表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い薔薇白い薔薇  作者: 霧島勇馬
8/10

第八章 殺意のフーガ

   第八章 殺意のフーガ

「ローズ、なにをやってる! その覇気のない演技は、なんだ! この分だと来年の主演女優賞は、ドリスに持っていかれるぞ!」

 ローズは悔しさに唇を噛んだ。ドリスがセットの外で、ニヤニヤして見ていた。なんとも気分が悪い。

 ドリスが来年のオスカーを取るだって? 冗談じゃない!

 ただでさえ、現在の立場はドリスが上だ。アカデミー・ノミネート女優となり、共演者も、同じくノミネート俳優。

 確かに会場でローズは代役を務め、ドリスの鼻を明かした。でも、話題を振り撒き、ドリスを悔しがらせただけで、実績はなにも残していない。

 ローズはセットに立ったまま、大きく深呼吸した。駄目だ、ぜんぜん治らない。

「キャロル、コーヒーを持ってきてくれない? カフェインで頭をすっきりさせたいの」

「はい、ただいま」

 キャロルはトニーから預かった魔法瓶と、プラスチックのカップを持って、ローズの側に駆け寄った。

「少し温くなっているかもしれません。温めてきましょうか?」

「いいのよ。一気に飲みたい気分。温くてちょうど良いわ」

 ローズはカップになみなみと注がれたコーヒーを、一気に飲み干した。苦みが喉に心地よい。

 助監督と何やら話し合いを始めたルイスに、声を掛ける。

「ルイス、もう大丈夫よ。撮影を続行しましょ」

 ルイスは振り返ったが、あまり愉快そうな顔をしていなかった。小さく息を吐くと、ゆっくりとローズの側に歩み寄る。

「ローズ、少し休め。なんだか、目ばかりギラギラしている。とても役に入っている姿ではないよ」

「でも、台詞も、ちゃんと覚えているわ!」

「今の君は、台詞を棒読みするだけの、愚鈍なロボットだよ」

 あまりの言いぐさだった。

「酷い! こんなに頑張っているのに!」

 ルイスは、ばつが悪そうに頭を掻いた。

「やっぱり、ドリスとの共演は、時期尚早だったかな。まだまだ実力はドリスに及ばないみたいだ。僕は対等に戦えると思っていたんだけどね」

「そんなことないわ! 私だって、ちゃんとやれる! いいから、カメラを回してよ!」

「ほら、いちいち、つっかかるような興奮した言い方をするだろ。極度の緊張状態なんだよ。今日も君のシーンは、撮れないな」

 ドリスが、嫌らしい笑みを浮かべ、二人の側にやって来た。

「どうしたの? 次は、ローズのシーンからではなかった?」

 ルイスが申し訳なさそうに、ドリスに詫びる。

「済まない、ドリス。ローズは、いつもはこんな状態じゃないんだけど。極度の緊張状態で、なかなか本領を発揮できない。君との共演が影響していると思うんだけどね」

 冗談じゃない! ドリスに恐れをなしているなんて、とんでもない言いがかりだ!

「姉さんなんか、怖くないわ! 私は平気、平気なの!」

「ほら、また興奮してきた。ローズ、一度、ここは楽屋に戻れ。水でも飲んで、落ち着くんだ」

 まったくもって、気分が悪い。ドリスを意識するあまりの緊張状態だなんて!

 頭の中がギラギラしていて、火山が噴火するみたいな気分だった。

 キャロルが従いてきたが、今は一人になりたかった。

「しばらく一人にさせて。気分が良くなったら、スタジオに戻るわ」

「わかりました」

 キャロルは大人しく、楽屋を出ていった。

 ローズは大きく鼻から息を吐き、カウチに寝転んだ。さてと、どうしたものか。

 ルイスの言い草は頭にも来たが、役にのめり込んでいない事情は、自分が一番よく知っている。このまま休めば、元の調子を取り戻せるのだろうか?

