伶の作品
さて、割合簡単に試練を果たしてしまった両班であったのだが、お留守番でゴヴニュ様からの個別の試練を受けた伶は、まだ奉納祭に納める物の制作に取り掛かってはいなかった。二つの班が試練を果たしてアイテムを持ち帰るには時間が掛かる筈だし奉納祭の期限もまだ先だ。
実はまだ何を創るかも決めていない状態の伶。それには確固とした理由がある事なのだが周囲の者はその理由すら判っていない。態々ゴヴニュ様が神託を下してくれたお蔭で神殿にある炉が使える様になり、神官さん達も力を貸してくれる事になっている。今伶の隣にいる神官の少女ラディもその一人だ
「れ、伶様。そんなところから覗かなくても・・・それに早く製作に掛からないと間に合いませんよ」
「大丈夫よ。それよりも敵情視察の方が大事なのよ」
とはいえ別に誰かの真似をするつもりがある訳では無い。寧ろ自分の思うままに作ってしまった場合、この世界の技術水準を遥かに超える物が出来る事の方が心配の種なのだ。その為他の工房で出来上がって来る物を見て何処までレベルを落とせば良いのかの確認を行っているのだ
(御神託が有ったからお手伝いしているけど、大丈夫なのかしらこの人・・・)
神官長から雑用を申し付かったラディであったが、伶の行動を見るにつけて不安がドンドン増してくるのだ。技術を競う奉納祭で他の工房が持ってくる品物を盗み見て真似をしようとしているとしか思えない行動、しかも炉に火を入れて温めるのにも時間が掛かるというのに、その気配すらないのだ。下手したら他の工房の作品を盗むつもりなのかと疑念だけが膨らんでいく
「きゅ?」
「キャッ!って、スライム?何でこんな所に??」
「あらスラちゃん。頼んでおいたことは出来た?」
「きゅ♪」
突然現れたスラちゃんに驚くラディ。神殿の中に妖魔がいるなんて驚くなという方が無理かもしれない。しかし伶とスラちゃんの様子から使い魔という事で納得する事にしたのだった
(ほ、本当に何者なのかしら、この人・・・)
内心の動揺を面には出さずに言いつけられた事に集中しようと決心する。少なくても神託が下された以上は神官として責務を果たさなければならないのだ。彼女の正体を暴くのはその責務の中に入ってはいない以上、自分に出来るのは彼女の用向きに迅速に対応する事だと決めて平静を保とうと擦る事に決めたのだった
「って、美味しい!なんでこの味になるんですか?」
「ふふふ。面白いでしょう。獣人さん達の集落で作っている調味料よ」
数時間前の決心は何処へやら、早速ラディの平静は破られる事になる。工房の主たちや代わりの商人達の波が引いた後、腕まくりをしながら客間に戻ろうとする伶の様子から製作に取り掛かるのかと思ったら、伶が手をかけ始めたのは奉納祭に納める為の品物の製作では無く料理であった。
その事に気が付いた時には時遅く伶の鮮やかな手並みがキッチンで披露されており、それに口を挟める程料理に自信がある訳では無いラディは雑用を申し付かっているのに食事まで御馳走になってしまう
自分の仕事が取られた申し訳なさで一杯だったのだが、一口食べた瞬間にそれは跡形も無く吹き飛んでしまう。けっして贅沢な食材では無かった筈だ、ゴヴニュとヘスティアという夫婦神の御膝元の神殿なので他の神殿よりは裕福だが、それで贅沢をするような事は決してない。自分たちは神さまに仕える者であり贅沢をしに八柱教団に入った訳では無いのだ
「これ、なんでこんなに甘くなるんですか?。だって普通の豆ですよ?こっちの鶏肉も・・・」
伶の作ったのは豆の五穀煮と鶏肉の照り焼きだった。砂糖が贅沢品になっているので甘みを出す料理というのは少ない。その点和食の素材本来の甘さを引き出す調理法や味醂や日本酒という物を使った甘みは砂糖よりも優しい甘さが出るので神殿暮らしのラディには驚愕の味わいだった
「気に入った?明日はラディちゃんに作り方を教えてあげるわ」
「本当ですか!あっでも、そんな時間内ですよ。もう製作に取り掛からないと・・・」
「それは大丈夫よ。最終日にチャチャとやっちゃえばいいからね」
優しく笑う伶に嬉しさと不安の半々の表情を浮かべるラディ。必要な炉の温度に達するまでだって時間が掛かるのに最終日で良い訳が無い。しかし教団の孤児院出身の彼女には伶の浮かべる笑顔がまるで姉の様に思えて甘えたくなる気持ちもあるのだ。その結果が先程の器用な表情になる訳だ
「大丈夫よ、他の工房の事も判ったし材料も揃っているわ。加工に掛かる時間も少しで良いからお料理を教える位の時間は十分にあるわよ」
