まあるいオレンジ
まあるいオレンジが沈む頃。
ぽっかりと足元に空く陥穽があるらしい。
ドーナツ型をしてるんだって。
混ぜこぜにね、なっちゃうの。
色んなところ、空間が。
薄暗い緋色に手招きされて、辿り着くのはいつかの子供の頃。
まあるいオレンジ。昔はあんなに大きかったのね。
私は胸を期待に弾ませてその姿を探す。
ここでなら逢えるかもしれないと。
おかあさん。
朝に離れた母と子が再会する夕暮れ時は、特に人寂しくて、もう亡きあなたを求めてしまう。
いつまでも子供みたいに。
ええ、だってあなたの子供ですから。
おかあさん。
私を辛く苦しく悲しく寂しくさせたおかあさん。
あなたは竹を割ったような性格で、どちらかと言えば臆病で鋭敏な気性の私とは反りが合わなかった。
伸ばした手を、漏らした呻き声を、何度撥ねつけられたか解らない。
その度に私の心はすうと冷えて、極寒になった。
余りに寒かったから、私は幼心に気が狂いそうだった。どうしてもどうしてもどうしても、欲しいものが得られない飢餓にのた打ち回った。
表面上は、冷静な仮面を被り。
私は、おかあさん。私の中であなたを殺さねばとまで思ったの。
あなたへの愛着を持ったままでは息苦しくて遣り切れなくて。
ねえ、でもおかあさん。
あなたは時々、優しかったね。
私が涙する時、稀に慰めてくれた。頭を撫でて、抱き締めてくれたね。
泣いていた私の涙を拭いて、チョコレートの銀紙を破り、半分こして一緒にがしがし食べた。あの時の、悪戯っ子のようなあなたの笑顔ときたら。
甘かったなあ、あのチョコレート。
ちょっとずるいと思う私を許してくれる?
あざといな、なんて。
だってね。
だってそれだけのことで。
そう、それだけのことで、私はまたあなたを大好きになるの。
撥ねつけられたことなんて、忘れてしまえるくらい。
莫迦でしょう。
でもきっと。
世の中に「それだけのこと」なんてないのね。
みんな特別なのね。
ここではおかあさんに逢えない。
私はそれをとうに承知している。
おかあさんが行ったのは、もっと深く、もっと遠いところだから。
こんな中途半端な薄暮じゃないの。
それでも探す。探してしまう。
おかあさんはいつか死ぬ。
頭では解っていたことだった。来たるべき時の自分の悲嘆を想像すらしていた。
でも実際は違った。
全然、違った。
あなたという存在が世界中から消えてしまって、私は独りぼっちになった。
あなた以外がいない訳じゃない。
でも、もうあなたはいない。
あなたはいない。
空いた穴の巨大さ。ドーナツ型なんて比じゃない。
風が吹く。
私に気紛れの優しさを与えてくれることもない、おかあさん。
おかあさん。
おかあさん。
ああ、がんじがらめになって寂しくて死にそう、心が引き千切れそうだよ。
あなたに逢えないまあるいオレンジ。
この陥穽の出口はどこ?
写真提供:空乃千尋さん