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「天狗の子は天狗」8  作者: 西尾祐
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4.乱気流(3/4)

 幼い頃、カンナはいつも弱者だった。

 緑の濃い森には、鬱蒼と木々がそびえ立っていた。その奥深くには開けた土地が、わずかばかりに丸く陣取っている。妖怪たちの修練場であるそこで、彼はいつも痛めつけられていた。あるいは、この時のようにはやし立てられることも。

 「やーい、弱虫、弱虫カンナ!」

 「雷獣のくせに電気すら出せないのか? 情けない奴だな」

 強者はいつも、彼を見下ろした。

 「情けなくなんかないッ! 俺だって……俺だっていっぱしの雷獣だ!」

 「じゃあ雷呼んでみろよー。どうせできないんだろ?」

 「カンナ、そういうことはやってから言えよ」

 彼を取り囲む雷獣たちの身体は大きく、虎にも似た骨格を既に得ている。カンナはわずかにうつむいた拍子に、自分の前脚を改めて見た。細く短く、あまりにも頼りない。同じ種族であっても、大人と子どもほどの差があった。

 彼らを見返してやりたいと思う。

 彼らを打ちのめしてやりたいと思う。

 しかし幼いカンナはまだ、体内の電流を放出することができない。力比べでも体格で勝る彼らに敵うとは思えなかった。電気を出そうとすれば道化になり、掴みかかっていけば叩きのめされてしまう。憶測ではなく確実にそうなると、カンナは分かっていた。

 だからこそ――自分の力量をよく理解しているからこそ、彼の心は苛立ちや悔しさで満たされていく。

 「(弱いと分かってたって、無茶でも立ち向かえたらいいのに――俺には勇気すらない)」

 カンナは力がない代わりに、己の無力を悟るだけの頭脳があった。激情して強者へ殴りかかることもないし、返り討ちにあって痛む身体を引きずることもない。しかし、彼にとってそれは必ずしも、幸せなことではなかった。

 「おい、また怖じ気づいたのか? ビビってないでたまには来いよ」

 ずんぐりした大柄な雷獣が、拍子抜けして彼を挑発し始めた。しかし、カンナは応じない。

 「なに言ったって無駄さ。こいつは腑抜けなんだよ。自分の誇りを傷つけられたって、石のように固まったまま。そんなの――男じゃない」

 比喩でなく、カンナの身体に電流が走った。言葉の雷をガンと食らって、頭が痛む。


 腑抜けで。

 腰抜けで。

 男じゃない。



 かつて、天狗騒乱の鎮圧へ赴く際に、父が残した言葉が反響する。

「――カンナ。お前が誇れるお前であれ。男に生まれたからにはな」

 自分の頭を撫でたその手は、大きく温かかった。

 だからこそ。

 彼も人に誇れるような自分でありたいと、その時確かに思ったのだ。願ったのだ。

 強く優しい男になると。


 なぜ、自分は忘れていたのだろう?

 父の――最後の言葉を。

  