 ふと思う。これは、かねてからの計画を実行に移す、最適なチャンスなのではないか、と。

 ドリスはスタジオから、しばらくは出て来ないだろう。赤いウィッグを被り、ドリスの振りをしても、他人には、わからない。

 鏡の前に座り、ブロンドのウィッグを脱いだ。代わりに、横に置いてある赤毛のボブ・ウィッグを被った。

 髪を整えながら、右を向き、次に左を向く。完璧だ。どこから見ても、ドリス・ハートだ。

 ローズは鏡の前で、ニヤリと笑うと、立ち上がった。

 楽屋を出て、人気のない廊下を歩いた。この廊下沿いで現在、稼働しているスタジオはローズたちのいる第二十三スタジオのみ。関係者は全員が、スタジオに籠もっている。

 暗い廊下を抜け、撮影所の裏にある出口に向かう。歩いて数分で、駐車場に辿り着く。

 ドリスの愛車、赤のコンチネンタルは、すぐに見つかった。しかし、鍵を開ける術がない。ここはドリスの振りをして、駐車場の管理人に頼み込む。

「ドリス・ハートだけど、車の鍵を忘れてきちゃったの。車の中にある荷物を出したいんだけど、開けてくれないかしら?」

 管理人は、ほくほく笑顔で請け合った。

「わかりました。大丈夫ですよ、僕は傷一つ付けずに、開けられますから」

 管理人は、小さなスパナでドアを弄った。すぐにドアは開いた。

 ローズは、にっこり微笑んだ。

「ありがとう。助かるわ」

「いつでも言ってください。簡単ですから」

 管理人は照れ臭そうに笑いながら、戻っていった。

 周囲を見回し、他に誰にも見られていないか、確認し、助手席に潜り込んだ。

 ブレーキ・ペダルに細工をしたいのだが、手元にドライバーもない。実は、どこを弄ったら、動かなくなるのか、具体的にはわからない。適当に弄くり回す腹だった。ローズはぽんと頭を叩いた。

「やっぱり注意力が散漫だわ。ドライバーを忘れるなんて」

 腰の位置をずらすと、お尻に固いものを感じた。腕を後ろに回して、手に取ると、空のコーラ瓶だった。

「まあまあまあ! ちょうど良いものがあったわ」

 ローズはコーラ瓶を、ブレーキ・ペダルの下に、そっと置いた。試しに踏んでみるが、ペダルは、びくともしない。

 ドリスは飛ばし屋だ。走り出した途端、この車は減速ができなくなる。ドリスは、きっと、事故を起こす。

「さようなら、姉さん。明日の新聞は、姉さんの写真で埋め尽くされるでしょうね」

 いつもなら撮影の合間、合間に楽屋で休むのだが、ローズがいないとなると、ドリスは大忙しだった。立て続けに三つのシーンを撮り終えた。さすがに疲れた。

 スタジオ隅の椅子に、腰を落とし、息を吐く。トニーがすぐに横に来た。

「ドリス、大丈夫? かなり疲れているみたいだ」

「そうね、さすがに疲れたわ。頭痛も少しするの」

「それはいけないね。マネージャーのクリスに、薬を持ってこさせよう」

 無能で何の取り柄もないクリスだったが、オスカー・ノミネート女優のマネージャーだというので、最近は尊敬すらされているらしい。

 クリスが、ここは出番だとばかりに、揉み手でやって来た。

「痛み止めですか? いくつか用意していますよ」

 でも、ドリスは、軽い麻薬中毒者だ。中途半端な痛み止めなど、効きはしない。ドリスは鬱陶しい思いで、クリスの手を振り払った。

「要らないわよ、そんなもの。それより、ラム酒の効いたフルーツケーキが食べたいわ。サンセット・ブルーバードにある『マミー・タバサ』のケーキが一番美味しいのよね」

 クリスは間抜けに口を開けた。

「いいんですか? その、甘いものは太るから、節制していると聞いていましたが」

 まるでドリスをデブ扱いするような言い草に、ムッとした。

「演技はね、神経をすり減らす仕事なの。今日は、ローズがだらしないせいで、私は出ずっぱりだったわ。ちょっとぐらい食べたって、エネルギーはそれ以上に消費しているわよ!」