結局は伶の笑顔に負ける様にして料理を教えても貰う事になったラディ。後に有名料理人として名を馳せる切っ掛けに成るのだが、それは別のお話しだ
さて、いよいよ奉納祭の受付最終日の朝を迎えて伶が神殿の炉が設置してある工房に顔を出す。ラディにしてみれば、やっとという思いが強いのだが伶にしてみれば片手間で終わる事の様だ。昨日仲間だという人たちが帰ってきてその人たちの食事の準備まで熟しているのだ。奉納祭を馬鹿にしてるのかという思いも浮かぶのだが、一緒に伶の作った食事を口にしている以上文句を言える立場では無いだろう
「皆も無事帰って来たし私も頑張らないとね」
「お、お願いします」
伶の言葉はラディに向けた物だった。このまま伶が奉納祭に納める物を創れなければラディも怒られる可能性が高い。ましてや食事まで御馳走になっていたのがバレたら追放ものかもしれないのだ
「スラちゃんお願いね」
「きゅ~」
まさかのスライム登場に困惑するラディ。妖魔が鍛治仕事に何の役に立つというのか、さっぱり判らないながらも今は黙ってみているしかない。
既に炉の中には薪や石炭といった燃料になる物が積んである。その上部には素材となる鉄が置かれており炉の中の熱で精錬や融解といった作業が行えるようになっている。しかし本来ならば炉の内部を必要な温度にするまでには時間が掛かる筈だった・・・彼女の常識では
ピョコピョコと可愛さを振りまきながら炉の方に近づいて行くスラちゃん。非常にほのぼのとした感じが漂い、ラディも先程までの焦燥感を忘れて一緒にホッコリしてしまう。
「きゅきゅきゅ~きゅ♪」
可愛らしくスラちゃんが鳴くと炉の内部に魔法が生み出される。高温の青白い炎が生み出されるとそこに風が渦を巻く様に吹き上がっていく。そのまま二つの魔法が混じり合い火炎旋風を炉の中で作り出す。ローラさんが得意とする広範囲殲滅魔法を簡単に作り出すスラちゃん。先程の可愛い鳴き声とは正反対の凶悪な威力の魔法が炉の内部を蹂躙しあっという間に必要な温度まで、いや炉の限界ギリギリの温度まで達してしまう
炉に近づいただけで火傷しそうな熱を発しているというのに伶は躊躇なく平然とした顔で近づいて行くと、スラちゃんを人撫でして感謝の意を示す
「さてと、まずは素材を取り出しましょう」
そう言って片手を炉に向けて集中を始める。魔力で操作しているのか炉の素材取り出し口から真っ赤に溶けきった鉄が出てくる。明らかに液体になっているのだが、宙に浮いたまま固定されている。それを両手から魔力を使って何やら操作している。ラディにそれが判るのは、伶の動きと素材の動きが連動している事から想像がつくだけで、実際にどうやっているかまでは判らない
見守るというか呆然と眺めていたのはどれくらいの時間だったであろう・・・
「さてこっちには魔石を埋め込んでと、こっちは磨けばいいわね」
生産職に係る者に良くある独り言。伶も御多分に漏れず作業中は独り言が多くなってしまうタイプだ。料理中にはそんな事が無いので、彼女の中では明確に分かれているのかもしれない
出来上がった二つの品物・・・
ラディにしてみると変哲もない鉄製品にしか見えなかった
磨き上げられた綺麗な光沢は美しいと思うのだが、奉納祭で優勝を狙えるようには見えない。名立たる工房の主たちが創意工夫を凝らした品物と比べると、只の置物にしか見えないのだ
(これで優勝を狙えるの?まさか出来レース!?神さまに贔屓されてるのかしら)
「ふふ、不安そうね。大丈夫よ、神さまは公平だから贔屓はなしよ」
「え!いや、その・・・」
「それに見る人が見ればこれの価値は判ると思うわよ」
そう言って伶は神殿の奥の参拝所に出来上がった品物を納めに行く。一段と高くなった台に出来上がった品物を置いて一歩下がる。粗悪品やゴヴニュ様の興味を引かない物はそのまま台に残されるのだが、伶が作った一見置物に見えるそれは光と共に消え去ってしまう
最低限ゴヴニュ様の御めがねに適った事にホッとするラディ。少なくとも彼女が神官長に怒られることは無くなった。同時に湧き起こる期待感、過ごした時間は短い物の色々教えてくれた姉の様な人の作品が優勝を飾れるのでは?と思ってしまう
「ふふ、さぁ今日のご飯は何にしましょうね」
そう言って参拝所を出て行く彼女の後ろを付いて行く。淡い期待は優勝への期待なのか今日の晩御飯への期待なのか
複雑な感情を残しながらも期待感だけは高まっていく。
祭りは明日から始まる
祭りが終わった時、目の前の彼女が高い位置に居てくれたら嬉しいなと思いながら、少し距離が空いた背中を追い掛けていくのであった
読んで頂いて有難うございます