12.
「強盗殺人事件にしては、滅多打ちだな。怨恨の線もありそうだ」
三船は手袋をはきながら、ソレを見下ろした。人と呼ぶには原型を留めていないソレを。
死後三日前後といった所だろうが、遺体の損傷具合が酷くて見極めも定かではない。
「ガイシャは三十二歳、川瀬富雄。妻美代子に若い男と逃げられ、七歳になる娘の早恵と二人暮らしをしていたそうです」
パンの袋、幼児向けの玩具が辺りに散乱している。お世辞にも綺麗と言えない部屋は六畳一間の1DK。二人で住むには狭すぎるだろう。
伏せられた写真立てを起こす。父親と母親に挟まれて笑う少女の写真が入っていた。
風呂に入っていなかったのか、少女からは悪臭がする。そして、父親の腐臭。よく、少女は顔色を変えずにいられる。
少女に異常な痩せさらばえていない。栄養バランスは悪くとも食事は与えられていた様だ。身体的虐待の様子もない。逆に父親の方が痩せこけている。
「アレが娘か」
「そうなんです。ショックのせいか父親の横を離れなくて。連れ出すと暴れるんですよ」
「話せる状態か?」
少女は白のワンピースを赤く染めて、父親の隣を保つ。さながら父親の寝顔を見守る娘の様だが、状態が状態なだけに哀れとしか言えない。
光のない少女の目には、何が映るのだろうか。
「僕が話しかけても無視を決め込まれて。無駄ですよ……って、ちょっと」
「カワセサエ、君は父親が好きか?」
「…………」
少女は微動だにしない。人形を抱えて、座り込んだまま父親を見つめ続ける。此方の問い掛けも聞こえない程のショックか。幼い内にこんな事件に逢うなんて……、
「カワイソウだな」
「…………ちがう」
少女は首を振った。
少女の足元にまで血は広がっていた。小さな足跡が形残っているという事は固まるまで離れなかったという事か。
「ワタシは、ちがう」
「理由は?」
「ワタシは、つよい。ひとりで、いい」
ワタシは、つよい。少女は壊れたスピーカーの様に何度も呟く。
「すまんな。俺が悪かった。君は強いよ」
「三船さん! 新しい事が分かりました!!」
「何だ」
男は紙を面前に出すと、鼻息荒く叫んだ。
「状況証拠や、傷痕の向きから見ても犯人は子供でしかないと!」
「まさか。押し入り強盗の犯行だと推測したのはお前だろ。子供なんて出来やしないし、何処にいるんだ、よ……」
「そうです。カワセサエです」
「……アホか」
娘が実の父親を殺すなんてある訳ないと思いたいが、三船の経験が語っていた。
「君、ずっと抱いている人形を離してくれないか」
「…………」
少女はクマの人形を持ち上げた。可愛らしい風貌のクマには相応しくない物が腹からはみ出している。
クマの腹から出ている赤黒く染まった綿が、腸を連想させる。そして、中から覗く金属の輝き。
ついに重さに耐えきれなくなって、クマのお腹から落ちたソレ。血濡れたカジヤだった。
ごとん、という鈍い音と共に疑念が確信に変わる。
「ワタシは、つよい。おとうさんよりも」
少女の目には負け犬の姿が映っていたのか。
少女は普通の枠からは外れていたが、父親と幸せな日々を過ごしていた。近隣の住民によると仕事のない日は学校を休ませてまで、遊びに出掛けていたそうだ。
父親を慕っていた。父親を愛していた。だのに少女は父親を殺した。少女の言葉を借りれば唯一無二の父親を殺す事で『強くなった』のだ。
信頼出来る者を殺す事が、少女の強みになる。愛する者を殺す事で、少女は一回り大きくなれる。
刑事という職業柄幾つもの残虐な事件に関わってきたが、これ程虚しく救いようのない事件はなかった。
妻の美代子はと言うと、若い男との口論の末撲殺されていた。少女は齢七つで天涯孤独となったのだ。
刑事課の三船は事件が解決すれば、終わりだが少女を見捨てる事は出来なかった。
少女の施設に毎日通い詰め、少女に今時の洋服を与え、娘の様に接した。
父親の事も全てを忘れた少女は、生気のない表情で空を見るだけ。時に、歌を聞かせた。子供らしい遊びを教えた。しかし、少女の写真の中の笑顔を取り戻す事は出来なかった。
三船のした行為の善悪は分からない。
数ヵ月後、少女の既往を承知の上で里親になるという女が現れた。
『全ての記憶をなくした彼女に、普通の日常を与えたい』と。
情報から隔離された離島へ移動する事が、少女の心の治療になると女は言っていた。
少女が中学一年生になった時、一通の写真が送られてきた。獅子に似た犬と共に無垢な笑顔を浮かべる少女の写真。
少女は記憶をなくし、新しい幸せを掴んでいる様で安心した。その後女からの連絡は来なかったが、幸せに押し流され忘れ去られたのだと解釈していた。
数年後、二度目の連絡が来た。
『カワセサエが人を殺した』と。
記憶をなくしたのではない。少女は幼いながらに殺意は認められないと悟り、隠したのだ。
善良で普通な感情を構築し、人目に付かない様に。
何かのキッカケで目を覚ます様に。
更生させた、なんて慢心だったと気付いた頃にはもう遅い。父親を含め、七人の志望者が出てしまったのだから。




