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青い薔薇白い薔薇  作者: 霧島勇馬
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第五章 ドリスの逆襲

   第五章 ドリスの逆襲

 ジョーンが去ると、クロードの相手もそこそこに、家に帰った。

「ルイス、ルイス! 大変なのよ、どこにいるの?」

 返事がない。こういうときは、だいたい、映写室にいる。ローズはいったん外に出て、地下に続く階段を下りる。

 ドアは閉ざされていたが、鍵は開いていた。

「ルイス、入るわよ?」

 暗い室内の奥に、大きなスクリーンが設置されている。ローズは細めにドアを開け、すぐに閉めた。

 ルイスは背を向けたまま、一心にスクリーンに魅入っていた。

 モノクロの映像は、なんと若き日のジョーン・メイソンが映し出されていた。嫌な予感がし、ルイスの側に寄るのを躊躇った。

 次の瞬間、幼い頃のドリスが、満面の笑みで振り返るシーンが映し出された。

「ルイス、な、何よ、これ」

 ルイスは、ようやくローズの存在に気づいた様子だった。

「やあ、ローズ、お帰り」

「やあ、お帰り、じゃないわよ! 姉さんの映画なんか見て、何してるのよ!」

 ルイスはローズの問いに、不思議そうに振り返った。

「ジョーン・メイソン主演で一番のヒット作になった、『草原の少女』だよ。MGMも、ようやく僕を信頼して、フィルムを貸し出してくれたんだ」

「そのジョーンが、私の控え室にやって来たのよ!」

 ルイスは大して興味なさそうに、口の端を下げた。

「ふうん。何だって?」

「今後はプロデューサー業に回って、姉さんを応援していくって宣言したわ! 姉さん主演の映画を作って、相手役も、クロードよりずっと人気と実力を兼ね備えた男優を配役するって!」

「なんだって!」

「暢気に姉さんの映画なんて見ている場合じゃないんだってば! ジョーンは強力なライバルになるわ。キャリアは、ルイスよりずっと長いんだもの。私たち、このままだと潰されちゃうわよ!」

 ルイスもさすがに焦った様子で、立ち上がった。

「ジョーンがプロデューサー業を……。なるほど、考えたな」

 ローズは苛々して、その場で地団駄を踏んだ。

「どうするのよ! ルイス、私たちの今度の映画はヒット間違いなしなんでしょうね?」

「そうだな……。クランクインして間もないから、軌道修正が効く。ドリスの映画がどんな内容か、把握する必要があるな。こちらも、MGMが金を掛けて作る映画だ。そう簡単に、敗北したりしないさ」

「姉さんの映画の内容がわかればいいのね? そうすれば、こっちも対抗策が立てられるのね?」

 ルイスは難しい顔で、顎を撫でた。

「ジョーンは当然、秘密主義で行くだろうな。そこを、どう、食い込めるかだ」

「どうするつもりなのよ!」

 ルイスはふと、何かを思いついたかのように、歪に口の端を上げた。

「キャロルに助けてもらおう。そもそもは、こちらのマネージャーだったのを、ドリスから妊娠騒動をきっかけに、奪われた形だからな。こちらに戻ってきてもらおう」

 ハート家で久しぶりにパーティを開いた。今回は、母では、なく、ドリスがホステスとなり、映画関係者を招待した。

 もう大人の女優となったドリスが、ジョーン・メイソンのプロデュースで、大きな映画に主演する。MGMの他にも、他社から貸し出しを考えて、何人か外部の人間も呼んでいた。

 清楚な白いドレスに着替えたドリスが、にこやかな笑顔で、会話の中心になっていた。

 母シャーロットが、大きなケーキを載せた皿を持って、キッチンから出てきた。

「どうぞ、皆さん、召し上がって。準備は全て、ドリスがしたんですよ。私はただ、オーブンで焼いただけ」

 ドリスは困った振りをして、苦笑いを作った。

「ただ、レシピ通りに材料を混ぜ合わせただけなんです。変なものが入っていなければいいけど」

 客の一人が、豪快に笑った。

「ドリスが作ったケーキなら、どんなに不味くても、いただくさ。そんなエピソードさえも、微笑ましく思えるものだからな」

 シャーロットが、ドリスのすぐ横に立っていたキャロルに、ナイフを渡した。

「キャロル、切ってあげて。あ、ドリスには、うすーくね。これ食べて太ったりしたら、今度の映画に支障を来すから」

「……はい」

 キャロルは小さな声で応えると、ケーキを切り分け始めた。

 最近、キャロルは元気がない気がする。何かドリスが、気を揉ませるような振る舞いをしただろうか?