 トニーが、ぽりぽりと頭を掻いた。

「じゃあ、さっそく買ってきてもらうか。クリス、店はわかるな?」

 クリスは途端におろおろし出した。

「えっと、サンセット・ブルーバードですよね……そんな店、あったかなあ」

「赤い煉瓦の建物の一階よ」

「赤い煉瓦? えーっと、ハリウッド・ブルーバード寄りですか?」

 ドリスは腹立たしい思いに、眉を吊り上げた。いったい何年、ハリウッドに暮らしているのか? つくづく盆暗な男だ。

 そこへ、キャロルが進み出てきた。

「私が行ってきましょうか?」

 ドリスは意外な思いに、眉尻を下げた。

「あら、あなたが? 場所はわかる?」

 キャロルは、任せてとばかりに、ぽんと胸を叩いた。

「はい、何度か買いに出かけた経験があります。美味しいんですよね、あのフルーツケーキ。使っているバターが違うって話ですよ」

 キャロルとしても気を遣っているのだろう。ローズが不調で、ドリスに皺寄せが来ている状態を申し訳なく思い、何か手伝えればと思っているようだ。

 ここは、お言葉に甘えよう。クリスなんて使いに出したら、今日じゅうには帰って来ない気がする。

 ドリスはクリスに向かって、声を掛けた。

「私の車の鍵、キャロルに渡して」

 キャロルが大袈裟に、手を上げて恐縮した。

「いえ、大丈夫です。タクシーで行きますから」

「お金がもったいないでしょ。私の使いなんだし、車は貸すわ。その代わり、少し急いでね。頭に浮かんだら、もう食べたくて堪らないの」

 クリスが口を窄め、キャロルに車の鍵を渡した。キャロルは鍵を掲げ、にっこり微笑んだ。

「じゃ、ちょっと行ってきます。コーヒーの用意をして、待っていてください」

 ルイスが、スタジオの中央で、ぱんぱんと手を叩いた。

「今日は、ここまでにしよう。お疲れ様!」

 キャロルがスタジオを出て、四時間が経過していた。いくらなんでも遅すぎる。結果、ドリスのティータイムは味気ないものとなった。

 脳が甘さを欲しているから、コーヒーには久しぶりに砂糖をたっぷり入れた。でも、それで満足できるわけがない。

「キャロルったら、大見得を切って! クリス以上の能なしじゃないの!」

 そこへ、ローズが入ってきた。もう、ボブ・ウィッグは被っていない。この後、撮影がないだろうと見越して、現れたようだ。

 ドリスは、わざと大きな身振りで、背を伸ばした。

「あーあ、今日は疲れちゃったわ。私の周りは、なんでこう、能なし揃いなのかしら!」

 ローズはドリスを一瞥しただけで、まっすぐルイスの元に歩いて行った。二人は何やら小声で言い争いをしていた。知ったことではない。

 しかし帰ろうにも、車をキャロルに貸したままだ。今日だけは、トニーに送ってもらうか。

「トニー、送ってくれない? 車がないから、一人では帰れないわ」

「ああ、いいよ」

 そこにローズが、しれっとした顔で近づいてきた。

「姉さん、キャロルがいないんだけど。どこに行ったか、知らない?」

 なにが、どこに行ったか知らない、だ。

「私が知りたいぐらいよ。車を貸したら、そのまま帰って来ないんですもの。実はとんでもない方向音痴だったのね!」

 ローズの顔が、見るみる青くなった。

「……車を、貸した、ですって?」

「急にケーキが食べたくなって。買ってきてもらおうと、鍵を渡したのよ」

「な、なんでそんなこと、したのよ!」

 ローズの取り乱しように、驚いた。自分のマネージャーを勝手に使われたからといって、ここまで怒る問題でもなかろう。

 不意に、スタジオと廊下を繋ぐドアが、激しく音を立てて開いた。制服の警官が二人、スーツ姿の男が二人、ぞろぞろと入ってきた。スーツの一人が、大声を上げた。

「皆さん、帰るのはちょっと待ってください! キャロル・ハンター嬢の直接の上司は、どなたですか?」

 てっきりローズが図々しく名乗りを上げると思ったが、無言のまま、突っ立っていた。ルイスが顔を上げ、男に近づいた。

「僕が、撮影現場の責任者です。キャロルは、主演女優のローズ・ヘスターのマネージャーをしています。キャロルが、どうかしたんですか?」

 男は警察バッジをルイスに見せた。

「ロス市警のジョンソンです。今から一時間前、キャロル・ハンター嬢の死亡が確認されました。赤のコンチネンタルに乗って、民家に突っ込んだんです。調べると、車の所有者が女優のドリス・ハート嬢だと判明し、伺った次第です」

 ローズは衝撃のあまり、声が出なかった。

 ――嘘! キャロルが、あの車に乗っただなんて!

