これでも元いじめられっ子です
またも坂巻が耳打ちしてくる。
「聞いたかよ、あいつの噂」
「噂?」
「ろくに風呂も入ってないらしいぜ。三日に一回入ればいいほうだってよ」
「……マジか」
その話が本当ならさすがに引いてしまう。
話を聞くうち、その男子生徒の名前が判明した。
古山章三。
前世界にはいなかった生徒だ。名前も聞いたことがない。
「なあ、いこうぜ」
「ん? いくってどこにーー」
俺の返答を待たず、坂巻はまだ着席したばかりの古山に歩み寄っていく。
嫌な予感がした。
忘れもしない。坂巻のあのニヤケ顔。人を馬鹿にしたようなあの態度を、殺してやりたいと思ったことは一度や二度ではない。
この世界の坂巻は優しいのかもしれないーーなどと、馬鹿なことを考えたものだ。あいつはまったく変わっていない。ただ身内に優しいだけだ。
「おい、古山」
坂巻は席に片手で寄りかかり、鼻につく声音で言った。
「てめえまだ学校きてんのかよ。汚ねえから来んなっての」
「あ……えっと……その……」
目をいっぱいに見開き、しどろもどろになるいじめられっ子。
そんな古山の胸倉を、坂巻は乱暴に掴みあげた。
「あ? 聞こえねーよ。もっとはっきり喋れ」
「あ……う、うう……」
見ていられなかった。
内心では坂巻への恨みを溜め込んでいるのに、実際に対面するとなにも言えなくなる。萎縮する。その悔しさ、もどかしさを思い出し、かつての自分と重ねてしまう。見れば、クラスメイト全員の視線がこの二人に集まっていた。
耐えられなくなった。俺は無意識のうちに坂巻の肩に手を置いた。
「おい、やめろ」
「……ん?」
坂巻は振り向いた。その目が小さく見開かれている。教室中に張り詰めた静けさが満ちる。
「なんだ吉岡、どうかしたかよ」
「どうかしたかじゃない。古山から手を離せ」
「……は?」
「わからないか。なんで嫌がってることを平気でやろうとするんだ、おまえは」
「なに言ってんだ。おまえだって昨日まで……」
瞬間。
ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。間もなく教師が来る。
坂巻は舌打ちして古山から手を離すと、自分の席に戻っていった。当然というべきか、俺の親友(?)はよくわからないといった表情をしていた。
視線を落とすと、椅子にきょとんと座った古山が、呆然とした顔で俺を見上げている。
いじめられっ子。
かつての俺。
そんな彼にどんな態度を向ければいいのか。
なにも言えないまま、俺も自分の席に戻った。