 そのとき、エントランスで、女性の黄色い声が聞こえた。

「うっそー、トニー・ジャックマンに会えるなんて!」

 ドリスは、にんまり微笑んだ。今回の映画の秘密兵器だった。

 トニーはRKOに所属する男優だったが、アカデミー助演賞に二十五歳の若さで、ノミネートされた経験を持つ。

 今回の貸し出しに、プロデューサーのジョーンは特に力を入れていた。RKOも、トニーを貸し出す代わりに、『緑園の天使』でアカデミー助演女優賞を受賞した、アン・リベラを借りる手筈になっていた。

 黒い髪に黒い瞳。背は六フィートあり、大きく広い胸板を持つ。この時期に出始めた、若い世代を代表する、アイドル的存在だった。

「オレのドリスはどこだい? 早く抱きしめさせてくれよ」

 なんとも大胆な物言いと、とんでもなく濃厚な男臭さの持ち主だった。

 ――気をつけないと、却って食われるわ。

 ドリスは目を大きく開き、喜びを表しながら、トニーの前に進み出た。

「いらっしゃい、素敵なトニー。このたびは、私の相手役を快く引き受けてくれて、本当にありがとう」

「とんでもない。最高のお姫様だ。白い薔薇と共演できるなんて、無情の喜びだよ」

 トニーはドリスを抱きしめると、肩を抱いて、パーティ会場へと進んでいった。

 キャロルがトニーに、一欠片のケーキを載せた皿を渡した。ドリスは浮き浮きした思いで、トニーにキャロルを紹介した。

「こちら、私の大事なマネージャーのキャロルよ。とても優秀で、気配りが効いて、最高の親友なの」

 トニーは大きな掌を、キャロルに差し出した。

「どうぞ、よろしく。これからもお世話になります」

 キャロルはなぜか、虚ろな顔で、トニーの手を握り返した。

「よろしくお願いします……」

「どうしたの、キャロル? 疲れているみたい」

 キャロルはドリスの問いかけに否定しなかった。

「ええ、ちょっと疲れているの。申し訳ないんだけれど、お先においとまして、いいかしら?」

 キャロルには今後も頑張ってもらわなければならない。ドリスは二つ返事で、了承した。

「もちろんよ。クランクインまで、私も自由に行動するから。映画が始まったら、またよろしくね」

 キャロルは青い顔のまま、静かにハート家を出ていった。

 トッド家のリビングで、ルイスとローズに向き合う形で、キャロルが座っていた。

「お話の舞台は、オハイオの田舎です。話の内容は、MGMがいかにも作りそうな、家族と若者の物語です」

 ルイスは、なるほど、と顎に手を当てた。

「このところ、いかにもMGM風な作風は、飽きられてきているんだ。ジョーンはまだ、過去の栄光に縋っているといったところかな」

「だからって、こちらはあまり実験的な作風に挑戦するわけにもいかないでしょ? なんといっても、安定した客層があるんだから」

 ルイスもいつものような、自信満々の顔はしていなかった。

「確かに、そうだな」

 ローズは、どんどん焦ってきた。

 まさか、トニー・ジャックマンを連れてくるとは、思わなかった。トニーに比べたら、クロードなんて、エキストラに無駄毛が生えた程度の存在だ。

 なんだか、クロードがドリスのお古のように感じられた。自分はトニーと共演する。だから、仕事にあぶれた元共演者をローズに譲る、とでも言うように。

 キャロルが、意を決した様子で、口を開いた。

「あ、あの。私、いつまでこんなこと、しなきゃならないんでしょうか?」

 ルイスが涼しい顔を向けた。

「どういう意味だい?」

「もう、たくさんなんです! 実の姉妹が争っている間に立たされるのは。同じ世界に身を置いている以上、ライバルなのは理解できます。でも、裏事情をスパイするために動くのは、正直、辛いです」