 キャロルが死んだ……。ローズがブレーキ・ペダルに細工した車に乗って、ドリスの身代わりになった……。

 ドリスも呆然としていた。

 でもまさか、自分の代わりにキャロルが死んだとまでは考えていないらしい。刑事に、自分は悪くないとばかりに、強く訴えていた。

「サンセット・ブルーバードまで買い物を頼んだんです。帰りが随分、遅いから、心配していたんです。まさか、事故を起こしていたなんて」

「普段は、お一人で運転を? それとも、助手席に常にマネージャーさんがいたりしますか?」

「一人です。ドライブは、いい気分転換になるんです」

「よく、コーラなんかを飲みながら?」

 ドキリとした。事故の原因が、ブレーキ・ペダルだとわかっているのだろう。

 ドリスは意味がわからない様子で、頷いていた。

「そうですね。よく飲みますけど、それが何か?」

「飲み干した瓶を、助手席に無造作に投げていたり?」

 ドリスがムッとした顔で、刑事に突っかかった。

「自分の車でなにを飲もうが、勝手でしょ!」

「コカコーラの瓶が、ブレーキ・ペダルの下に挟まっていました。つまり、キャロル嬢が運転していたとき、ブレーキがまったく利かない状態になっていたんです」

「そんな……」

 ルイスがすかさず、ドリスの肩を抱いた。

「じゃあ、もし、キャロルが乗らず、ドリスが仕事を終えて乗っていたら……」

 刑事はしたり顔で頷いた。

「当然、被害者は、ドリス嬢になっていたでしょう」

 ドリスの体がぐらつき、ルイスがしっかりと支えた。

「ドリス、大丈夫か? 誰か椅子を持ってきてくれ!」

 ローズも気が遠くなりそうだった。倒れたいのは、こっちだ! マイケルがローズの側に寄ってきた。

「大変な事態になったな。ローズ、大丈夫か?」

 ローズは憎しみを込めて、ドリスに叫んだ。

「姉さん、よくも私のキャロルを殺したわね! 大事な大事なマネージャーで、友達だったのに!」

 ドリスがぎょっとした様子で、振り返った。ルイスが構わず、クリスが持ってきた椅子に座らせる。

「ローズ、よせ! ドリスにこれ以上の刺激を与えるな!」

「なんでよ! なんで姉さんが死ななかったの?」

 細工は上手くいっていた。キャロルに車を貸さなければ、今日の夜、ドリスが死体となっていたはずだった。

 ルイスがつかつかと歩み寄ってきた。

「ローズ、ドリスを責めるな! これは、事故だったんだ!」

「姉さんが死ねば良かったのよ! 姉さんが死ぬべきだったのよ!」

 パンと頬を叩かれた。ルイスが怒りの顔で立っていた。

「ローズ、いい加減にしろ! ドリスだって傷ついているんだ」

 ローズはルイスの胸に抱きつき、大声で泣き出した。

「キャロルが、キャロルが死んじゃった! ルイス、私の大事なキャロルがぁあ!」

 スタジオは、しんと静まり返り、ローズの叫び声だけが響いた。

 誰もが、不幸な事故だったと思っている。ローズが仕組んだ罠だなんて、誰も思っていない。そこまではいい。

 でも、よりにもよって、キャロルが犠牲になるなんて。

 ドリスが被害者にならず、胸を撫で下ろしている人間もいるだろう。

 冗談じゃない! 冗談じゃ、ない!

