栄なこと。
完璧を期するあまり、あまりお待たせするのも無礼なことだ。
「ええ、どうぞ。椅子も用意してございます。お座りになって下さい」
「そうか」
僕が椅子を引くと、魔王様が腰をお掛けになった……。感無量。
「ほう」
「お座り心地はいかがですか?」
「いいな。いつも使っているものよりも良い」
いつも使っているもの……鍾乳石の玉座か。
あれは部屋と一体になっているので、セバダンを呼び出してもっと形を整えてもらいたいが……。
しかしセバダンは魔王様を恐れ城まで来るのを頑なに固辞していた。
セバダンから魔王様の過去の話を聞いてから、かなり経つ。
僕はまだ魔王様にあの件の話を聞いていなかった。
というか、聞けないでいる。
弁護士や裁判官はよく「その話って関係ないでしょ」と言われるようなプライベートなことまでクライアントから聞き出そうとする。
大抵は本人にとって聞かれたくない話題だ。
平気で預金残高や資産についても聞くし、例えば夫婦間の問題であれば性交渉の頻度や満足度にまで質問は及ぶ。
でもこれは出歯亀でも好奇心でも覗き趣味でもない。
確かに資産状況は、クライアントから報酬をとりっぱぐれないためという個人的な理由で聞くこともあるけど……
僕のように有能な弁護士は、真実を見極めるための一種独特なセンスを持っている。
『リーガルマインド』と説明されることもある。
法律家養成の際にも重視される『事実認定』能力だ。
一見、事件と関係ないように見えても、それが手掛かりになって真実を見極める可能性があることを僕らはそのセンスで敏感に感じ取る。
だから僕らは他人のプライバシーにずけずけと踏み込む。
例えその質問によって、クライアントを傷つけたとしても、そんなことは気にしない。
それは勝利のために必要なことだから。
結果さえ出せばクライアントからは理解される。
……そのはずなんだけどね。
僕としたことが、一体どうしてしまったんだろう。
あの件を聞くことで、魔王様が傷つくのではないかとそんな心配をしてしまっている。
こんなことは今までなかった。
しかしこれは聞かなければならないこと。
魔王様のお力になるために必要なこと。
結果を出せば魔王様だってご理解下さる。
何とか慎重に、ひょっとしたら魔王様が自分から話して下さるかも知れない。
きっかけを作れば……。
「魔王様、そのデスクはセバダンって魔物が細工を施してくれたんですよ。セバダンをご存じですか?」
 
「ああ……とても長く生きている者だ。私よりもずっと」
魔王様の表情に一抹の翳りが見えた。
いいのか?
本当に話を進めて……。
「セバダンが、とても昔の話をしてくれたんです」
「そうか」
先ほどまでの魔王様の弾まれていたお心は霧散してしまった。
折角楽しんで下さっていたのに。
もっとタイミングを選ぶべきだったか?
しかし機嫌が悪いときに話すよりは良いはずだ。
「僕は彼の一方的な言葉を聞いただけで真実を判断するほど愚かではありません。魔王様ご自身の話を伺いたいのです」
言ってしまった。
傷つくだろうか。
怒るだろうか。
弁護士とクライアントとの関係が『委任関係』であると以前にも言ったけど
『委任関係』はとても大きな裁量権を弁護士に与えるものだ。
だから『信頼関係』がなければ維持出来ない。
『信頼関係』があるからこそ、相手のプライバシーに踏み込むことが許される。
 
僕は、魔王様との間で『信頼関係』を築けていたのだろうか。
 
 