 ローズとしても、言い分はあった。

「あなたは最初、私のマネージャーだったのよ。それが、姉さんの妊娠騒動で、あっちへ行ってしまった。でも、今はまるで、なにも起きなかったかのように、姉さんはへらへらと日々を過ごしているわ。なんで、私たちのもとに戻ってきてくれないのよ?」

「私は、お母さまのシャーロットに雇われている身です。そうそう自由は利きません」

「じゃあ、私からママに頼むわ。そしたら、戻ってきてくれる?」

 キャロルは辛そうに、俯いた。

「……もう、疲れました。そろそろ解放して欲しいのが、今の正直な気持ちです」

 ルイスが真顔でキャロルに告げた。

「そう簡単に辞められると思ったら、大間違いだぞ、キャロル」

 キャロルの肩が、びくりと動いた。

「どういう意味ですか?」

「君がローズとドリスの間を行ったり来たりしていた事実は、マスコミだって知っているんだ。君がどちらも辞めたら、きっと取材攻勢が凄くなるだろうね。だって、二人の真実を知る、唯一の人間なんだもの。イエロー・ペーパーは、しつこいぞ。逃げても逃げても執拗に追いかけてくる」

 キャロルは顔を青くし、小さく呟いた。

「……そんな」

「君に残された選択肢は二つ。ドリスの側に留まり、僕たちに有益な情報を教える。もう一つは、ローズのマネージャーに返り咲くことだ」

「……スパイみたいな真似だけは、したくありません」

「なら、僕が君を雇おう。今までの給料の二倍出す。既に、ヘアメイク時代の二倍の給料を得ているわけだから、四倍になるよね」

「お金の問題では……」

「家族への仕送りは、多いに越したことないだろう? いろいろ、故郷の人間も期待しているみたいだしね」

 どうやらルイスは、キャロルの家族や、その他のしがらみについて、詳しく調べていたようだ。

 ――さすが、ルイスだわ。いつまでも、姉さんにキャロルを取られてたまるかっていうのよ。

 キャロルは観念した様子で、俯いた。

「……わかりました。ドリスのマネージャーは、辞めます。だからもう、スパイのような真似をさせないでください」

 ローズたちにとっては、キャロルがドリス側にいて、こちらに情報を流してくれるのが最高の道だったが。キャロルはそうそう思い通りに動いてはくれない。

 ルイスが、しぶしぶ納得したといった様子で、口を開いた。

「わかった。君がいなくなったら、ドリスなどは、ただの扱い難い子役上がりだ。映画の公開は、ドリスの映画に合わせてぶつける。こちらは、芸術性で一枚も二枚も上を行っているんだ。絶対にドリスには勝つ」

 公開時期をドリスに合わせてぶつける? 大丈夫なのだろうか?

