神々の倒し方は色々と方法はある
※ 神々の倒し方は色々と方法はある
八百万の神たちはなかなか鬱陶しかったが、過去に戦った神々もなかなか鬱陶しかった。
信仰さえあれば生まれ出る神と、純粋に概念的な神との差はあるが、信仰さえあれば何度でも蘇る神のほうが面倒くさいと言い切れる。概念的神は例えば大昔に雷を神と称したのと似ており、事象そのものが神であり、神の行い、御業とされそこに信仰が加わると両者の特性を持つことになるので、その場合、神を殺すには信仰する者も皆殺しにしなければならない。当然ながら、自然現象は消滅させると環境が大変なことになるのでやらないが、その現象が神の行いではなく、自然現象だと認識させれば概念的神は自然現象へと変化していく。もちろん、それには時間がかかるが。
この世界の掟というか理というか、人間たちを皆殺しにしても神は消滅しないどころか、新しい人間を創り出すということがわかっている。当然だが、神の力が強ければ強いほど創り出される人間もある程度は強いものになるが、その強さの基準は曖昧ではある。少なくとも神殺しを可能とする力は与えないのだが、稀に神殺しを達成する勇者や英雄が生まれることもある。
そういった稀な存在に気付いた時には神殺しを達成したいと望むのであれば味方して一緒に神殺しをしたことはある。
神々の役割は様々あるが、世界に対して驚異となる存在に対して対処しようという行動を取る。言うなれば、強くなりすぎ神である自分たちを殺せるような存在を抹消しようという考えはわかる。しかし、まずは対話という温い対処はせずに、基本的には奇襲や強襲による攻撃から始まる。
妥協点を見出すということは殆どない。なので、滅ぶか滅ぼすかの二択の選択肢を強要されるわけだ(俺は第三の選択肢として逃げ切るという選択肢を取ることもあったが)、神を殺すことが出来るようになってからは確実にその存在を消滅させることに腐心してきた。
太古の大森林と呼ばれる地域がある。辺り一帯が森林になっており、その広さは100平方キロメートル近くありそれは地球で言うところの北海道の面積よりも広い土地が全て森林なのである。
その広大な自然の大地を資源として使わない手はないのだが、はるか古代よりも前から存在していると言われており、現在もまた人の手がついていない大自然の聖域になっているのには、理由がある。人類の驚異となる異種族たちが住み着いているのだ。その正確な数は把握されていないが、数万から数十万とも言われている。巨人族やドラゴンなども目撃されており、人類は何度かこの太古の大森林に挑んで来たが何度失敗してもどれだけ被害が出ても歴史を繰り返してしまうのが人類なのである。
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