 「――うるせえッ!!」


 突如発せられた高く鋭い声を耳にして、雷獣二人はにわかにひるんだ。

 「……!」

 凄まじい怒気のために、カンナの身体が膨れあがっている。何かの焦げた匂いが鼻をついて、細身の雷獣は初めて、ある事実に気付く。

 電気だ。

 カンナの身体を巡る電流が放出され、バチバチと音を立てていた。

 「なっ……!」

 「カ、カンナお前……どこからこんな力を!?」

 驚嘆を超え、二人は戦慄していた。

 先ほどまで、眼前の少年は他愛もない相手であり――その認識に間違いはなかったはずだと――頭の中で幾度も反芻する。

 そこに誤認はない。二人はまったく正しかったのだ。


 先刻までは。


 「どこから、だって?」

 周囲の空気がひりつき、青白い電光がうなりを上げる。危機感を覚えた二人は思わず空を仰ぎ、驚きに目を見開いた。

 彼らの頭上にあったのは、分厚い黒雲。

 「バカな、こんなガキに操れる訳が――!?」


 「――喰らえッ!!」


 少年の雷撃が、強者を穿った瞬間。

 そして。

 彼が恐怖に打ち勝った瞬間のことである。



 雷獣カンナの思考は、再び現在へと立ち返っていく。

 対峙する天狗の少女はなおも風撃の手を緩めない。彼女には油断などというのものはまるでなく、むしろ心を強く律し続けていた。

 その様を見て、カンナは彼女への評価を改める。

 「(この娘、本当に強い)」


 なにより、心が。


 身体が大きい、頭がいい、なにか生まれ持った才能がある――そんなモノたちならば、カンナは数え切れないほど多く見てきた。それを戦闘に生かし、百戦錬磨と謳われた男のことも知っている。だが、彼と奈々では決定的に異なるものがある。

 精神力だ。

 心を鍛えることは、肉体の鍛錬よりもよほど難しい。かつて臆病者と誹られていたカンナは、そのことを誰よりも深く承知している。

 幾多の困難が立ちはだかろうとも、自らを律しそれに立ち向かう。言葉にすれば簡単だが、誰にでも実行できることではない。カンナは彼女の強さを認め、自分の弱さを恥じた。

 「(俺はまた、弱虫になっちまってたんだな)」

 震えかけた歯を噛みしめ、すくみそうになる脚へ力を込める。

 「だが! このまま終われるかよッ!」

 無理矢理にでもと自身を鼓舞し続け、逃げたくなる気持ちを押し殺す。


 勝ち目のない戦いだとしても、男には挑まねばならない時がある。


 かつて強者にたたき伏せられ、土にまみれたからこそ。

 辛酸をなめ続け、自分の小ささを嫌と言うほど教えられてきたからこそ。

 彼は誰よりもよく、そのことを理解していたのだ。


 「(次で決める……!)」

 奈々が意識を集中させた直後、周囲に緑の波動が浮かび上がった。圧倒的な力の奔流であるそれは、煌々とした光をまといながら躍動する。

 やらねばならなかった。

 彼女自身、天狗の里、カンナたち。それらすべてのためにも、彼女はこの戦いに勝たなければならなかった。目的の遂行がいかに困難だとしても、彼女にはまったく退く気などなかったのだ。誰かに役割を押しつけて去ることなど叶わない。


 最良の手を打つことが出来るモノが、自分であるなら――やる。


 「攻撃式、用意! 付与・補助術式『峰打ち』及び『捕縛』。座標計測に入る――」

 「(あいつ、俺たちを仕留めるつもりじゃないのか……!)」

 一瞬の後、カンナは相手に殺意がないことを読み取った。かなり大がかりな術式であり、念密に張り巡らされており、完成度も高い式だ。カンナたち百鬼夜行をすべて葬り去ることも可能なほどの力を有した、それを――天狗の少女は、殲滅に使わない。