 あちらはジョーン・メイソン初プロデュースで、長年娘を演じてきたドリスが主演。RKOからトニーまで借りてきた。

 本当に、勝ち目はあるのだろうか? なんだかルイスが、意地になっている気がする。

 もうじき、公表した通り、結婚式を挙げる。映画公開に合わせ、宣伝の一つになると割り切っているが。

 もし、ドリスの映画が大当たりをしたら、ローズたちはとんだ笑いものだ。

 ルイスを信じるしかない、今は……。

 キャロルはドリスを避けるように、トッド家に居を移した。ドリスはキャロルの裏切りがショックだった。

 最後に挨拶に来たとき、散々に侮辱してやった。

「あんたはまるで、コウモリよ! どちらにも、そのとき次第でくっつくの。あんたなんか、いなくたって、私はなにも不都合はないんだから!」

 トニーとは、すぐに親しくなった。クロードとの件もあり、当初はドリスも慎重だったが、とても頼りになるし、すぐに恋愛感情を抱いた。

 二人で浜辺をドライブしたり、日光浴している姿が、マスコミを賑わした。

 久しぶりに、女王さまに戻った気分だった。

「クロードとは、もう恋愛関係にないんですか?」

 こんな質問にも、堂々と答えられる。

「ええ、ローズにあげちゃったわ。あの子は、私のお下がりで、我慢できるみたいね」

 ローズは地団駄を踏んで、悔しがっているに違いない。

 確かにローズは、ドリスの大事なものを、次々に奪おうとした。しかし、ドリスがもう価値がないと考えるものを奪われても、痛くも痒くもない。

 一九四七年六月二十八日、完成した映画『愛の花』のプレミア上映会が開かれた。

 ドリスは、これでもかとドレスアップして、トニーと仲良く出席した。

 映画が終わると、スタンディング・オーベイション。感無量だった。初めて、一人前に扱われた気分だった。

 ドリスは賞賛の拍手の中、トニーと抱き合い、何度も感謝のお辞儀をした。

 トニーが耳元で囁いた。

「ドリス、この分なら、オスカーだって狙えるぞ」

 翌日は、ローズの映画『宵闇に吹く風』が公開された。映画が大ヒットし、その勢いで結婚式を盛大に挙げようと考えていたらしいが。

 評判は芳しくなかった。かつてのドリス映画の二番煎じだ、とあちこちで叩かれた。

 気分が良いったらない。ずっとドリスの前を歩いていた、ローズを追い抜いた。

 これだけで満足しはしない。もうすぐ、ローズとルイスの結婚式だ。幸せそうに装う二人の顔をそのままに放置しておくつもりは一切ない。

 ――散々馬鹿にされたんだもの。一矢がつんと報いないとね。

 一九四七年八月十日、日曜日。ローズとルイスは、トッド家の中庭を開放して、盛大な結婚披露宴を開いた。

 MGMの重鎮はユダヤ系が多かったから、ビュッフェ式の食事も、彼らが食べられるよう気を遣った。

 昨日の午前中に、市役所に届けは出していた。ローズは真っ白なドレスに身を包み、客の一人一人と挨拶を交わしていた。

 皆、総じて映画も褒めてくれたが、ローズは複雑な気持ちだった。

 ――このままじゃ、ヒットすらしない。どうしたらいいのかしら?

 ルイスも今回に限っては、計算が外れた様子だ。もともと社交的な男ではないが、懸命に笑顔を振りまき、客の機嫌を取っていた。

 シンプルなピンクのスーツに身を包んだキャロルが、難しい顔をして、ローズの側にやって来た。

「思っていたより、欠席者が多いです。あまり多くのテーブルを放置していると、賑わっていない様子が写真に撮られてしまいます」

「わかったわ。テーブルを三つ、片付けましょう。代わりに、花を置くわ。これから花屋に行って、豪華な薔薇の花束を、できるだけたくさん、買ってきてちょうだい」

 キャロルはホッとした様子で、頷いた。

「わかりました。すぐに行ってきます」

 こんなパッとしないパーティの裏方を任されるなら、逃げ出したくもなるだろう。でも、キャロルの本音は、わかっていた。ドリスと顔を合わせたくないのだろう。

 ふと見ると、ルイスが憮然とした顔で、シャンパンを飲んでいた。あまり酔ったら、皆の前で新郎の挨拶ができない。

 トッド家の人間は、一人もパーティに現れなかった。映画なんてくだらない文化に関わっている人間を、見下しているらしい。

 ローズのハート家のほうは、父と母が出席していた。ドリスには、招待状を出さなかった。でも、どうせ顔を出すだろう。最高の装いで、トニーと腕を組んで。

 悔しいが、今回の映画は、既に勝負が決まっていた。この一ヶ月半の間に得た、興行収入はドリスの『愛の花』が、ローズの前作の記録をとっくに抜いていた。

 やっと追い抜いたと思ったら、あっという間に追い抜かされる。姉を軽蔑するのは簡単だったが、実力は実力と、ある程度は認めないといけないのかもしれない。

「どうした、ローズ。花嫁にはあり得ない暗い顔だな」

 ハッと顔を上げると、スーツ姿のクロードが側にいた。クロードには式でベストマンを務めてもらった。

 クロードは、あまり良い気分ではなかっただろう。でも、こと結婚に限っていえば、二人の男のどちらに気があるか、なんて話題を振り撒くわけにはいかない。観客は、恐ろしいほど保守的だ。