 翌日の新聞に、キャロルの死は大きく扱われていた。薔薇姉妹が撮影中に起きた事故。キャロルが先に車に乗らなければ、ドリスが被害に遭っていた可能性が高いと、強調されていた。

 ローズは、その日一日、ベッドから起き上がることができなかった。

 ルイスもその日の撮影を中止した。ローズもドリスも、ショックを受けている。撮影どころではないと判断したようだ。

 目を閉じると、キャロルの笑顔が浮かんでくる。涙が溢れて止まらない。

 ローズたち姉妹に関わって、キャロルはつくづく運がなかった。二人の板挟みになり、優しい心は幾度も傷ついただろう。

 ――あんな心が綺麗な人は、いなかったわ。

 昼になり、ルイスがトレイに昼食を載せ、寝室にやって来た。

「具合はどうだい? 少し食べたほうがいい。昨日からなにも食べてないだろう」

 ローズはぷいと横を向いた。

「食べたくないんだもの」

 ルイスはトレイをサイドテーブルに置き、ベッドにそっと腰を乗せた。

「ドリスが代わりに死ねばよかったと、まだ思っているのか?」

 ルイス相手に、取り繕う必要はない。

「ええ、思っているわ! 本来、姉さんが死ぬはずだったのよ!」

「その思いを、撮影現場でぶつけるんだ。きっと、いい作品ができる」

 いい作品ができる? そもそも、ローズの計画では、映画は完成しない。ドリスが途中で死んで、消えてなくなるからだ。

 キャロルが死んで、映画が完成して、ローズとドリスのどちらかが、主演女優賞にノミネートされる。それでいいのか?

 ――いいえ! 今はオスカーより大事な問題よ! 姉さんをこの世から抹消することが!

 今となっては、キャロルの敵討ちにも似た思いになる。

「それとも、君はこのまま、降板でもするつもりか?」

 ルイスの声に、我に返った。

「降板? 冗談じゃないわ!」

「このまま食事も摂らず、スタジオにも現れないとなると、僕は映画の大きな軌道修正を考えなければならない。実は、頭の中にはね、ドリス主演、ローズ主演、それぞれの企画がすでにあるんだよ」

「……私が降りたら、姉さん主演の映画を作るつもりなの? それでも、私の夫と言える?」

 ルイスは表情一つ変えなかった。ローズにはこんなルイスが、なんとも冷酷に思えた。

「ああ、言えるよ。ドリスは僕の、義理の姉だ。家族の一人だよ」

 ルイスとタッグを組んだら、今度こそドリスにオスカーが舞い込みそうだ。それだけはなんとしても避けたい。

「私は降りないわよ! キャロルの死を無駄にしないためにも、明日から、スタジオに通うわ」

 ルイスは満足げに微笑み、ローズの額にキスをした。

「それでいい。君は、ただでさえ、出遅れているんだ。ドリスは数日は休むだろうから、その間に、撮れなかった君のシーンを撮ろう」

 数日、休む、か。それもいいだろう。その間に、ドリス殺害計画を、根本から練り直す必要がある。

 ドリスは、さすがに衝撃を受け、翌日はベッドから起き上がれなかった。

 人の死とは、なんと身近にあるのだろう。しかし、よりにもよって、キャロルが命を失うとは。

 ちょうどローズ殺害計画を立てていたときだったから、ショックはなおさら酷かった。

 トニーも母も、ドリスが乗っていなくて、本当に良かったと胸を撫で下ろしている。

 ただ、ドリスには自分が事故を起こしていただろう、なんて想像はできなかった。それ以前に頭に浮かぶ思いは、一つ。

 ――あの車に、ローズが乗っていたら……。

 ブレーキ・ペダルの下には、空の瓶が挟まっていたという。ドリスはよく、コーラを飲み終えると、瓶を無造作に助手席に投げる。瓶は最悪な形で転がり落ちた。

 これは、確実に事故だ。でも、作為的にできるシチュエーションでもあった。

 ローズの車に潜り込み、故意にペダルを動かなくしてやったら、ローズは大事故を起こし、この世の人間ではなくなる。

 なかなかにいい案だが、ローズは自分では車の運転はしない。いつもキャロルかルイスの運転する車の助手席に収まっている。

 ルイスも一緒に殺すか?

