8.
「きゃー」
ぶちり。木を抜くと同時に、彼は小さく呟いた。樹齢が短くとも私程の大きさの木を抜くのは、相当な体力を使うはずだ。彼はひょろっこい見た目に反して力があるのかもしれない。
軍手を履いたままで拍手をしたから、ぼふぼふと鈍い音がする。
「今度は木の気持ちを代弁したの?」
「ところで君は何してるの」
「ゴミ拾い」
「楽そうだね」
お陰で裏山の整備という名目で人生初の居残りをしている。罰ではなく自主的であれば、善良な生徒の烙印を押されたのだろうが。
彼と私は単に話していただけである。けれど、罰を受けるのは余りに情がない。
しかし、三十五歳独身男の先生からは、授業中に男女で遊んでいたようにしか見えなかったのだろう。
訂正しよう。先生は例え生徒であろうと男女が話しているだけで爆発する位、僻みという情が厚いのだ。
僻まれても、困る。何よりそんな間柄じゃない。
「力仕事は貴方。細かい作業は私。その方が効率が良いでしょ」
「確かに」
彼は抜いた木を投げてから、汗を拭った。
「汗なんてかくんだ」
「生きてるから」
「寒がりだから、かかないと思ってた」
「一応、代謝機能は整備されてるからね」
まじまじと彼の横顔を見た。頬から首筋にかけて落ちる汗は、何故か綺麗に見える。
見すぎたのか、彼と目が合った。真っ暗で、真っ黒。何を考えているのだろう。
「さっきの貴方の質問だけど、私は躊躇わずに殺せると思う」
「……そう」
変わらない瞳の色。心理学者は目を見ただけで心を読めるらしいけど、私にはさっぱりだった。
「それだけ? 私の質問にも返答してよ」
「きゃー。きやー。木やー」
「え?」
「今度は木の気持ちを代弁したの? って聞いたでしょ。それの答え。普通のシャレだよ」
「なるほど……じゃなくて、総合の時の質問」
彼は逃げるように他の木を掴んだ。
「何となく、それが答え」
「何となくって」
土が盛り上がり、根っこが見えた。
木は僅かな生命ラインを断たれようとされてる。水が吸えなければ、養分が作れない。養分が作れなければ、呼吸が出来ない。待つのは、死のみ。
「このまま投げたら木は腐敗するだけだよね。可哀想って思う?」
「思わないけど」
「同じ。僕は人間でも、そうなんだ」
全身が泡立つように、鳥肌が立った。ドクドク、心臓が口元までせり上がってきたみたい。
「可哀想って、強者が弱者に向かって言う言葉だ。人間平等を唱っておきながら、殺されたら弱者。不思議な話だよね」
熱い、全身が。発狂して暴れ出したい。じゃなきゃ、この感情を表現出来ない。これ、は、何?
「私も、お、同じ。だと、思う……」
カラカラの喉を振り絞って、声を出した。甲斐があった。彼は、初めてその無表情を崩したのだ。
もう、それは擬音を付けるなら、くしゃって。私のハートもくしゃって。潰れた音がした。本気で。
「やっぱり。何となく、分かってたんだ。君もそうじゃないかって。あの夜、君を見た時からずっと伝えたかったんだよ」
「それが、質問の答え?」
「に、なるね。考えてみると」
何となく、私も分かっていたのかもしれない。転校してきた彼を見た時から。よく思えば全てが初めてだ。干渉したいと思ったのも。知りたいと思ったのも。
「君は僕に似ている」
「サエ」
「サエ?」
「私の名前。暇じゃなくても覚えて」
知って欲しいと思ったのも。
「代わりに貴方の名前も覚えるから」
「ヒイラギ」
「……ラギ」
「ヒイラギだけど」
「私が二文字なのに、四文字は不釣り合いでしょ」
「まあ、嫌じゃないけど」
近付きたいと思ったのも、全部、全部、全部、ハジメテ。彼は違う。他のアホみたいに気取った奴等とは違うんだ。
「じゃあ、作業再開とでもいきますか」
「何で急に敬語になったの、サエ?」
「突然恥ずかしさが爆発しそうだからだよ。ラギだって恥ずかしくないの?」
「…………はずかひくないれと」
「驚く程舌回ってないけど」
「どうやら僕は動揺しているらしい」
「私も」
新しい関係性が開花した瞬間、別の場所では問題が起きていた。
裏山にいた私達には、遠くの方で鳴っていたサイレンの音は聞こえなかった。