 映画がヒットしていない理由は、ローズが姉の元恋人クロードと共演しているせいかもしれない。

 最高のパートナーを手に入れたと思っていたら! ドリスは他社の大物と浮き名を流している。結婚なんて話題を出さず、明るいニュースを振り撒いている。

 ――ルイス一人のものになるのは、得策ではなかったのかしら?

 これまでは、ルイスの指示に従っていけば、必ず上手くいっていた。ルイスの神通力もここまでか?

 クロードが耳元で囁いた。

「話がある。二人きりになれる場所に移ろう」

 ローズは咄嗟に、周囲の誰も見ていないか、辺りを見回した。

「移ろうって……お兄ちゃま、わかってるの? 今日は私が主役なのよ。花嫁が一時でも姿を消すなんて、できないわよ」

 そのとき不意に、聞き覚えのある耳障りな声が聞こえてきた。ドリスだ。

「話を聞いてあげなさいよ、ローズ。クロードは切羽詰まっているの。それに、こんな大衆の面前で話をしたら、困るのは、あなたのほうなのよ」

 ドリスはまさに、花のような姿だった。

 さすがにドレスコードは守って、純白ではなかったが、クリーム色のドレスに 同色の派手なヘッドドレスを被っていた。

 横には六フィートを超える美男子トニーがいた。憎らしいくらい、お似合いのカップルだった。

 ローズは、なんとか平静を装った。

「あら、姉さん、わざわざ来たの。姉さんにだけは、絶対にブーケは渡さないからね」

 ドリスは、涼しい顔で応えた。

「いいのよ。当分、結婚するつもりはないから。私は子役から上がったばかり。本当の男を知るための、お勉強中なのよ」

 トニーは、おやおやとおどけて目を回してみせた。いつの間に、白い薔薇は、奔放な性格を身につけたのか?

「いくらなんでも、横にいるトニーに失礼じゃなくて?」

 ドリスは勝ち誇った顔で、瞼を落とし、軽蔑するようにローズを見た。

「なに馬鹿な話しているの? あんたが男を知るって、肉体的なものばかりだものね。私が言う、知る、の意味は精神性。心と心の結びつきを大事にしているのよ」

 トニーは反論するどころか、うっとりとドリスを見下ろした。

「僕はドリスを大事に扱っていくもの。愛を育む時間が少ないと、結婚しても上手くいきっこないからね」

 口裏を合わしたような、ご立派な返答。オスカー・ノミネートの俳優にここまで言わせるとは!

 不意に、フラッシュが焚かれた。ローズはドキリとした。今、きちんと美しい笑みを作っていたとは思えない。

 無防備な姿を撮られないよう、ルイスから口を酸っぱくして忠告されているのに。

 考えてみれば、主役のローズを中心に、恋愛関係を疑われているクロード、仲の最悪な姉ドリス、大スターのトニーが集まっていたのだから、カメラを向けられるのも当然だった。

 ローズはカメラに向かって、笑顔を向けながら、小声でクロードに指示した。

「パーティが終わったら、話しましょ。必ず時間を作るから。だから、今は離れて」

 ローズは、ことさら明るく「ルイス!」と声を上げ、噴水前でインタビューを受けていたルイスの側に駆け寄った。

 今のローズに一番大事な問題は、ルイスの側にいて、仲良く写真に収まることだった。

 結局、その日が終わるまで、ローズはクロードを避け続けた。仲よさそうなツーショットを撮られるわけには断固いかなかった。

 いっぽうで、ルイスとは、これでもかというくらい、カメラの前でべたべたした。

 しかし、翌日の主要新聞に二人の写真は掲載されなかった。ただ、「青い薔薇、結婚」の見出しに、短い記事が添えられているだけだった。

 ――こんなことなら、せめて話題作りにでも、クロードと写真を撮られるべきだったのかしら。

 ローズ陣営は、誤算に続く誤算だった。映画はヒットしないし、結婚式も、大して関心を持たれなかった。

 やはり、人は他人の幸福より、不幸がお好みのようだ。ローズは、ただでさえ、醜聞の中で、のし上がってきた。何の悶着も起きない、幸せなだけの結婚式など、似合わなかったのかもしれない。