 いや、待て。ルイスはもともと、ドリスの大ファンだった。ローズさえいなくなれば、ドリスのために、名作を作る男となるだろう。こんな金の卵を産む鶏を逃す手はない。

 それに、映画関係者が二人も立て続けに、同じ事故を起こしたら、周囲は疑惑の目で見るだろう。

 駄目だ。もう、これで車は使えない。

 今回の一件で学んだ内容は、偶然を待っていたら、いつになるかわからないという点だった。偶然は、確かに起こる。でも、絶対に、ドリスの思うままには起こらない。

 偶然ではなく、明確な作為の結果でなければならない。

 今、ローズはトニーから貰っている魔法瓶から、コカインたっぷりのコーヒーを飲んでいる。集中力を欠き、気分も激しく上下している。ただ、これだけでは偶然を待つだけとなる。

 ふと頭に、スタジオ上の大きなライトが浮かんだ。あれが頭上に落ちてきたら、ローズは確実に死ぬ。

 そう、今この状況下で大事な問題は、確実性だ。

 頭の中が、ギラギラしてきた。ドリスはベッドサイドに置いたシガー・ケースから白い包みを取り出した。

 そっと開き、中の白い粉を鼻の下で一気に吸い込む。ようやく落ち着いた。

 再びベッドに横になり、シーツを頭まで被った。軌道修正が必要だ。ローズを殺すための確実な方法を探さなければ。

 ローズは三日を掛けて、これまで撮りこぼしてきたシーンの撮影を、無事に終えた。

 初日は酷い汗に苦しんだが、二日経つと、なんともなくなった。

 トニーもドリスと一緒に休んでいたため、コーヒーの差し入れがなくなった。きっと、カフェインが、脳を興奮状態にさせていたのだろう。

 ローズはもう、撮影中にはコーヒーを飲まないと決めた。

 新しいマネージャーは、キャロルがメイク係時代に可愛がっていた、エヴァ・スミスだった。キャロルが仕込んだだけあって、メイクも上手く、いろいろと気を回せる女性だった。

 もっとも、キャロルには及びもつかないが。比べるほうが気の毒だろう。

 キャロルを失った悲しみは深いが、これでローズは、簡単に人を殺せ、尚且つ犯人だと追及されない現実を知った。このまま、とっととドリスにも消えてもらいたい。

 さて、どう行動したものか。

 ふと、ルイスが好きな、一九二〇年代のハリウッドに思いを馳せる。この時代は毎年、立て続けにスキャンダルが起こり、俳優生命を失った人間たちがいた。

 水銀を飲んで亡くなった、オリーブ・トーマス。麻薬中毒で死んだ、ウォレス・リードに、バーバラ・ラ・マー。

 でも、死んだ彼らは、どちらかというと、気の毒な人間と、人々の記憶に残っている。

 ロスコー・アーバックルは強姦致死事件が無罪になっても、ハリウッドに返り咲くことはできなかった。メイベル・ノーマンドはウィリアム・テイラー監督射殺事件の重要容疑者となり、ハリウッドを追われた。

 殺すより、醜いスキャンダルに巻き込まれたほうが、のちのちまで苦しむ結果になるだろう。

 殺害事件の犯人! 人々がドリスを殺人犯だと認定すれば、その後の裁判など、どうでもよいほど、世間的有罪は確定する。

 エヴァがローズのブロンドのウィッグにブラシを掛けながら、ドレッサーの上にある赤毛のボブ・ウィッグに注目した。

「あら、赤毛のウィッグもあるんですね」

「ええ、キャロルに作ってもらったの。普段に被りたいから。私はもともとは赤毛だったのよ」

 エヴァが驚きに目を開いた。

「へえぇ、そうだったんですか! 生まれながらのブロンドだとばかり思っていました」

 ローズといえば、ブロンド・ヘアだ。今となっては当然かもしれない。ドリスならさしずめ、「偽物のブロンド」ぐらい言うだろうが。

 明日には、ドリスがスタジオに復帰する。この、赤毛のウィッグも、さっそく出番だ。

 ――見てらっしゃい、姉さん。無実の罪を着せてやるから。

 ドリスの両脇を警察官が捕まえ、連行する光景を思い描いてみた。

 ――「私じゃないわ! 私はこんなこと、やっていない!」

 周囲の人間は誰も信じない。当然、大衆も。

 ドリスはスキャンダルまみれになって、ハリウッドから永久追放になる。そのために、一人の人間を殺さなければならないのだが、ローズには罪悪感の一つもなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