 幾多もの妖怪を指揮するカンナは、今や単なる「弱者」ではなかった。敵と見なしていた相手の、救いにも似た術式を感知したのだ。

 今彼に出来ることは、仲間たちの不安を可能な限り拭い去ることだ。そして、最大級の雷撃を見舞い、なおも相手に抵抗する。

 「くっ――皆動揺するな、聞け! 相手は俺たちを確実に捕らえる気だ!」

 カンナの言葉に、仲間たちは耳を疑う。

 「――!?」

 「おいカンナ、どういうことだ?」

 「俺たちはあいつに殺されるんじゃ――ない、のか?」

 「違う。あいつの展開した式には、補助術式の『峰打ち』と『捕縛』が付いてるんだ。どんなに強力な攻撃であっても、命を奪いはしない」

 「……くそ、ナメやがって……」

 仲間の一人が舌打ちする音を聞きながら、カンナはなおも告げる。

 「問題は『捕縛』の方だ。あいつは俺たちを弱らせた後、生け捕りにして天狗の長にでも突き出す気だ。それは、お前たちの望むところなんかじゃないよな」

 「決まってるさ!」

 「俺たちはあいつらをツブすつもりで来たんだよ! おめおめと捕まってたまるか!」

 「ああ! やり返して吠え面かかせてやろうぜ!」

 「おおーッ!」

 百鬼夜行は士気を挙げ、なおも敵を倒そうと決意を新たにする。カンナの言葉が持つ、真の意図には気付かないままだ。

 お前たち――つまりは百鬼夜行が望まない『捕縛』を、彼は受け入れるつもりでいた。今回の騒動における責任もすべて、自分一人で抱え込もうとしている。

 もっとも、それは奈々も同じだ。相対する二人は立場こそ違えど、同じ考えを元に動いていた。

 「――座標変動に対し二の式『追尾・強』を五連」

 「反撃に入るぞ! 各自体勢を整えろ。まだ力は残ってるな?」

 「いけるぜ!」

 「おうさ!」

 すぐさま陣形を整え、カンナは先頭で指揮を執る。

 その僅かな合間に、奈々は周囲に張り巡らせた式をさらに強固なものとしていく。

 双方の力がせめぎ合い、情念が空気をひりつかせていく。ピンと張られた緊張の糸には、緩みなど寸分もありはしない。


 「広域付加攻撃式、展開――」

 「来るぞ! 迎え撃て!!」


 天狗の少女はその長身を揺らし、鋭い赤目を前方へ向ける。

 すっと腕を上げ、手のひらを正面で大きく開いた。

 

 一騎当千。

 戦いが、始まる。

 

 「――――参る!!」


 凄まじい密度の式がすべて輝き、即座に闇を裂いた。

 そして、奈々は。弾丸と形容するのも生ぬるいほどの速度で。

 虚空を「跳躍」するかのごとく、雷雲へ突撃した。


 「!?」

 赤目はすでに標的を捉えていた。雷獣と天狗では反応速度に違いがありすぎる。しかも彼女は日々修練を重ね続けた精鋭なのだ。

 空中を縦横無尽に駆け巡る緑の波動が、黒雲から放たれた無数の雷撃とぶつかり合い、青い光が火花のごとく鮮烈に散る。遅れて追尾式が展開し、妖怪たちもすぐさま反撃する。一度、二度、三度。その間、わずかに二十秒。

 かつて流星に例えられた天狗の飛行速度ならば、もはや相当な距離の移動を可能に――していた。黒い翼が空を行く様を、誰一人として捉えきれない。


 そして今、あまたの雷撃の嵐をくぐり抜け、彼女は「いる」。

 カンナの目の前に。


 「なっ……」

 すらりとした長身。赤く鋭い眼光。顔に刻まれた三つの傷。結い上げられた赤い髪。

 「名乗るのが遅れたな。私は嵐山奈々」

 「嵐山、だと……!?」

 「(――天狗の名家、嵐山一族!?)」

 思わずカンナは耳を疑った。嵐山といえば、天狗の中でも特に由緒正しい家柄である。元は関西を拠点としていたが、後に関東へと移り住んだ。

 「だ、だが、とっくに没落したと俺は聞いて――」

 「――失礼」

 予備動作すら伴わず、奈々はカンナの首筋に手刀を下ろした。トン、と小さな音がする。

 「ぐっ……! く、そ……」

 痛みで意識が薄れゆく中、カンナは揺れる視界に奈々の顔を捉えた。戦闘中は分からなかったが、改めて見ると案外年若い。整った顔立ちをしているが、その表情はひどく悲しげだった。

 「(……美人だが、傷が惜しいな……はは、何を考えてんだ、俺は……)」

 そこでカンナの意識は途切れた。

 

 「カンナッ!」

 彼を案ずる妖怪たちの前に、奈々は立ちはだかった。

 「行かせない!」

 頭目を失った百鬼夜行を破るため、強烈な風撃を打ち込むその時。

 天狗の少女は心の内で、小さくつぶやいた。


 うらやましいな、と。

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