 こんな最悪の始まりだったから、新婚生活も甘いものとはいかなかった。ルイスはローズの前では仏頂面のままだった。自分の計算が狂った件を悩み、一人、地下の映写室に籠もる時間が増えた。

 暇を持て余すローズだったが、幸せな夫婦生活を装うために、外に出かける真似もできない。

 そんななか、クロードの訪問を受けた。ローズは久しぶりに胸が弾んだ。

「お兄ちゃま、会いたかった!」

 クロードの胸に飛び込み、キスをねだる。しかしクロードは、なんとローズの体を押し返した。

「会いたかったなんて、嘘だ! 君は結婚してもなお、僕との関係を続けるつもりか?」

 ローズは目を大きく開き、当たり前とばかりに、頷いた。

「結婚は結婚。お兄ちゃまは、お兄ちゃまよ」

「俺は今後もずっと、日陰の身なわけか?」

 クロードの形容に、ローズは思わず失笑した。

 面白い表現だ。男を日陰の身にするなんて、ローズも我ながら罪な女だ。

 ――日陰の身を作るのが男だなんて、決まっていないのよね。

 ローズはツンと鼻を持ち上げ、クロードのネクタイを引っ張った。

「お兄ちゃまが別れたいのなら、仕方がないわ。でも、私は、お兄ちゃまを大事に思っている。結婚はできなくても、そういう愛の形って、あると思うのよ」

 クロードはたぶん、ローズに直談判に来たのだろう。このままの形が続くなら、自分は身を引く、とかなんとか言葉を用意して。

 ローズはもう、どちらでもよかった。ローズの前から去りたければ、去ればいい。ドリスとの戦いのために、引き寄せておいた駒だった。

 ドリスがトニーほどの大物を捕まえるとは思っていなかった。

 クロードは、もう、切り捨てていい。早く、次に進まなければ。

 ルイスはいつまで、不貞腐れて映写室に籠もっているつもりなのか? ローズはすぐにでも、次の戦略を相談したかった。

 クロードは意外な答を返した。

「君と別れたくない、ローズ」

 ローズは意外な思いに、眉を上げた。

「あら、そうなの。じゃあ、我慢してちょうだい。これが私の生き方なの」

 クロードの顔が見る見る赤くなった。

「我慢しろだって? 冗談じゃない! 我慢なんて、しないぞ! 二番目なんてご免だぁあ!」

 クロードが、がばっとローズに覆い被さった。次の瞬間、右の腹部に、熱い痛みが走った。

 刺されたと気づいたときには遅かった。クロードはナイフをローズの腹に刺したまま、一歩、二歩と後ずさりした。ローズは前のめりに倒れた。

 駆け出すクロードの足音……。

「ローズ、誰か来ているのか?」

 ルイスの暢気な声が、次第に遠ざかった……。

 ドリスは映画の撮影中に、クロードによるローズ殺人未遂事件を知った。

 ハリウッドの長い歴史の中でも、女優の殺傷事件など、そうそう起きない。そういった意味では、ローズは新しい歴史を作り続けていると言ってもいいだろう。

 発見が早く、刺された箇所も、急所を外れていた。結婚式では関心が薄かったマスコミは、ここぞとばかりに書き立てた。

「報われぬ愛の暴走! クロード・ヒギンズ、殺人未遂で逮捕!」

「花嫁が血に染まる! 新婚旅行先は、病院の特等室」

 どの新聞も、面白可笑しく、ローズが負傷した事件を報道していた。このところパッとせず、ドリスに水を空けられているローズは、マスコミの格好の標的となった。

 ドリスの元にも取材陣は訪れた。

「ローズのお見舞いには、もう行かれたんですか?」

 ドリスは瞼を落とし、軽蔑しきった声で告げた。

「残念ながら、そんなに暇じゃないんです。ジョーンがプロデュースする映画の第二弾の制作が決定しているんです。今回もトニーを貸し出してもらえるよう、いろいろ手を尽くしているところです」

「クロードがあんな凶暴な性格だと、あなたは知っていたんですか?」

 ドリスは、やれやれと首を横に振り、掌を上にした。

「クロードが特別に凶暴なわけではありません。ローズがした仕打ちを考えれば、あんな結果になったのは、当然じゃないかしら」

「今、ローズに、なにを言いたいですか?」

 さすがに、ここで本音は言えない。どうせなら、死んでくれればよかったのに、とは。

 代わりにドリスは、意識して慈悲深い笑みを浮かべた。

「早く元気になって欲しいです。妹もこれで、目が覚めたと思いたいわ。もうこれ以上、他人に迷惑を掛けないで、自分の器を知った上で、謙虚に活動して欲しいです」

 最後に取材陣が問い掛けた。

「ローズを、妹さんを愛していらっしゃいますか?」

 実にくだらない質問だ。愛しているか、だって? 幼い頃から、鬱陶しいだけの存在だった。それが今では、とても邪魔くさい。

 ドリスは笑顔で答えた。

「ええ、愛しています。家族ですし、なにより、唯一の妹ですもの」

 ローズの入院生活は、想像以上に苦い思いが強い日々となった。聖パトリック医療センターの特等室に入院したローズをお見舞いに訪れる人間のほぼ全員が、青いインクを吸わせた人造の薔薇を持ってきたからだ。

 ローズは怒って、薔薇の花を床に叩きつけた。

「皆、揃いも揃って、私を馬鹿にしているの? 私は所詮、偽物の薔薇だと言いたいのね!」

 訪問者たちは、慌てて薔薇の花を拾い上げた。

「そんなこと言われたって……まさか、真っ白い薔薇を持ってくるわけにいかないじゃないか」

「要するに、本物の薔薇は、なにも色を付けない白い薔薇。つまり、ドリス・ハートのみだってことかな」

「ルイスも大変だろうなあ。要するに、薔薇の女たちには近づかないに越したことはないわけだ」

 ルイスも次回作を早く準備したかっただろう。しかし、ルイスの立場は、難しいものとなった。妻であるローズ以外の女優を、主役には持ってこられなかったからだ。

 ローズの入院期間ずっと、ルイスも活動を自粛させられた形だった。

 周囲は、二人の間に不協和音が聞かれないか、耳を欹てた。

 その点に関しては、ルイスは抜け目なかった。新聞記者を選んで、病室に入れ、取材を許可した。

 新聞記者ロナルド・ドーンはカメラマンのマイケル・ハットと共に訪れ、目の前の光景に息を呑んだ。

 ローズのベッドの周りには、青い陶磁器が所狭しと置かれていた。その膨大さに、ロナルドが呆然とした。

「凄いな。どこから、こんなに大量に持ってきたんですか?」

 ルイスはロナルドとマイケルに椅子を勧め、にっこりと微笑んだ。

「見舞いに訪れる人間が、揃いも揃って、青い薔薇を持ってくるものだから、ローズが怒りましてね。青いもので真に高級なものといえば、中国の陶磁器だと、僕が口を滑らせたんですよ。以来、見舞客の土産が全て、青い陶磁器に変わったんです」

 ローズはうっすらと化粧した顔で、ロナルドに微笑んだ。

「私が偽物だと思われるのが嫌だったんですもの。その点、陶磁器は本物。価値ある作品が私の元に集ってくれたんです」

 ロナルドは、部屋に入ったときから、随分と気を遣っているように見えた。ロナルドがさっそく、メモ帳とペンを取り出し、書く用意をした。

「それでローズ、傷の具合は、いかがですか?」

 まだ、少し動いただけでも痛かった。正直なところ、こうして起き上がった状態でいるのも苦労だったが、仕方ない。

 世間はクロードの無理心中未遂とまで考えているらしい。幸せな結婚生活を乱された、不幸な新妻を演じなければならない。

「ありがとう。やはり痛むけれど、一日も早く退院したいから、安静にしています。ルイスが側にいてくれるから――」

「クロードには今、何と言いたいですか?」

 話の腰を折られ、ムッとした顔を作らないよう、苦労した。

「……私の気持ちを、誤解させていたのなら、許して欲しい、と」

「誤解させるような振る舞いをした理由は、ドリスから共演者を奪いたかったからですか?」

 ローズはもう、ムッとした思いを隠さなかった。思わず、ルイスに顔を向け、文句を言った。

「何なの、この記者? あなたが厳選した割には、タブロイド紙の記者のような尋ね方をしてくるわ」

 ルイスが横で、冷静な声を出した。

「観衆だって、馬鹿じゃないんだ。僕たちの企みなんて、とっくに見抜いているよ」

 頭に血が上った。こういう展開になるのなら、事前に相談させて欲しかった。

「そうよ! 私の実力なら、もっと有名俳優だって選べた。でも、何より、姉さんが困る展開にさせたかったの。積年の恨みがあるもの」

 ロナルドは頷き、ペンで何やら書き記していた。

「つまり、クロードは利用されたわけだ」

 ルイスが静かに口を開いた。

「利用したわけではありません。僕が考えるローズとドリスは、役柄がけっこう被るんです。ローズの相手役にクロードがいいと発案したのは、僕です。ローズは姉を困らせたかっただけのようですが、クロードは共演者として最適だった」

「映画は、パッとしませんでしたが?」

「僕の責任です。ローズは今回、傲慢になった僕の犠牲者でした。新婚だというのに、こうして妻に辛い思いをさせている。僕はクロードの裁判で、証言をするつもりです。利用した結果、こんな最悪の形になってしまった責めを負うべきだからです」

 ローズに対する取材だったが、主役の座はルイスに奪われた。でも、痛いところを直接ぐさっと突かれて答える展開にならなくて、ホッとした。

 きっと世間では、ローズが考えている以上に、ドリス寄りの人間が多くなっているのだろう。

 当初は、虐げられた妹として、同情を引く作戦が成功した。ドリスを目の敵にしながら、追いかけ、追い抜いた。

 だが、映画の公開を同日にぶつけた結果、客のローズ離れは深刻だった。ルイスが全ての罪を負えば、少しは観客の心も変わってくるだろう。

 ――私に足りないのは、謙虚さだと、ルイスは言いたいのね。私だって、作戦の一環なら、謙虚にもなれるわよ。

 ローズはわざと、しゅんと項垂れてみた。

「ごめんね、ルイス。あなたに謝らせるなんて、申し訳ないわ。当事者は私なのに」

 ルイスは少々大袈裟に、ローズの肩を抱いた。

「なにを言う。僕たちは夫婦なんだぞ。妻の責任は僕の責任だよ」

 二人の仲の良さをここでアピールしないで、どうする!

「ルイス! 私、あなたと結婚して幸せだわ! お兄ちゃまには、私も、償っていこうと思う。これからは、もっと謙虚になるわ。周りに迷惑を掛けないように」

 ルイスは、うんうんと首を縦に振った。普段は見ない仕草だ。演技の一つと捉えていいだろう。

「これからも二人で頑張ろう。恨みや妬みでは、なにも生まれないからね」

 翌日のハリウッド・ダイアリーに、ルイスとベッドに起き上がったローズの熱いツーショットが掲載された。二人の贖罪を、記者のロナルドは好意的な視点で説明していた。

 新聞を読み、ローズは確信した。まだまだ、やれる。逆転のチャンスは絶対に巡ってくる。それまで我慢だ。

 ――姉さん、見てるがいいわ! 絶対に、また追い抜いて、今度こそ、スターの座から転落させてやる。


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